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沿道にオクラが生えている

沿道にオクラが生えている。

自宅近くには大きな道路が走っていて、長い沿道には植え込みが続いている。初夏には紫陽花が咲き、秋には赤い落ち葉が降ってくる。
自治体が管理しているであろうそこは、季節ごとに変わる木花が楽しく、車のゴウゴウとした音や人工的な景色を和らげてくれている。

戸建ての前は、住人が勝手に沿道で植物を育ててしまうのか、「勝手に植物を置いたり植えたりしないでください」と書かれた札を見かけた。庭がないおうちでは、地植えはのびのびと育って魅力があるのかもしれない。
しかし公共の場である以上、管理が必要だ。そのまま放置されて、枝やらツタやらが伸び放題になっても困るのだろう。そんなことを思いながら歩いていたとき、それはあった。

オクラだ。

根元はしっかり木のようになっていて、Y字のように本筋から1つ枝分かれした先に、緑色の太くて大きいオクラが実をつけている。それも、どういうわけか1つだけ。
元々は食べるために育てていたのかは不明だが、初めてそれに気がついたのはオクラの旬も過ぎた10月頃。そういえばオクラがなるところは見たことなかったなと思う。

その植え込みの前は戸建てがあるので、ここの住人が育てているのだろうか。
明らかに自治体が植えたものではない。沿道の花々と唐突に生えるオクラに統一感はないし、1つだけ残しておいてあるのもやたらに奇妙。オクラがなる枝先以外は刈られており、他の枝どころか実以外に葉っぱの1枚もない。本筋も短く切られている。それがまた、オクラのミステリアスさを引き立てている。
帰宅してからもずっと、あの1つのオクラが頭の中をチラついた。

オクラの道はうちからもかなり近く、また、スーパーへ行く通り道でもあるから、とにかく目にする。大通りの向かい側ではあるのだが、立派すぎてこちら側の歩道からでも確認ができる。
自治体の人だって、絶対にその存在に気が付いているはずなのだ。私物である以上、勝手に切るのもはばかられるので、立て札で注意を促していたのだろう。
しかしオクラは立て札から距離がある。住人は立て札に気付いていないのかもしれない。

今日もあるな。もう枯れたかな。自然に種が落ちるのを待っているのかな。少し色褪せてきたかもな。などと、通るたびに思う。
さらには、「植えた人は大切にしているだろうが、これだけ目立つオクラだ。誰かいじわるな人がやってきて、ある日この立派なオクラをこっそり切ってしまうのではないか」と無用な心配までしてしまう。

そういえば昔似たようなことがあった。バイトの後輩から聞いた、就活面接での話。

職場に行くと、後輩が半泣きだった。
先日の面接で、「最近気になっていることはありますか?」と聞かれたという。普通は時事ネタとか、業界のトレンドとか、そういうのを答えるのだろう。

しかし後輩は
「どんな天気でも、常に同じ場所にいる近所のカエル」
と答えたらしい。

「絶対間違えた!」と凹んでいたが、私は大笑いした。テンプレートの回答より、印象に残ることは確かだろう。私が人事だったら採用してしまうかもしれない。
就活の「正解」ではないかもしれないが、グッとくるものがある。何より、そのカエルのことが気になってしまう。
その会社かどうかは知らないが、後輩は無事就職したことは書き添えておく。

さて、話は戻ってオクラだが、その行く末はもうすっかり私の楽しみとなっている。
最終的にはどうなるのか。はぜて終わるのか、茶色くしおしおと枯れるのか、切られて消えてしまうのか。それはいつなのか。
なくなってしまったら、その次の夏にまた、オクラが実をつけるのか。

だからどう、ということもない。意味もない。
でも見過ごせない。
だからまたあの奇妙な姿を探して、オクラの道を歩く。


そう、ご機嫌で思っていた。
それなのに。


突然、オクラが消えた。


1月12日月曜日。
その日もスーパーへ向かう道中であった。
相変わらずあのオクラがどうなっているのか気になった私は、首を伸ばして大通りを挟んだ沿道を覗き見た。
すると、なんだかいつもとオクラのシルエットが違っている。
今までは、太い幹から分岐した細い枝の直線上にまっすぐオクラが生えており、Yの字をしていた。それがどうも、細い枝がくの字に曲がっているではないか!これは只事ではない。
私はオクラの状態を確認しに、慌てて横断歩道を渡った。


やはり細い枝が実の手前で折れていた。思えば昨日は強風だった。そのせいだろうか。まさか誰かが折ったのか。
急展開を迎えたオクラに心がざわめく。
しかし折れて千切れる訳でもなく、下にぶらりと垂れ下がる訳でもなく、妙な角度で留まっている。根性がある。相変わらず変なオクラだ。

オクラの実の先端は茶色く変色していた。流石に栄養が行き渡らないのか、そもそも時期的に枯れて種が落ちるからなのか。
いまだに私はオクラの生態をよく分かっていない。調べてしまうのも勿体無い気がして、調べないままでいた。
どちらにせよ、このオクラはもうあまり長くはないのだろうと予感させた。

できればあのまま真っ直ぐいて欲しかった。風で折れたのならば、それも自然の理ではある。
しかし私は、当然のように健康的に寿命を迎える想像しかしていなかったのである。
「オクラの行く末を楽しみにしている」などと第三者風に言っておきながら、想像以上に感情移入していることに気付く。
育ててもいないくせに、この如何ともし難い気持ちのやり場が見つからない。
どうしてやることもできないので、仕方なくその場を去った。

そして同じ週の土曜日。1月17日。
この日は駅へ向かう予定だった。やはりあのオクラの道を通るので、くの字のオクラがどうなったかが気になり見渡す。
オクラオクラ……と大通りの向かい側の沿道を見ながら歩く。
キョロキョロと見渡してから、あの時以上の異変に気付き、私はまた急いで横断歩道を渡った。


オクラは沿道から消えていた。
オクラの実もなければ、細い枝も、それどころか本筋の太い幹もない。根元からすっぽりと抜かれており、土の表面の穴とも言えぬ小さな凹みだけが、かつてここにオクラの木があったことを思わせた。

くの字に折れ曲がった姿を見た時、なんとなくこんな日が来るだろうとは思っていた。
でもあまりに急すぎる別れ。せめて枯れ落ちた実や枝くらいは見られると思っていた。それがこんな、何も残さずに消えてしまうなんて。

折れた枝を見た時以上のショックで膝から崩れ落ちそうになる。
まるで入院していた友人の、からっぽのベッドを眺めているかのよう。
そんな友人はいたことがないのだが——。


結局、私はこのオクラが誰かに何かをされている場面を一度も見ることがなかった。ただそこにある姿を、季節の移ろいの中で見守っていただけだ。きっと最後は折れた体を見かねた住人が、丁寧に幕を引いたのだろう。
さよならを言う暇も、看取る時間もなかったけれど、その幕切れはひどく清潔で、残酷なほどに日常だった。

明日からは、平坦になった沿道を見て寂しくなるのだろう。何もない土の上を、冷たい風が通り過ぎていく。不思議な存在が消え、綺麗に整えられた沿道はただ正常な顔をしている。
もう、無駄に横断歩道を渡る必要はなくなってしまった。

主役のいなくなったオクラの道を、私はまっすぐ駅に向かって歩き出した。

今年の夏、私はまたオクラを探す予定。






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Erika いつも一人相撲にお付き合いくださり、ありがとうございます。 おかげさまで、楽しい記事が書けます🍩