エッセイ①感情、性格はどこから生まれるのか
感情、性格はどこから生まれるのか
1. 人には、いくつもの「顔」がある
人には色々な顔がある。
そして、“本当の顔”なんて、誰にもわからない。
もちろん、自分自身にも。
そもそも「本当の顔」という表現自体が、とても曖昧だ。
なぜなら、人間の心の中には、様々な感情が同時に存在していて、そのどれもが嘘ではないから。
子どもに対する愛情があっても、自分を裏切った人への憎しみを抱えていることがある。
優越感と劣等感が同居することもある。
それは決して特別なことじゃない。
「いい人」や「悪い人」というラベルでは語り尽くせない、複雑さがそこにはある。
2. 感情は、人との関わりの中で生まれる
推しに対する「好き」もあれば、恋する心もある。
時に歪んだ愛情がストーカー行為をひきおこすこともある。
そうした感情の可能性は、どんな人間にとっても、無限にあると言っていい。
そして、そうした感情の多くは、人と触れ合うことで生まれてくる。
言葉を交わすこともあれば、言葉がなくても、その場の空気を共有することで湧いてくる感情もある。
同じ出来事に触れても、同じ言葉をかけられても、人によって感じ方は異なる。
その感情がどう表出するかによって、まわりの人は「この人はこういう人間だ」と評価をする。
それが、性格とか人格と呼ばれるものの正体なのかもしれない。
3. 感情は「経験」から育まれる
感情はどこから生まれるのか。
もちろん、生まれつきの気質や傾向はあるだろう。
しかし、その多くは「経験」によって形づくられていく。
過去に受けた言葉や態度、環境の中で蓄積された記憶。
その記憶が、似たような状況に出くわしたとき、無意識に心の反応としてあらわれる。
極論に聞こえるかもしれないが、感情は知識から生まれる。
言い換えれば、感情は「考え方」から生まれると言ってもいい。
4. 環境により形作られる「性格」
たとえば、愛情深く育てられた人は、「自分は受け入れられる存在だ」という感覚を持ちやすい。
自己肯定感が育ち、他人を認めることにも躊躇が少ないだろう。
しかし中には、「自分が一番に認められなければ」と不満を感じる人もいる。
それもまた、経験によって育った「感情の反応」であり、その人なりの“学びの結果”とも言える。
一方、愛情を受け取れなかった人、あるいは愛情をかけられていたにもかかわらず、それを受け取れなかった人は──
何気ない日常の中でも、心がネガティブに反応してしまうことが多くなる。
これらの反応の差を、人は「性格」と呼んでいるのかもしれない。
5. 人は何者にもなれる
最初の話に戻る。
人には、さまざまな感情が同時に存在している。
そしてその感情は、経験によって形づくられた「考え方」に左右される。
それはつまり──環境や経験をコントロールすることによって、人間は“なりたい自分”を選ぶことができるということでもある。
「性格」は、変えられる。
もちろん、変える必要性など、考えたこともない人もいるだろう。
ただ、変えたくても変わらない、と思ってる人も多いのではないかとも思う。
変えたいともし願うなら、必要な知識を得て、実際に行動し、欲しい結果を得ていくことで──
人の中の考え方は、少しずつ、でも確実に変わっていく。
6. 染みついた反応を変えるには
もちろん、長年染みついた考え方や感情の反応は、そう簡単には変わらない。
単に「知識を増やす」だけでは足りない。
必要なのは、「行動」と「体験」だ。
新しい考え方を実践して、小さくても“成功体験”を積み重ねていくこと。
それが、古い感情のパターンを上書きしていく唯一の方法だ。
時間はかかるかもしれないけれど、それは不可能ではない。
7. 考え方が、すべてを決めている
人間は何者にでもなれる。
常に、死ぬまでその可能性を持っている。
「性格」とは、ただの“反応のパターン”だ。
考え方の習慣により、感情が引き起こされ、その感情によって、言動、行動が表出する。
私たちは「なりたい自分」に近づくための選択肢を、今この瞬間にも手にしている。
考え方がすべてを決めている。
これはシンプルな原理原則の一つではないかと思う。
最後に
最後まで読んで頂きありがとうございます。
どこかで聞いたことのあるように思う方もいらっしゃるかもしれません。皆さんはどのように考えられているでしょうか?
田舎に住んでる自分の周りには変化を嫌う方がたくさんいらっしゃいます。それでも、成長はしたいと言う。明らかに矛盾しているなあと感じています。
また、心のあり方について話をすると、宗教のように感じる方もいらっしゃいます。
そんな窮屈さを打破するために、自分に言い聞かせてきたことの一つを書いてみました。
皆さんのいろんなご意見聞かせていただけると嬉しいです。
