はじめて買ったフィルムカメラが壊れたので、最後にフィルム1本撮った
フィルムで写真を撮りたいと思って初めて買ったフィルムカメラはCanon AE1だ。
大量生産されたフィルムカメラで希少なものでもなく、購入した当時は中古でレンズ付きで5000円くらいで出回っていた。当時働いたていた職場近くのカメラ屋さんで偶然に見つけて手に入れた。
創作活動を始めたころ、私はこのカメラで写真を撮っていた。
写りが抜群にいいわけではない。けれど、目の前の景色に心が揺らいだ瞬間に撮影した写真たちは、いま見てもあのときの心情が湧きだってくる。







隣に友人や恋人がいても、どこか孤独を感じたとき。ひとりでいるのに、寂しさを感じず、心が穏やかな気持ちでいたとき。将来に対してぼんやりと不安を感じたとき。目の前の風景と私の心が緩やかに繋がった瞬間、シャッタを押した。
とてもお気に入りの写真ばかりで、いまでもよくSNSでシェアすることがある。
10年ほど前、それらの写真を集めてとあるカフェで写真展をした。思った以上にたくさんの人が来てくれて、偶然にカフェに来店して私の写真に出会した人たちも含め、芳名帳にはたくさんの感想が書かれていて驚いた。
「さみしいけど、あたたかさを感じる」という感想がより多く印象的だった。
このとき撮った写真は、誰かに見てもらいたいと思って撮ったものは一枚もない。自分の気持ちを留めておきたくて撮った写真ばかりだ。
それでも、自分が感じたことが、写真を見てくれた人の心の奥底にある気持ちと繋がっていくようで、創作の醍醐味を知ることができた写真展でもあった。
あのカメラを手に入れて15年ほど経つ。今まったく同じものを撮れと言われても撮れない。どうやって撮ったかも覚えていない。「この気持ちと瞬間を撮りたい」という初期衝動的な気持ちもなくなってしまった。
私という人間が変化していき、撮る写真も変わってしまったのだろう。
ある日、カメラをしまっている防湿庫を整理していたら、ひさしぶりにCanon AE1がふと手にふれた。
売るにしても値段にならないだろうな、と思いながらファインダーを除く。カビが生えてしまってほとんど見えなくなってしまっていた。
もうカメラとしては機能しない。けれど、あのときに目の前に広がる情景を無心でシャッターを切っていた気持ちに触れてみたくて、最後にフィルムを1本入れて撮ってみることにした。
晴れの日の公園でひとりで撮ってみたり、夫とでかけて撮ってみたり、友人と遊んだときに何気なく撮ってみた。とくに目的はなく、自分でいいなと感じたときにシャッターを押した。ファインダーはほぼ見えなくなってしまったけれど、なんとなく「今だ」という瞬間にシャッターを切った。
仕事でも、創作活動でもなく、ただ撮りたいと思ったものを撮るのは久しぶりで、だからこそより心が揺れる瞬間にシャッターを押したのを覚えている。こんな気持ちで写真を撮ったのは久しぶりだった。
私はフィルムの現像はお店に出すけれど、現像されたフィルムをPCに取り込むスキャンは自分の手でしている。フィルムをスキャンすると、ぞくぞくと撮った写真がパソコンに取り込まれていく。確認した写真はほとんどピントもあってなく、露出もうまくいっていないものばかりだった。
けれど、ちょっとだけうまく撮れたものがひまわりの写真だ。休日に夫とひまわりを買って、公園の噴水近くで撮った1枚だ。

なんでこんな写真が撮れたのだろう。Canon AE1を持って、余計なことは考えずにもくもくとシャッターを押していた、あの頃に撮った写真のようだった。いまの私には撮れない写真だ。
そして、友人を撮影した、もう1枚。近所に住んでいた友人と会う機会がありせっかくならばとカメラを持って会いにいった。ランチの後、彼女と公園を散歩しながら撮った写真だ。
歩きながら、彼女の身の上話を聞いていた。仕事のこと、東京に住んでいること、いろんな不安を打ち明けてくれた。そんなときに、ふと壁に映る木漏れ日が彼女を暖かく包み込んでくれるように見えて、思わずシャッターを押した。
ファインダーはほぼ見えない。現像後にスキャンして見返すと、ピントはあっておらず、「失敗したな。」とため息をつきつつも、彼女がボヤけた感じと、色味、木漏れ日の幻想的な写りが不思議とじんわり温かい気持ちにさせてくれた。

友人にシェアは「あまりよく映らなかったのだけど」と前置きして渡した。彼女からはとくに感想もなかったので、「壊れたカメラでこんなものが撮れたんだ」くらいに思ったのだろう。
でも、しばらくして彼女のSNSを見ると、プロフィールの部分にある小さい丸の部分のアイコンがこの写真に変わっていた。小さく丸く、でも確かに彼女がそこにはいた。失敗したと思った写真。なぜこの写真を使ったのか聞いてみると、一言だけ返事をくれた。
「なんとなく、自分のいまの気持ちと近かったから」
その言葉に、壊れたカメラだけど、きちんと撮れたんだな。写っていたんだなたと思った。
もう処分しようと思って机の隅に置いておいたカメラをそっと撫でる。最後に、写真を始めた頃の気持ちや感覚を味わうことができた。感謝と労いの言葉を声に出して伝えた。
あんな写真を撮ることはできないだろう。でも、写真は残っている。写真を見返して、あのときの「撮りたい」という気持ちはいつでも呼び起こせるようにしておきたい。
今の自分は創作活動をはじめたころとは、だいぶ環境が変わった。写真を仕事にしているし、大きなところで個展ができるようになった。ありがたいことに、私の写真を楽しみにしていると言ってくれる人もいる。
そして、プライベートでは結婚もして子どもが生まれた。
写真を始めた頃の自分とはまったく違う人間になってしまった。
撮りたいものも変わってきて、より具体的な、人を惹きつけるような写真を撮っている気がする。
それが今の自分なのだと思う。
今の私も、この瞬間にしか撮れない写真を撮っているのだろう。もうちょっとすると、また「あの頃の写真はもう撮れない」と思ってしまう気がする。
だから、今、自分に撮れるものを、まっすぐにファインダーを向けて撮っていけたい。

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