平和でおだやかなはずの記憶 - 衝撃の事実·第2弾
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わたしがいるのは小学校の教室。
自分の席から後ろを見ると、そっちは東。右側からはやわらかくて気持ちいい日差しが流れ込んでくる。
今はちょうど休み時間だ。
男子が何人か、教室の後ろに集まって話に熱中している。たぶん、アニメの話。
ここは日本の公立小学校で、6年生までの生徒が通う。私は上級生だから、もうすみずみまで知りつくしている。
学校の1日は休み時間がとても多い。4時間目の後には教室でみんなそろって給食を食べるし、30分の昼休みがあるし、それから校舎を全部そうじして、5時間目が始まる。
今はちょうど休み時間だ。
わたしは実はそのアニメを見たことがないけれど、もちろん知ってはいる。だって、知らないでいることのほうがむずかしいくらい大人気なのだ。わたしが見ない理由は、そんなに興味がないから。そして、お兄ちゃんがもうそんなに子どもじゃないから。
わたしのお兄ちゃんは2つ年上で、もう中学校に通っている。アニメはいつもだいたいお兄ちゃんといっしょに見ているから、1人で見るのはあんまり楽しくない。そしてお兄ちゃんはもう、そんなに子どもじゃない。
「やばかったな!」
「オレも見た!」
「オレ、気持ち悪くなりかけた」
「小さい子がいっぱいたおれたってのも分かるよな」
そのニュースはわたしもテレビで見たし、うちのクラスの先生からも聞いた。きのう放送されたポケモンの番組の中に赤と青の光がすごい速さでチカチカする場面があって、見ていた人が気持ち悪くなったという事件。とくにひどかったのは小さい子供たち。中にはてんかんを起こした子もいたらしい。
うちのクラスは、みんなだいじょうぶだった。うちの学校は、みんなだいじょうぶだった。
それにしても、わたしの中にあるこの感情は何なのだろう。アニメ見てたおれたりしなくてよかったな、と本当に思う。でも正直に言うと、心のすみの方に少し残念な気持ちがあるのも確か。これはきっと歴史的なしゅん間で、わたしもそれを体験してみたかった、ということなのかもしれない。
平和で規則正しくておだやかな毎日。もちろんそれがとてもすばらしいことなのは分かっている。だけど、おだやかすぎる世界にポンと落ちてきた大事件に、わたしの心はざわざわする。
90年代初頭、私は11歳か12歳だった。
これが、私の記憶。
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待ち合わせは9時半。雪の降り積もる冬の朝、私はニュルンベルクの玩具見本市へと急いだ。
会うことになっているのは日本人の男性で、さすがは専門家、ゲームやおもちゃにとても詳しい人だった。話しぶりから推測するに私より10歳下、もしくはもっと若いはずだ。
左手にポケモンのブースがあったので、その流れで話題はポケモンへと移った。
彼が言った。
「ポケモンショックのこと覚えていますか?あの時、僕は小学生だったなぁ」
私は答えた。
「ああ、私もです!」
上に書いたように、私はあの時の教室の光景をかなり鮮明に覚えている。だけど彼と私が同じ時期に小学生でだったというのは、どう考えてもおかしい。仮に彼が1年生で私が6年生だったとしても、実際の年齢差はそれよりずっと大きいはずだ。一体どういうことなのだろう。
どうしても気になるので、私はウィキペディアを開いてみた。
〈Dennō Senshi Porygon (…) is the 38th episode of the Pokémon anime's first season. During its sole broadcast in Japan on December 16, 1997, …〉
1997年12月16日。
念のため他のサイトもいくつか見てみる。
どこも同じ日付。
ということは、その時私は16歳だったはずだ。高校1年。小学校を卒業して4年も経っている。ということは、私の記憶は現実であり得るはずがない。
どうしてこんなことになったのだろう。
存在したこともない光景が、なぜこれほどまで現実らしく記憶されているのだろう。
これは、私が勝手に合わせた数々の断片から成る巧妙なコラージュに過ぎないのだろうか。
あるいは、記憶とは全て数々の断片から成る巧妙なコラージュに過ぎないのだろうか。
「平和で規則正しくておだやかな毎日」
と、私は書いた。
その記憶は、今次第に確かさと効力を失いつつある。
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