『道を聞かれて案内できなかった時の罪悪感の正体は?』
【1.罪悪感のトゲ】
ある朝、出勤前に雨が降り始めた。
家を出て、地下鉄の時間を気にしながら早歩きしていると、『スーパーAへの道を教えてほしい』と、マダムに声をかけられた。
Googleマップを開くと、直近のスーパーAまで3キロ。僕がそこまで案内するか迷っている間に、彼女は、
『ありがとう、自分で探します。』
と言って去ってしまった。僕の心に”罪悪感”というトゲが刺さった。
道を聞かれて案内できなかった時、なぜ僕は罪悪感でいっぱいになるんだろう?
【2.雨に濡れた背中】
12月の北海道にしては温暖な雨の中、彼女は朝から傘もささずに歩き回っていたんだろう。
おそらく70歳超えであろう彼女の丸まった背中に、ジャンパー越しに雨粒を弾く音が響いた。
「どこのスーパーAですか?」
『この辺のことはわからなくて、スーパーAに行かないと帰れないの。』
彼女自身、市内にたくさんあるどこのスーパーAに行きたいかわからないようだった。
僕は迷った。
(Uberで連れて行く?着いてから”この店じゃないです”と言われたら?それとも交番に行く?雨の中を歩き回って寒くないかな?今の僕に何ができる?ああもう!)
ぐるぐる考えているうちに、彼女は『大丈夫です、わざわざありがとう、歩いて探してみます』と言って去ってしまった。
【3.無力という罪】
道を聞かれて案内できなかったのは、ただの結果だ。
「話しかけやすそうな人だ」と思われたことや、力を尽くしたことを誇っていいはずなのに、なぜ僕は自分にトゲを刺すんだろう?
おそらく、僕の心の奥底に「無力感」という大きな穴が空いているからだ。
「無力感」の穴が空いたのは、僕が幼少期から親や親戚の役に立つことで存在を認められようとしてきたから。
いつしか「役に立てない=罪、その罪を犯したのは無力だから」という心のクセが根付いてしまった。
昔、母や妹、親戚の女性陣がガールズトークで盛り上がる中、ずっと蚊帳の外だった僕はこう解釈したんだろう。
「ああ…僕を生んだ者たちにとって、僕は存在しなくてもいいんだ。何とかして存在の許可がほしい。そのためには役立つことをしなきゃ。」
幼い僕は、本当に面倒ないじけ方をしてしまった。
【4.利己行動だとしても】
その日は、彼女のことが気がかりで、仕事が手につかなかった。
「職場に”道案内するので遅れます”と連絡する意思が、もう少し早く固まっていたら?」
「”一緒に行きましょう”と歩き出すのが、もう少し早かったら?」
「彼女が慣れない土地で雨に濡れる時間を、もう少し短くできたかも知れないのに。」
次々と浮かんでくる後悔は、保身か優しさか、自分の無力感を埋めたいだけなのか、未だにわからない。
もし次に同じことがあったら、僕はまた罪悪感のトゲを痛がるんだろう。
それでも、次は今回より少しだけ、誰かの役に立てるような何かをしたい。
たとえその動機が「自分の無力感を埋めるための利己行動」だとしても。
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