祖父との想い出と座右の銘。
今日は大好きだった祖父の話を書いてみようかな、と思います。
ちょっと長いです^ ^
戦争を生き抜いて。
母方の祖父は大正11年生まれ。生きていれば、今年で100歳だ。
その時代の方は皆そうだが、戦争を生き抜いてきたうちの1人だ。
戦争中は音楽隊を経て、特攻隊で飛行機の操縦を教えていたらしい。たくさんの若者を見送る役目を担っていたと聞いた。
きっと想像を絶する過酷な任務だっただろう。そして、敗戦の無念さは計り知れない。
戦後は、その教え子たちの名簿作りに協力することが晩年まで続くライフワークだったようだ。全国の遺族と連絡を取り合っていたのかもしれない。
私たちに戦争の実体験や悲惨さをわざわざ説くことはなかったけれど、時折聞くエピソードだけでもその怖さは十分伝わっていた。
戦後の様々な仕事。
「字が下手すぎて辞めた」という教師時代は理科を担当していたらしい。
物理の話、天気の話が得意だった。話し出すと止まらなかったが、子ども時代の私にはちんぷんかんぷん。あんまり聞いていなかったように思う。
戦後は文房具屋を始めたと聞く。祖母と結婚し、母と叔父2人が産まれた。
その後、様々な商売をしていたらしいが、うまくいかなかった時代もあり、途中から雀荘も兼業していたらしい。叔父の1人はその収益で大学に行かせてもらったと言っていた。
その後、酒屋を始める。アルコールはほぼ飲めなかったらしいが、全国に芋焼酎を広めるために気合いで飲んだと言っていた。身体は無理していたと思うが、本当に少しずつ飲めるようになったらしい。
私が物心ついた時には完全に酒屋のおじいちゃんだった。バイクで配達もしていた。
私は、店番する祖父の横に椅子を並べて座っていたこともある。常連のお客さんが来るとお小遣いをくれたりもした。
そして私たち孫が遊びに行くと、好きなの取っておいで、と店の缶ジュースを選ばせてくれた。子ども心には何よりうれしかった。
多趣味、雑学王。
そんな祖父は釣りと囲碁が趣味だった。
釣りに関しては潮の流れや天候、月の満ち欠けまで調べ、出かけていた。
太刀魚や鯵、時には鯛も釣り上げていたようだ。
囲碁は近所に住んでいる兄弟やその家族と打つのを楽しみにしていた。
テレビの囲碁講座を観ながら碁石を並べて研究していることもあった。
また、大正琴やハーモニカを独学で演奏していて、ハーモニカは近所の方に教えたりもしていた。その楽器は母が引き継いで、今も実家で大正琴の先生をしている。
他にも私が知るだけでも将棋、麻雀、詩吟、読書、ルービックキューブなどやっていた。多趣味だったと思う。
祖母が早くに亡くなってしまってからは1人暮らしだった。それもあって趣味に没頭していたのかもしれない。
どれも本気で取り組む趣味だった。趣味だけじゃなく、世の中のことに関しても細かなことまで知り尽くし、必ず考察していて、何を聞いても教えてくれていたように思う。得意なことになると特に多弁だった。
密になれた時間。
子どもの頃は祖父宅から車で片道2時間ほどの距離に住んでいた。長期休暇に加え、毎月1〜2回は会いに行っていたと思う。
でも中学生くらいから勉強や部活で忙しくなり、私が両親に同行することも減っていった。
大学になるとさらに県外に出たため、年に1回会うか会わないか、だったと思う。
でも、たまたま就職前に研修先となった施設が祖父の暮らす町の隣町だった。
それで、その9ヶ月間、月1、2回は会いに行った。少し大人になってから聞く祖父の話は深みがあり、とても面白かった。名物の饅頭を買って行くと、うれしそうに受け取り、本当に美味しそうに食べていた。
印象深いエピソードは、私の住んでいた町が水害に遭い、一緒に研修していた友人と祖父の家に避難したこと。それと私が体調を崩して入院した時に、両親より先に駆けつけてくれたこと。
心配もかけたが、その9ヶ月間は私にとって、祖父と密になれた貴重な時間だった。
ただ、その頃から少しずつ体調を崩すこともあったらしい。
その後私は就職し、またなかなか会いに行けなくなった。入退院を繰り返したあと、実家に近い病院に移り、亡くなった。母や叔父家族に囲まれて幸せな最期だったと思う。
私は立ち会えなかったのだけれど、祖父との想い出を胸に、葬儀場に向かった。
黒板に残されていたもの。
そして葬儀も無事に終わり、祖父の家に皆で集まった。
居間には、予定を書き込む壁掛けの小さな黒板があった。祖父が教室や趣味の予定を書いて使っていたものだ。
晩年は何も予定は書き込んでいなかった。
でも、ひとつだけ祖父の書き置きがあったのだ。
縦書きの白い線を無視して、横に書いた一文。
そこには白いチョークで、
「情けは人の為ならず」
とだけ書かれていた。
一瞬、目を疑った。
これ、いつ書いたんだろう?
皆に聞いたけど、誰も知らなかった。
祖父は自分のために書いたのだろうか?
私は違うと思った。
きっと私たちに遺してくれたんじゃないだろうか。
たくさんの経験をしてきた祖父。辛いこと、苦しいこともたくさんあったと思う。
でも、人生は、人は素晴らしいよ、と教えてくれていると思った。
その一文に、祖父が私たちに伝えたかったすべてが詰まっている気がした。
筆圧が落ちていたのか弱々しい文字だったけれど、だからこそ胸に響くものがあった。
それからは、私の座右の銘にしている。
「情けは人の為ならず」。
あの一文を思い出す度に、人に優しくありたいと思う。
そしてそれは巡り巡って自分を幸せにすることでもあるから。
あれから随分と経つけれど。
なかなかお墓参りにも行けないけれど。
あの黒板と文字はまだ残っていると思う。
時折ふと思い出しては、祖父のことを想う。
そして、やっぱり文字の力はすごいと改めて思うのだ。
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長文を最期まで読んでいただき、ありがとうございました。
