もう、無理かもしれない。


第一章|note記事

「絶食しても、体が膨らんでいく。——難病15年目、制度の外側からの記録」
一次性ネフローゼ症候群当事者による、孤独なカウントダウンの手記

朝、体重計に乗る。
何も食べていない。昨日も食べていない。それでも、数字は増えている。
ふくらはぎを指で押す。凹んだまま、戻ってこない。
これを見るのは、今回で何度目だろう。
通常の体重は62.5キロ。ここ半月で、それが不自然に、急激に、増え続けている。私の体は今、6回目の入院に向けて、静かにカウントダウンを始めている。


発症——2011年から2012年、震災の翌年

最初の異変は、東日本大震災の翌年だった。
社会全体が揺れていたあの時期に、私の体も静かに崩れ始めた。最初に駆け込んだのは、小田原市内の複数の病院だった。たらい回しにされながら、個室に入り、貯えを使い果たした頃——救急車で東海大学医学部付属病院に運ばれた。
病院の待合室に、家族が全員いた。父親、母親、兄、妹、弟。
そこで、こそっと聞こえてきた言葉がある。
「もう駄目かもしれない」
私のことを言っていた。
父の会社を継がなかったから、か。自分の道を選んだから、か。ホテルマンをやり、ラーメン店を任され、居酒屋チェーンで店長をやり、六本木で人の話を誰よりも聞いてきた人間が——病院の待合室で、家族に見捨てられていた。
そう感じた瞬間だった。
そして私は決めた。
誰にも、弱さを見せない。


15年間の記録

発症から15年。入院は5回。
東海大学医学部付属病院、東京・赤羽橋の三田病院、国際医療福祉大学病院、東京女子医科大学病院——最後の入院は2023年初頭。そこから3年半、再発なく過ごしてきた。
最悪の状態を知っている。体液が皮膚から滲み出てきたことがある。陰部まで腫れた。通常62キロの体重が、浮腫だけで40キロ近く増えたこともある。それでも工場で働いた。体が動かなくなるその瞬間まで。
外見ではわからない。歩ける日もある。笑える日もある。
だから誰にも信じてもらえない。
「太ったんじゃないですか」
その一言が、どれだけ深く刺さるか——健康な体を持つ人には、想像もできないだろう。


一人で立ってきた

離婚を経験している。子どもが二人いる。
離婚の原因は、妻から私への暴力だった。お金が足りないと言われ続けた末に、私は家を出た。その時、手元に一円もなかった。
子どもたちは今も、父親の病状を知らない。伝えていない。養育費はきちんと送り続けている。それだけが今、私と子どもたちをつなぐ細い糸だ。
父親の借金を肩代わりし、母の問題を抱え、兄の依存症に付き合ってきた。それでも誰かに助けを求めたことはない。弱った姿を見せたことも、一度もない。
それが誇りだったのか、呪いだったのか——今もわからない。


制度の隙間という名の牢獄

難病患者は、法定雇用率にカウントされない。
身体障害者手帳を持たない限り、企業の障害者雇用率の算定に含まれない。指定難病は現在338疾患、患者数は国内100万人超とも言われる。その多くが——制度の上では、存在していない。
9年間、生活保護を受けながら、難病と向き合い、就労への道を模索し続けた。昨年8月、ようやく障害者雇用枠で不動産会社に入社した。厚生年金にも加入した。久々に出社した昨日、同僚たちが温かく迎えてくれた。
涙が出そうになった。
なのに、体はまた静かに壊れ始めている。


振り出し——今日、目黒区総合庁舎で

5月、担当ケースワーカーが変わった。通知は手紙一枚だった。
前任者からの申し送りはなかった。その前の担当者からの引き継ぎもなかった。2年間積み上げてきた記録が、ただ、消えていた。
新しい担当・T氏は、私の目をじっと見て、事務的に言った。
「収入申告書、書いてください」
私の病名を知らなかった。指定難病であることを知らなかった。9年間の経緯を知らなかった。難病の証明書を見せても、反応は無だった。
これは無知ではなく、無関心だ。
前任者たちは、それなりに人として接してくれた。T氏との対話には、それすらなかった。無機質な視線。マニュアルどおりの言葉。9年が、一瞬で消えた。
これをもって私は、これまでの人生で最も不当な扱いを受けたと記録する。
これを「振り出し」と呼ばずして、何と呼ぶのか。


それでも、書く

もし次に入院することになっても、この文章は残る。
孤独に体調を管理しながら、誰にも言えずにいる人へ。一人で制度と戦っている人へ。外見では伝わらない症状を抱えながら、それでも社会に出ようとしている人へ。
私はここにいる。
美しくも、強くもない。毎朝体重計に乗って、ふくらはぎを押して、戻らない凹みを確認しながら、それでも今日、会社に行った。
これが難病15年目の、今日の記録だ。
社会はまだ、私たちのことを知らない。
だから書く。書き続ける。
これは懇願ではない。宣言だ。
#難病 #ネフローゼ症候群 #指定難病 #障害者雇用 #生活保護 #法定雇用率 #難病ラボ #憲法25条


