「無給」の現実と時給2,800円の引力。「とある外国語」を首席で卒業した私の行き止まり
伏線は、新婚旅行の異国の地にあった
夫の転勤に伴い、私たちの舞台は東京へ。
実はこの辞令が出た時、私は心の中で密かにガッツポーズをしていた。なぜなら東京には、ずっと通ってみたかった「とある外国語」のスクールがあったからだ。
その言語との出会いは、28歳の時の新婚旅行に遡る。 初めて訪れたとある異国で触れた、強烈な異文化。そして、まるで絵画のように美しく、複雑な文字。
「いつかこの文字を、自分の目で読めるようになりたい」
その日からずっと胸の奥に秘めていた小さな野望を叶えるチャンスが、ついに巡ってきたのだ。気合いが入りすぎていた私は、「そのスクールに通いやすい場所に住みたい!」と主張し、夫と喧嘩になった。結果的に、夫の会社とスクールの中間地点の賃貸物件を選んだ。
新しい沼と、不思議で充実した日々
無事に東京での生活がスタートし、私は平日は念願だったスクールにどっぷりと浸かりながら、同時に地区の日本語教室のボランティアにも参加し始めた。
午前中は異国の文字を追いかけ、週に一度は日本で暮らす外国の方々に日本語を教える。薬剤師としての日常からは想像もつかない、不思議で充実した日々だった。
猛勉強の末、私はそのスクールをなんと「首席」で卒業した。
「無給の研修生」とプラチナチケットの引力
「よし、卒業後はこの言語を使う仕事を目指そう!」
意気揚々とそう決意したものの、現実はそう甘くなかった。首席で卒業したとはいえ、その外国語をすぐに仕事にできるレベルには到底達していない。
それならばと、自身の体調不良の経験から興味を持っていた「漢方」の世界に目を向け、ある漢方クリニックのスタッフ募集に応募してみた。 面接まで漕ぎ着けたものの、結果は「研修生としての採用なら可能です」とのこと。つまり、無給で働くということだ。
勉強させてもらえるのかもしれない。でも、自分の時間と労働を「無給」で提供する覚悟は、当時の私にはなかった。私は丁重にお断りした。(先方もこの流れを期待していたのだろう)
そして結局、私はまたしてもあの「プラチナチケット」にすがることにした。 さまざまな薬局を超短期で渡り歩く「派遣薬剤師」として、再び白衣を着る決意をしたのだ。
提示された時給は、なんと2,800円。 つい先日「無給」を突きつけられた私にとって、この金額はあまりにも強烈だった。情熱や新しい挑戦の前に立ちはだかる、圧倒的な現実。「やっぱり、私には薬剤師しかないんだ」。そうやって、私はまた高時給という名の安全圏に逃げ込んだのだ。
それが私の、最後の白衣になるとは知らずに
超短期でさまざまな薬局を渡り歩く働き方は、決して「安定」とは呼べない。行く先々で違うルールに対応し、常に初対面の人間関係の中で即戦力として動かなければならない、気苦労の絶えない過酷な日々だ。
それでも、無職の宙ぶらりんな状態でいるよりは「働いている」という安心感が欲しかった。現場がコロコロ変わる大変さも、時給2,800円という高い対価さえあれば、なんとかやり過ごせるはずだった。
しかし、この時の私はまだ知らなかった。 世界を揺るがす未曾有の事態がすぐそこまで迫っていたことを。
そして結果的に、この派遣薬剤師として働いた最終日が、私の「薬剤師人生の最終日」になるということを。
