スーさん、美香さん、おはこんばんちは(1)

私は、TBSラジオ「ジェーン・スーと堀井美香の『OVER THE SUN』」の互助会員(リスナー、ファン)である。
今は聴ける気持ちの時に聴いているが、お二人や互助会員さんのエピソードを聴き、私もメールを送りたい衝動に駆られることが多くある。そして、募集されたメールテーマについてメールを作り始めるのだか、番組収録日までにメールの作成が間に合わないことも多く、それに加え、書き上がったものはかなり長文で自己愛が臭い漂う内容になってしまう。。。それは、まあ、いつもなのだけれど。。。
そこで、そのメール文をここに投稿するのはどうかなと思った。
私はこの場を、いつかの自分の振り返り用として使わせてもらいたいと思っており、スーさんと美香さんへのメールも私にとっては振り返りたいものだから。
noteをどう使うのが正しい使い方なのだろうと考えてしまうが、このように開かれている場なのだから、恐る恐るではあるが遠慮せず、この場を借りてみる。

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件名:私のシャカリキエピソード

スーさん、美香さん、おはこんばんちは。オバサンネーム・えりあし さむ子と申します。

私は夫に「こん・つめ子」と度々呼ばれることがあるのですが、色々と必死に動いてしまう性分です。認められるため、褒められるための必死さから、ずっとシャカリキって生きてきました。

一番無我夢中にシャカリキだったのは、30代前半、作品の展示や小さな作品集を制作していた頃のことです。

13年前「もう生きていたくない」と思った30歳の頃、ノートのページをただただ線で埋め尽くすことに没頭しました。それを描くことでまだ少し生きられるような気がし、やっと趣味が見つかったようにも感じ、興味を持ってくれる人も現れ思い切ってギャラリーを借り展示をしました。

アートの知識や経験は皆無で、額装からDM配布などやることと、こだわりたいことだらけでした。会社員の仕事と並行し、ひたすらにシャカリキな日々でしたが、2度目の個展に向け仕事を辞め、結婚直後の夫とは別居のまま、ひたすらに制作に根を詰めまくりました。

結果、いくつか作品が売れ旅立って行きました。クリエイティブな趣味もなく事務職を渡り歩いていた私にとっては、想像したこともない景色を見ることができました。しかしその後、制作依頼をいただいても「求められること」に取り組もうとすると、どうしてもシャカリキになりきれず、描くことを楽しめなくなっていきました。

その後、夫との生活や体調の試行錯誤を繰り返す中で、今の障害のある方のサポートの仕事に出会いました。ふと興味が湧き、求人を出していない企業にダメ元で連絡し、運良く採用されてから約6年。非正規で、休職もありましたが、今もそこで働いています。たった6年ですが初めて続いている仕事です。

これまでの私のシャカリキマインドは、ゼロか100かでした。でも、もしかしたら、出力パワーの微調整が必要なのかもしれないと、最近思い始めています。
やりたいことに全力で取り組めるよう、的を絞ってフルパワー発動するための操縦練習を重ね、今のところ、休憩ができるようになり、気持ちも体調も落ち着き始めたように感じます。

「絵で認められる」ということを夢にしようとした30代。それは、自分から湧いたものではなく、私の親が喜びそうなこと、世の中で「かっこいい」と褒められそうなこと、「何かを成す」ことに繋がりそうなこと、、、それらが根底にあったのだと思います。

今はシャカリキをフルパワーで発動させたいほどの夢はありませんが、自然に関心を持ち続けられる現在の仕事に出会い、「ともに生きていくこと」の試行錯誤を繰り返しています。
他者をサポートするということが、こんなにも自分と向き合うことであり、そしてサポートしているはずの相手に助けられることだとは思いませんでした。
生まれてからこれまでに染み付いた反応や振る舞い、考え方、呪いをほどきながら、長く試行錯誤を続けられるように、シャカリキは出力控えめでいきたいなと思っています。

長文失礼しました。書いてみて、どこまでも自分のことしかないなと情けなくなりますが、お2人の存在が「今は安心して、自分のことに取り組んでオッケー!」と言ってくれている気がしています。

まだまだ暑い日が続きそうですね。どうか、みなさま、くれぐれもご自愛ください。

オバサンネーム
えりあし さむ子

追伸
5歳の頃、初めてできた推しは内海くんでした。

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2026年7月24日配信Ep.300にて募集のメールテーマ「私のシャカリキエピソード」を聴いて

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