コインランドリーに残す、40年の想い
これまで、仕事を通じてお客さまの資産運用や相続相談に携わり、さまざまな人生観や価値観に触れてきました。
その中でも特に心に残っている、ある出会いをお伝えします。
都内某所、趣のあるマンションの最上階に暮らすKさんご夫妻を訪ねた。
玄関に入ると、正面には引き出しがいくつも並ぶ和ダンス。
その上には、さりげなく置かれたドライフラワーのホオズキが目を引く。
「どうぞ上がって」
背筋をまっすぐに伸ばした73歳のKさんが出迎えてくれる。
Tシャツの袖からのぞく腕には、長年の労働で培われた力強さがにじみでていた。
本題に入る前に、ずっと気になっていたことを尋ねる。
「マンションの入り口の隣に、コインランドリーがあるんですね。このエリアでは珍しいと思いまして」
目を細めたKさんは、ルーフバルコニーから広がる青空を見上げながら話し始めた。
「ずっとここで、銭湯を営んでいたんだよ」
「東日本大震災のとき、屋根と銭湯設備が壊れてね。修理費用を聞いたら、とてもじゃないけど支払えない金額で……銭湯をやめることにした」
「これも時代の流れかな」
Kさんは静かに続ける。
「休みは年に一日、正月だけだったからね。家内も私も、体のあちこちを痛めていたんだ」
朝一番に湯を沸かし、客が帰ったあとも夜遅くまで掃除する毎日
40年以上にわたり、地域の人々の憩いの場を守り続けてこられたKさんご夫妻
その献身を想像すると、胸の奥がジンと熱くなる。
銭湯をたたむ日を尋ねると、Kさんは首の後ろに手をやりながら天井を見つめた。
「最終日は驚いたよ。誰かがウワサを聞きつけたのか、昔なじみのお客さんたちが次々と訪れてくれてね。最後の湯を一緒に楽しもうって」
銭湯をやめたあと、Kさんの住まいは銭湯組合のご縁から、自宅兼賃貸マンションへと生まれ変わった。
駅から徒歩3分、文教地区の好立地。ターミナル駅まで数駅の距離ということもあり、学生だけでなく会社員の住まいとしても人気を集めている。
「銭湯はね、もともと駅の近くに多いんだよ。だから、空室が続くことは少ないね」
家賃収入が落ち着き、今ではゆったりと暮らすKさんご夫妻。そんな二人が気にかけているのは、次世代の相続だ。
お子さまは二人。一人は同居し、もう一人はご家庭を持ち、お孫さんもいらっしゃる。
不動産の相続は、孫世代への配慮も含めて慎重に考えなければならない。
公正証書による遺言を提案しようとして口を開きかけると、Kさんがまっすぐにこちらを見つめて言った。
「これからは相続の準備もしていかないとね。良いアイデアがあったら、また教えてほしい」
そう言ってニカッと笑った表情には、かつて『銭湯のオヤジ』だった頃の温かい風格が漂っていた。
今も残る『コインランドリー』は、Kさんが守り続けた『憩いの場』
街で銭湯を見かけることも少なくなった。
外出先で銭湯の煙突からたなびく湯気を見るたびに、Kさんのことを思い出す。
あの場所には、きっと誰かの大切な物語が息づいているのだろう。
私たちの街には、表からは見えない物語が隠れている。
日々の暮らしの中で、歴史に想いを馳せてみると、新たな発見があるかもしれない。
東日本大震災から14年
あの日をきっかけに、Kさんは銭湯を手放す決断をしました。
しかし、憩いの場を守りたいという想いは、今も変わらず生き続けています。
時代とともに街の景色は変わっても、
人々の記憶やつながりは消えません。
震災をきっかけに変わったもの、変わらず受け継がれるもの。どちらも忘れてはいけない記憶
あの日を思い出しながら、自分にできることを考えたとき、気づきました。
それは、言葉にすること。写真に残すこと。
誰かの記憶が、未来へとつながっていくように。
