桜が散る頃に思い出すーー坂本龍一『Aqua』が、高校時代の私にピアノを通して教えてくれた表現の原点
桜が散る頃に聴きたい音楽がある。
思い出すのは今年の春で二度目だ。
2023年の3月28日に坂本龍一がなくなった。
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わたしは小さい頃からピアノを習いはじめ、高校生までピアノ教室に通っていた。中学・高校時代は合唱コンクールでピアノ伴奏をしていたので、クラスではピアノが上手な存在くらいの腕前だ。
ただ、長く続けていただけあって、ピアノに向き合えなくなってしまう日が来てしまった。
高校生になり、新しい環境で、友だちも増えて、行動範囲も広まり、たのしいことがたくさん増えた。比例して、ピアノを弾く時間が減ってしまった。
それでもピアノを続けていた理由は、中学時代につづき、合唱コンクールで伴奏者として選ばれたこと。そして、ピアノが上手なことが自慢だったから。自己肯定感低めなわたしにとっては、誰かに披露できる唯一得意なものがピアノだったから、続けていたのだろう。
ピアノの先生も、わたしがピアノから気持ちが離れていくのを感じていた。クラシックではなく歌謡曲を課題曲にしてくれたり、教室代表でオーディションに出してくれたこともあった。でも、なかなかモチベーションはあがらなかった。
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ちょうどそのころ、同じようにピアノが得意な中学時代の友だちの家に休日あそびに行った。友だちとは、よくお互いにピアノ曲を披露したり、楽譜を貸し借りして遊んでいた。
「えりちゃんが好きそうなピアノ曲だと思う」
そう言って、友だちがひとつの楽譜を渡してくれたのが、坂本龍一の「Aqua」だった。
CMで話題になったenergy flowや、戦場のメリークリスマスのMerry Christmas Mr.Lawrenceは知っていたけれど、「Aqua」は知らなかった。(後に娘さんの坂本美雨さんに向けて作った曲と知った)
なぜ、友だちは「Aqua」をすすめてくれたのだろう。わたしが、もともと感情むき出しで心が激しく揺さぶられる音楽より、心が落ち着くゆったりした音楽が好きなのを知っていたからかもしれない。また、このときピアノ教室での課題が難曲になっていて、弾けないイライラを相談していたので、弾いて癒されてほしい気持ちがあったのかもしれない。(想像だけど)
友だちが試しに弾いてくれた。序盤からゆったりと話しかけるようなメロディ、美しい水滴のような音の粒、後半になるにつれメロディと伴奏の重なりあう心地よさ、何度も繰り返されるフレーズだけれど、飽きない、むしろずっと鳴り続けてほしいとさえ思ってしまった。環境音楽のような、その空間を彩るメロディがさすが坂本龍一……!そしてなにより、メロディがわたしの心にすごくしっくりときたのを覚えている。
目的もあやふやなまま課題曲に追われてピアノを弾いていたわたしにとって、「Aqua」は弾くことでただただ自分を癒してくれる曲になるんじゃないかと思った。なんとなくピアノを続けていたわたしには、そんな曲が必要なのかもしれないと思った。わたしはこの曲を弾いてみたいと思い、楽譜を借りた。
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同じタイミングで、高校の音楽の授業のテストで、自分でピアノ曲を選んで弾くという課題が出た。生徒によってはまったくピアノに触れたことがない人もいれば、わたしのような小さいころからピアノを弾いていた人もいる。難しい曲が弾ければ点数が高くつく、というよりは自分で選んだ曲にしっかり向き合い弾くことができるかどうかがテストの点数になるということだった。
テストは授業中にクラスのみんなと先生に披露することになっていた。ちょっとした発表会のようなものだ。
このテストでわたしは坂本龍一の「Aqua」を選んだ。いまのわたしの実力を見せるとしたら、ピアノ教室で習っていた難易度高いクラシックの曲を披露して、みんなを「すごい!」と驚かせることもできたと思う。けれど、このときはいまの自分に一番しっくりくる曲を、一番身近なクラスの友だちたちに聴かせたいなと思って選んだ。
