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夏が来ると読みたくなる川内倫子の写真集「うたたね」

夏が来ると川内倫子さんの写真集「うたたね」を手にとりたくなる。

クーラーが効いた涼しい部屋、夏の日差しが差し込む窓辺で、冷たい飲みものを片手にゆっくりとページを眺める時間が好きだ。

「うたたね」は、日常にひそむ小さな事象のなかに深い哲学をそっと語りかけてくれる。

写真集を"読む”という体験をしたのは、この写真集がはじめてだ。

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鯉、雲、カラス、カーテン、おじいちゃん、タイヤ、目玉焼き、蟻、蝶など、ただ日常を撮った写真集。なにげない風景、さもすれば見落としてしまいそうな草花や小さな虫たちに目を向ける。川内倫子のカメラを通すと、ただのグラスがキラキラ光る宝石になり、一匹の蟻がスタイリッシュに変身し、鳩の死骸が恐ろしくて近寄れない空気感を漂わせる。やさしさと隣り合わせに存在する怖さ。生と死を強く感じさせる一冊。

川内倫子さんオフィシャルサイトから引用

2001年に発売され、「写真界の芥川賞」とも称される木村伊兵衛写真賞の第27回で受賞した作品。

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「うたたね」と出会ったのは2005年頃。ちょうどカメラを日常でも持ちはじめて、友人やスナップを撮り始めていたころだった。「写真」というものに興味を持ちはじめて、作家の撮る写真集を見るようになったのもこの頃だと思う。

1990年代後半からはじまったガーリーフォトブームが蜷川実花やHIROMIXによって巻き起こされ、よく彼女たち女性写真家の作品を見ていた。彼女たちが自身のセルフ・ポートレート(ヌードを含む)、友人、身近にあるものをコンパクトカメラで撮影した写真は、技術を求めるのではなく、その「未熟さ」がとても惹きつけられた。

その写真たちには彼女たちのたくさんの意思とノイズが混じり合っていた。

また、2000年から漫画「NANA」の連載がスタート。同じ名前を持つ「NANA」という女の子ふたりが東京で自らの意志で、運命を、切り拓くという物語。

当時の雑誌を見てみると「Zipper」などの原宿系の青文字雑誌が全盛期。

この頃は「女の子」が自分の力でやりたいことに突き進んでいく、表現していく黎明期だったのかもしれない。

けど、このすべては結局は東京での話。田舎育ちの自己肯定感低めな私にとっては、カラフルで華やかな写真集や漫画、雑誌などのカルチャーを手に取ってワクワクして楽しむだけ。憧れるのが精一杯だった記憶がある。

こんな風になりたいとは思うことさえなかった。

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そんな時期に出会ったのが川内倫子の「うたたね」だった。ガーリーフォトブームとは時代がほぼ被り、蜷川実花たち女性写真家と同世代ではあるけれど、川内倫子の写真には「女の子」はいなかった。

そこにあったのは、いまも誰かの日常で起きているかもしれないような、そして見落としてしまうかもしれない風景。写真に映るのは半径30センチにある隣にいる誰かの手元から、ふと目に入るどこにでもあるような日常の事象、ずっと遠い遠い雲。

しかし、よく読み込んでいくと、見開きの両ページの写真が「生」と「死」で対になっている。生まれてくるものと死んでいくものがあらゆる表現で写真集のなかでゆらゆらと流れていく。

「鯉」「赤ちゃん」「花」「老人」「死んだ鳩」「水面のキラキラ」

とても静かな世界のなかで繊細さや不安定さを感じながらひとつの写真から意味や感情をたどっていく。そして、次のページに向かっていく。「生」と「死」という両極端なものなのに、それらはすべて平等に同じものとして写真に収められている。

「うたたね」を見ていたとき、東洋哲学の本に書かれていたことを思い出したことがある。

自分は鳥であり、草であり、空であり、水であり。すべてはすべてである。ゆえに自分も鳥もすべては宇宙である。ということが書かれていた。(ざっくりですが。間違っていたらすいません)

「うたたね」にも同じような哲学を感じる。

「うたたね」の写真は一つひとつはまったく違う場所で撮られた写真なのに、縁で繋がっているように感じる。そして、遠いとおいどこかを感じることができる。

夏に読みたくなると感じるのは、写真に「ひまわり」「半袖の少年」「夏祭り」「すいか」「雷」など、夏のものが多いからかもしない。

そして、夏は日差しや風、雨の匂いなど五感を感じることが多い。外の世界で受ける自然の刺激が、宇宙と繋がっているような気持ちになるのかもしれない。

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「うたたね」を読んだとき、「こんな写真を撮ってみたいな」と思った。

いわゆる川内倫子さんの写真の特徴と言われるものは「被写界深度の浅さ(ボケのあるやわらかさ)」「淡い色」「やわらかい光」だと思う。これらの特徴は技術によってマネはできるし、よく目にすることがある。

ただ、結局それは「川内倫子っぽい」で終わってしまうのだと思う。

ファインダーをのぞいてシャッターをきった写真は、ファインダーから見た世界そのものであり、世界のすべてであり、宇宙を感じる。

そんな写真を撮ってみたいと私は思っている。

どなたかの「うたたね」の感想で「走馬灯を見ているようだ」と言っていたのを目にしたことがある。

それは自分自身が宇宙にかえっていく瞬間に感じるものだからだろうか。

できれば、私が撮った写真も、自分が死んでいくときに走馬灯のように流れてきてほしいなと思った。

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こんなふうに、ひとつの写真集を自分なりの視点で意図を紐解いていく体験は「うたたね」がはじめてだった。これが写真集を”読む”という行為なのだと感じた瞬間だ。そして、何度読んでも、そのときのいまの自分の視点で読み解くことができる写真集なのだ。

いまでは他の写真集も同じように、自分の視点で読み解くおもしろさをもって楽しんでいる。

正解はない。だから、写真集を読むのはおもしろい。


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三浦えり 最後まで読んでいただいてありがとうございます。スキやフォロー、コメントをいただけると、みなさんの反応が知れて嬉しいです。