大和 ぶら探 「壬申の乱」ゆかりの地を巡る 第二回 「宇陀」
1.はじめに
宇陀は、私は60歳以降(ひとまずの定年を迎え、奈良に戻ってまいりましたので)になってから、たびたび訪れるようになりました。
とんでもなく魅力的な地域です。
一つの地域の、あるいは街のことを知ろうと思えば、今時、Webでの検索や、SNS、等を駆使すればいくらでも情報が入りますし、また、専門家から素人までの投稿記事や動画が氾濫しています。
しかし、机上で読んだり視聴したりしても、実際、その地を歩いてみて肌で感じることの楽しさには、到底かなわないと思いますよね。
そういう訳で、「宇陀」に関して、わずかここ7、8年で感じたことだけでも、お話したいことがいっぱいあります。
しかし、「なら記紀・万葉『名所図会』-壬申の乱編ー」のおかげで、今回、ほとんどの場所が、初めて探訪させていただいた名所・旧跡でした。
ゆえに、「『壬申の乱』ゆかりの地を巡る」という点に極力絞って記述させていただこうと思います。
2.「怒れる虎、挙兵す」~吉野から脱出、東国を目指す~
ダイジェスト 「なら記紀・万葉『名所図会』」から
・671年12月、近江の地で天智天皇が崩御。大海人、吉野入りしてからわずか2か月後。
・672年5月頃から、大海人皇子のもとに、近江の不穏な動きが伝えられ、自分の命が狙われていると察した大海人は怒りをにじませ挙兵を決意。
・672年6月24日、大海人皇子は吉野を出発し、東国を目指した。
・吉野宮から津振川(つぶりがわ)(津風呂川・つぶろがわ)沿いに菟田(うだ)(宇陀市)を目指し、菟田の吾城(あき)(宇陀市大宇陀中庄あたり)、大野(宇陀市室生)などを通り、隠郡(なばりのこおり)(三重県名張市)に入った。
・6月25日、積殖(つむえ)の山口(三重県伊賀市柘植町)で高市皇子、26日には大津皇子が合流。一方で、不破道、鈴鹿山道を防ぐことに成功。
・27日、野上(岐阜県不破郡関ケ原町)に行宮(かりみや)を構え、近江朝廷と対峙した。
3.宇陀
功臣の墓も設けられるなど「葬送の地」でもありました。
1.阿紀神社
6月24日に吉野を発った大海人皇子の一行が菟田の吾城に到着し、食事をとったと「日本書紀」に記されているそうです。その場所が、阿紀神社の付近とされてるようです。

まあ、「何とご立派な神社なんだ」と感心しました。地元の方や専門家でない限り、奈良県人でも「阿紀神社」をすぐに思い浮かべられる方は少ないのではないかと思われます。

この説明板に書かれている最初の部分は「神武東征」の話です。

宮中で祀られていた天照大神を新たに祀る地を探す旅に出た「倭姫命」が最初にその候補地とした場所として伝わっています。
倭姫命は古事記や日本書紀に登場する第11代垂仁天皇の皇女で、今から約2000年前に現在の伊勢神宮内宮の地を探し求めたとされる人物です。

前出の「説明板」にあるとおり、元和以降、織田藩の治所となり、三代長頼公以来、始められたということらしいです。
毎年6月に「蛍能」が催されていることを、今回初めて知りました。

私の友達の一人が、なんばグランド花月に連れてくれて、「金属バット」という芸人さんがめちゃくちゃ面白いということを初めて知りました。一方で近ごろは、「ベテランアーティスト」が面白いです。漫才の「ぼんち」、最高です。「おさむちゃん」が「師匠」と呼ばれる時代になってしまったんですね。そういう意味では、この蝉をネタにした「西川のりお師匠」も偉大です。もう秋ですね。
2.神楽岡神社
菟田の吾城を出発した大海人皇子一行が次に立ち寄ったのが甘羅村(かむらのむら)。その場所は正確には分かっていない様子ですが、神楽岡神社あたりとの説があるようです。


3.西峠
かつて、この辺りは「墨坂」と呼ばれていたらしいです。
大海人皇子一行はこの辺りで、伊勢からの米を運ぶ馬50頭を連れている数十人の人たちに出会い、その荷を下ろさせ、歩いていた者を馬にのせ、軍を進めたとされているらしいです。

4.宇陀市阿騎野・人麻呂公園
発掘調査により飛鳥時代(7世紀後半~末)の掘立柱建物跡や石敷溝、苑池などが見つかった中之庄遺跡を公園として整備され、掘立柱建物や竪穴式住居が復元されています。
「日本書紀」「万葉集」に見られる古代の「阿騎野」の中心地と推定されています。(「名所図会」より)



5.文祢麻呂(ふみのねまろ)(書根麻呂)墓
吉野を出発した大海人皇子一行に草壁皇子や忍壁皇子(おさかべのみこ)などの子供たちとともに、最初から付き従った「舎人」の一人が文祢麻呂。
朝鮮半島から渡ってきた渡来系民族の西文氏(かわちのふみうじ)出身とされ、壬申の乱では村国連男依(むらくにのむらじおより)らと共に近江の都を攻撃する将として軍功を立てた、「壬申の乱のキーパーソン」の一人とされています。(「名所図会」より)