「Aqua」はピアノ教室の先生に習うことなく、わたしひとりで練習をした。ずっと自分の実力より難しい課題曲ばかり挑戦していたので、当時のわたしは練習に対してかなり焦燥気味になっていた。でも、「Aqua」を弾けるように向き合う時間は、ひさしぶりにピアノの練習がたのしいと感じた。
そんな簡単に弾ける曲ではなく、同じフレーズを何度も繰り返し弾きなおした。ひっかかって止まってしまう苛立ちよりも、弾けることで前に進める嬉しさの方が強かった。そして、その嬉しい感情に「Aqua」が寄り添ってくれて、心のなかで曲が流れてくれることがとても心地よかった。
弾けるようになったときは、あまりにうれしくて飽きずに何度も弾いた。
自分が弾いた曲で自分が癒されるという感覚はピアノに出会ってから、はじめての感覚だった。
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練習した曲を披露することになる音楽の授業の日が来た。ピアノの発表会ではとてつもなく緊張して、トイレに何度も行ってしまう人間なのだけれど、このときは、緊張はまったくなく、自分がただただ心地よく弾くこと、聴いてくれたクラスの友だちが、自分と同じように癒されてくれたら嬉しいなと思いながら弾いた。
弾き終わったあと、みんなの反応は正直覚えていない。
ピアノの上手な友だちが超難易度の曲を弾き終わったときには、ものすごい拍手がおきた。わたしにはそれがなかったことは覚えている。けれど、弾いたあとに、わたし自身が清々しい気持ちと達成感を感じていた。
曲を弾き終えて、ピアノから離れようとしたとき、先生が「これは誰の曲なの?」と声をかけてくれた。坂本龍一の「Aqua」だと伝えた。
「坂本龍一の曲でこんな曲があったんだね。知らなかった。すごく素敵な曲だった。教えてくれてありがとう。聴けてよかったよ。」と先生は言ってくれた。
このとき、わたしはすごく胸がドキドキした。
ピアノを弾いて10年以上たつけれど、自分の表現が誰かに伝わるといいなと行動して、きちんと誰かの心に届いたと実感できた、はじめての経験だった。
20年ほど月日が経過し、わたしが向き合っているのはピアノではなく、写真になってしまったけれど、わたしの表現活動の原点はきっとこの瞬間だったのだと思う。
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2年前の春、坂本龍一がなくなった。自分の一部が失われたような気持ちになった。「Aqua」という曲を披露したできごとは、表現活動をするわたしを形成するうえで、とても大切な体験だった。
そのアイデンティティが、彼の死と一緒にわたしのなかで失われてしまいそうだった。美しいと感じたものをすくいとり表現することができなくなってしまうのではないかと、喪失感とともにとてもとても不安になった。
そうならないように、失われそうものを取り戻したくて、ずっと「Aqua」を聴いていた。いつもなら心地よい癒しの曲だけれど、そのときは、「なくならないで欲しい」と願いながら聴いていた。聴くたびに、自分にとって表現することは生きていく糧なのだとひしひしと感じた。
そして、近所の歩道橋を歩いているときに、大通りの桜並木が春風に吹かれて、桜吹雪が舞い散った。美しい光景だなと思った。そして、この瞬間を写真で残して、誰かと共有したいなと思った。
そのとき、ああ、大丈夫、失われてはいないなと思った。
まだわたしは、表現したい気持ちがちゃんと身体のなかに残されていたんだ。
とても悲しいけれど、これから先、春になって桜の花びらが散る景色を見るたびに、「Aqua」を聴くのだろう。高校時代に「Aqua」を弾いて、先生にかけてもらった言葉を思い出す。そして、大丈夫、これからも表現し続けていこう、と思うのだろう。

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このnoteはパーソナル編集者®︎が主催するnoteの投稿企画「みんなのnote投稿コンクール」のテーマは、「 #春になると思い出すこと 」をお題に書きました。
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