モネが憧れた青い睡蓮が咲く庭へ
2026年8月初旬、有休を取得して、高知県北川村にある「モネの庭 マルモッタン」を訪れました。
通信制大学の課題を提出し終えたら、ずっと憧れていたこの庭へ行こう!
そう決めて4月にツアーを予約し、この日を楽しみにしていたのです。
花の名前や庭の見どころを紹介するツアーだと思っていましたが、心に残ったのは、この庭を支える人たちの物語でした。

もう一つの「モネの庭」へ

モネの絵を好きになったのは、いつだろう。
気づけば何度も展覧会へ足を運び、モネが晩年を過ごしたフランス・ジヴェルニーの庭も訪れました。
パレットのように彩られた花壇、
青空を映し出すスイレンの池
あの夏の日は、今でも鮮明に覚えています。
その後、高知県にも「モネの庭」があることを知りました。いつか訪れたいと思い続けていた場所へ、ようやく足を運ぶことができたのです。
庭を守る仕事
開園30分前。観光客のいない静かな庭を、庭師さんの案内に耳を傾けながらゆったりと歩きます。



「ボルディゲラの別荘」(1884年)


小雨の中、園内を歩いていると、やがて日が差し始め、気温も湿度も一気に上がってきました。

それでも「水の庭」では、庭師さんが腰まで池に浸かり、水草や枯れ葉を一つひとつ取り除いています。
美しく整えられた景色の裏側には、庭師さんの日々の積み重ねが隠されていることを知りました。
ワイナリー計画が生んだ「モネの庭」

庭師さんから聞いた話の中で、最も印象に残ったのは、「モネの庭」が誕生した経緯です。
かつて北川村では、村おこしの一環として、特産の柚子を活用したワイナリー事業を計画していました。しかし、その構想は実現に至りませんでした。
ところが、その挫折が思いもよらない新たな挑戦につながります。
フランス文化への関心が高まり、「ジヴェルニーにあるモネの庭を、この村に再現したい」という夢が生まれたのです。
村の担当者は、アポイントもないままフランスへ渡り、ジヴェルニーを訪問しますが、責任者とは会えず……。
それでも諦めずに通訳を探し、何度も足を運び続けた結果、ジヴェルニーの庭の管理責任者、ジルベール・ヴァエ氏の心を動かします。
「モネの庭」を名乗り、「マルモッタン」の名を贈ることを正式に認められたのは、世界で北川村だけ。
しかも、金銭のやり取りは一切なかったそうです。
文化は土地とともに育つ

もう一つ心に残ったのは、ヴァエ氏の庭づくりに対する考え方でした。
庭づくりに対して、「こうしなさい」と教えることはありません。
伝えるのは、いつも
「ジヴェルニーでは、このようにしていますよ」という言葉だけだったそうです。
最初はその理由が不思議でしたが、あとで調べて納得しました。
ジヴェルニーは石灰質の土壌が広がる比較的乾いた地域。
一方、北川村は年間降雨量が3,000〜4,000mmにもなる雨の多い地域で、土壌の性質もまったく異なります。
このため、同じ植物でも、同じようには育ちません。
ヴァエ氏は、「同じ庭をつくる」のではなく、「土地に合ったモネの庭を育てていく」という考え方を大切にしていたのではないでしょうか。
文化を受け継ぐとは、形を真似することではなく、本質を理解し、その土地に合わせて育てていくことなのだと感じました。
モネが憧れた青い睡蓮

モネは晩年、熱帯性の青い睡蓮を咲かせたいと願い、温室まで造って栽培に挑戦しましたが、ノルマンディーの気候では開花しなかったそうです。
一方、北川村では、青い睡蓮が毎年花を咲かせています。
モネが育てることのできなかった青い睡蓮が、遠く離れた日本の小さな村で受け継がれている。
そう思うと、不思議な巡り合わせを感じます。

カメラのシャッターを切りながら、この庭が人から人へ受け継がれてきた物語に想いを馳せました。
何度もフランスへ通った北川村の担当者。
その想いに応えたヴァエ氏。
そして、暑い夏の日も池に入り、庭を守り続ける庭師さん。
人々の想いを受け継ぎながら育てられてきた「モネの庭 マルモッタン」
また季節を変えてこの庭を訪れ、その歩みをこれからも応援していこう。
何度も訪れたい「庭」が、また一つ増えました。

「モネの庭」は2025年に開園25周年を迎え、現在もリニューアルが続いています。最新情報は公式サイト等をご確認ください。
最後までご覧くださり、ありがとうございました。
こちらの企画に参加しました!