文祢麻呂の墓標そばから景色を見回すと、木々の間からちょうど「何か、物言いたげな」山を望めました。スマホのアプリのコンパスを取り出して方向を確認してみました。
何と、山の頂上方向が真東にあると分かりました。つまり、「春分・秋分の日」はあの山の頂上から日が昇るのか?ということを思い浮かべてしまいました。
コンパスがピタッと真東を計ったので驚いてしまい、反対側、つまり真西はどんな景色になっているのかを確認するのを忘れてしまってたのが、残念というか、愚かというか、この辺りが「高齢化」の証左なのでしょう。

上段、「東89°」となっていますが、誤差(手振れか?)の範囲で、ほぼ90°、つまり、真東です。
「三郎岳」と思えし山の方角を測定した結果です。
また、北緯34°50094の位置に立っていることを示しています。

私は、春分・秋分の日、文祢麻呂の眠る墓から見て、朝日が真東の「三郎岳」から登り、真西に沈んで行くことをイメージしたわけですが、改めて「名所図会」を読み直してみてよくわかりました。名所図会の著者は、「(文祢麻呂の墓は)藤原宮跡真東の方向にあり、持統天皇をはじめ天武天皇の子供たちは、壬申の乱を経て天武政権を支えた功臣が眠るゆかりの地から昇る朝日を日々眺めながら、往時に思いを巡らせていたのではないでしょうか」と書かれており、なるほどと感心いたしました。
ちなみに、上記の藤原宮跡をグーグルマップで特定すると、北緯34.50095°で、文祢麻呂墓のそれは34.50092°、三郎岳は34.50585°と表示されました。さらに、春分・秋分の日の34.5°の位置から日の出の方位角をAIに計算させると(ほぼ真東の)89.4°、つまり真東よりわずか0.6°北寄りであるみたいです。

さを鹿の 来立ち鳴く野の秋萩は 露霜負いて 散りにしものを
(訳)雄鹿がやってきてしきりに鳴きたてている野の萩、この野の萩妻は露を浴びてすっかり散ってしまったではありませんか。何ともせつなく思われます。(伊藤 博著「万葉集二」角川ソフィア文庫より)
文祢麻呂の子の文忌寸馬養は、奈良時代の貴族・歌人です。
6.墨坂神社
大海人軍の将軍、大伴連吹負(おおとものむらじふけい)は679年7月に乃楽山(ならやま)で南下してきた大野君果安(おおののきみはたやす)率いる大友軍と戦いましたが惨敗し、敗走中、墨坂で東国からの援軍、置始連兎(おきそめのむらじうさぎ)と合流の後、金綱井(かなづなのい、橿原市今井町あたり)で反転攻勢に出たようです。

「日本書紀」神武天皇即位前紀の条に、天皇軍が大和菟田に入られたとき、墨坂には敵軍による防戦のための爀炭(いこりずみ・山焼き)が見え、ここから「墨坂」の名が起こったとあり、この爀炭のため天皇軍は苦戦をしたが、菟田川を堰き止め消化して勝利したとも記されています。(墨坂神社畧記より)


4.編集後記
・タイトルの写真は、津風呂湖から望む、「龍門岳」です。
・この日、命題にしていた上記の名所・史跡以外に、ついでに寄ったところを紹介しておきます。
① うだ 薬湯の宿 「やたきや」
文祢麻呂の墓の近くに気になる建物が目に入ったので寄って様子をみてきました。気さくで上品なオーナーらしき女性が、経営されている 様子で、また改めて寄ってみようと思いました。
② 森野旧薬園
何度訪れても、絶対に飽きません。野草の宝庫です。この薬園については、また改めてご報告させていただきたいものです。
一度もご訪問になっていない方には、是非、お薦めしたいです。
③ 奥大和ビール
残念ながら、私は森野旧薬園を探索しておりましたので、今回は寄ることができませんでした。同行の嫁さんが、「旧薬園は暑過ぎ」とおっしゃるので(万博は暑くても気にならないらしい)ビールは飲めない人なので、カレーを食べて待ってもらってました。

④ 大宇陀温泉 「あきのの湯」
この温泉施設は今回初めて訪問。ひと風呂浴びてスッキリしました。
⑤ 「龍王ヶ淵」
久しぶりに行ってみました。オニヤンマ、ギンヤンマを撮ることが目的でしたが、ちょっとまだ猛暑のせいか、時期が早かったかもしれません。ギンヤンマはいましたが、動きが早すぎて、捕えきれず、撮影
の自信を無くしただけでがっかりでした。

自分で張り付けておいて申すのも愚かですが、この写真では龍王ヶ淵の良さは分かりません。この日は風もあり、リフレクションも上手く写せません。日によっては、東山魁夷の絵を彷彿とさせます。宇陀は、奈良県の中で気温の低い地域で、この辺りは雪も積もりやすいし、また、草花も種類が豊富です。この淵のほとりでは、天然の水芭蕉も観られます。
・ということで、この日も一日、とっても楽しく過ごせました。運転から解放され、風呂から出て、一日を思い出しながら飲む、ビールは最高ですね。


・今回も最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
