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「バカ化」するnoterたち

AIは驚くべきスピードで進化している。

特に生成AIの登場によって、
私たちの生活や仕事は大きく変わった。

そして、そんな便利さと引き換えに、
私たちは「考える力」を少しずつ手放している。

創作の場面でも、まずAIに投げてから整えることが普通になりつつある。

noteだって、「〇〇のテーマで◻︎字くらいの記事を書いて」とチャッピーに投げれば一瞬で書けてしまう時代だ。

もちろんAIを使うこと自体が悪いのではない。
問題は、その過程で自分の頭で考える時間まで省いてしまうことだ。


AIが広げているのは、思考習慣の差

今日のAIの普及によって、人々の中では二極化が起きている。

AIを思考の補助として使い、理解を深める人。
AIに丸投げし、答えだけを受け取る人。

この差は、単なる使い方の違いではない。
思考習慣の差である。

AIを使ってより深く考えられる人は、
ますます伸びていく。

逆にAIによって考える工程そのものを省く人は、
表面的には効率よく見えても、
長い目で見れば確実に力を失っていく。

AIは能力格差を生む存在というよりは、
もともとある思考習慣の差をより大きく広げる(=格差を広げる)装置なのかもしれない。

あなたはAIを使って、
自分の思考を深めているだろうか。
それとも、
考える工程そのものを手放しているだろうか。


noteでも「格差」は広がっている

これはnoteの執筆にもそのまま当てはまる。

AIを使ってうまく記事を書ける人は、
最初から自分の中にある違和感や主張を持っている。

何を書きたいのか。
誰に届けたいのか。
どこを強調したいのか。

その芯があるからこそ、
AIで構成を整えたり表現を変えたりしても、
文章にに「その人らしさ」が残る。

つまりAIを思考の代行者ではなく、
思考の補助役として使っているのである。

一方、AIを使ってつまらない記事を書く人は、
最初の問いや主張が曖昧なまま、
とりあえずAIに投げている。

一見それっぽく整った文章は出てくる。

しかし、どこかで見たような話だったり、
誰でも書ける言葉、熱のない文章になりやすい。

読み手の心が動かないのは当然である。

その文章には、
「この人が本当に考えた痕跡」が薄いからだ。

AIは文章を整えることはできる。

だが中身のない人間を、
中身のある書き手に変えることまではできない


「便利」な時代だからこそ問われること

私たちは「便利」の再定義を迫られている。

思考を省略できるというのは、
一見すると便利に見える。

だがそれが続けば、人は考えなくなる。

本当に便利なのは、
思考を手放せることではない。

思考を深めた上で、
より自由に選べる状態をつくること
である。

AI時代に問われているのはまさにそこだと思う。


今日の記事ネタは、News Picksで以前取り上げられていた以下の記事を参考にした。

この記事では、「Z世代」のバカ化というテーマでSNSのショート動画や生成AIコンテンツに脳みそが汚染された若者たちに焦点が向いている。

しかし、これらのコンテンツに触れ続けているのであれば、Z世代より上の世代においても多少なりとも影響はあるはずだ。

思考を深めるために使うのか。
それとも、思考を省略するために使うのか。

あなたは、
「バカ化」するnoterになっていないだろうか。


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AIを使って正しいことは言えるけど、
それだけじゃ「味」がないよねって話。

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