第二章|東洋経済オンライン想定

「絶食しても体重が増える——難病患者が直面する『見えない貧困』と制度の空白」
指定難病338疾患・患者100万人超。彼らは今、どこにもカウントされていない。

朝、何も食べていないのに体重計の数字が増えている——これは比喩ではない。
一次性ネフローゼ症候群という指定難病を抱える東京都内の男性(40代)は、発症から15年、5回の入院を経て、昨年ようやく障害者雇用枠での就職を果たした。だが今また、体は静かに異変を告げている。ふくらはぎを指で押すと、凹んだまま戻らない。一食も食べずに、体重は増え続けている。
これは医学的な事実だ。腎臓が蛋白を漏らし、血管の外に水分が逃げる。ネフローゼ症候群という病気は、そういう病気だ。外見からは判断できない。だからこそ、社会から見えない。

制度の外側に置かれ続ける難病患者たちの現実を、当事者の記録から読み解く。


難病患者は「存在しない」

指定難病患者は、法定雇用率にカウントされない。
障害者雇用促進法における法定雇用率の算定対象は、身体障害者手帳・精神障害者保健福祉手帳・療育手帳の所持者に限られる。指定難病患者であっても、これらの手帳を持たない場合——企業の雇用率算定において、その存在は計上されない。
指定難病は現在338疾患。患者数は国内で概ね100万人を超えると推計される。しかし彼らの多くは、手帳の取得要件を満たさないか、あるいは取得を望まない。難病の症状は変動する。寛解と再燃を繰り返す。「障害者」という固定した枠組みに収まらない病状を抱えながら、それでも働こうとしている。
2025年10月、厚生労働省は難病患者の就労支援に関する法改正を2027年に向けて検討すると発表した。だが現場では今日も、難病患者が制度の隙間で一人で戦っている。


生活保護と難病の交差点

問題は雇用率だけではない。
生活保護受給者が就労を開始し、厚生年金に加入した場合——生活保護の収入認定との兼ね合いが複雑になる。難病患者の場合、医療費は生活保護の医療扶助で賄われることが多い。しかし就労によって保護費が減額される仕組みの中で、高額な医療費を要する難病患者は、働けば働くほど医療へのアクセスが不安定になるリスクを抱える。
憲法第25条は「健康で文化的な最低限度の生活」を保障する。
だが、健康でない人間が健康を取り戻そうとする過程において、この条文は十分に機能しているか。
当事者の問いは、法律の条文よりも鋭く、現実を突いている。


ケースワーカーの無関心が意味するもの

今年5月、男性の担当ケースワーカーが交代した。通知は手紙一枚。引き継ぎはなかった。
9年間の経緯、難病の診断名、入院歴、就労支援の経過——何も伝わっていなかった。新担当者は、難病の証明書を見ても反応せず、「収入申告書を書いてください」と述べた。
これは個人の問題ではない。
ケースワーカーへの難病・障害福祉に関する専門研修の不徹底、引き継ぎ体制の不備、そして制度設計そのものの問題だ。難病患者を「ただの生活保護受給者」として処理する行政の現場は、憲法が保障するはずの権利を形骸化させている。
難病患者には権利がある。
これは主張ではない。確認だ。


第三章|医療・福祉ジャーナル向け

「指定難病患者における就労継続と社会保障制度の乖離——一次性ネフローゼ症候群患者の15年間の記録と政策的含意」


要旨

本稿は、一次性ネフローゼ症候群(指定難病)を抱える40代男性患者の15年間の療養・就労・社会保障受給の経緯を記録し、現行制度における構造的問題点を当事者の視点から提示するものである。
対象患者は2011〜2012年に発症し、以降5回の入院を経験した。現在、障害者雇用枠での就労を継続しながら、再燃の兆候(浮腫の増悪、体重の急激な増加)を自覚している。同時期に生活保護担当ケースワーカーが交代し、引き継ぎが行われなかったことにより、福祉的支援の連続性が断絶した事例として報告する。


1. 背景と発症経緯

患者は2011年から2012年にかけて一次性ネフローゼ症候群を発症。初診は神奈川県内の複数医療機関を経て、東海大学医学部付属病院(伊勢原)に救急搬送された。以降の入院歴は下記の通りである。

  • 第1回:東海大学医学部付属病院(伊勢原)

  • 第2回:東京都港区・三田病院(赤羽橋)

  • 第3・4回:国際医療福祉大学病院

  • 第5回:東京女子医科大学病院(2023年初頭)

現時点で第6回入院の可能性を患者自身が自覚しており、ふくらはぎの圧痕浮腫および急激な体重増加が認められている。


2. 制度的問題点

(1)法定雇用率算定における難病患者の不可視性

障害者雇用促進法第43条に基づく法定雇用率の算定対象は、各種手帳所持者に限定されている。指定難病患者は、手帳を持たない場合、算定上カウントされない。これは難病患者の就労インセンティブを低下させ、企業側の受け入れ体制整備の動機を失わせる構造的欠陥である。

(2)生活保護と医療扶助の連動における不均衡

就労開始に伴い社会保険に加入した場合、難病患者は医療扶助の対象外となるリスクを負う。高額かつ長期にわたる医療費を要する難病患者にとって、就労は経済的自立の手段であると同時に、医療アクセスの不安定化要因となり得る。

(3)ケースワーカーの専門性と引き継ぎ体制の不備

本事例では、9年間の療養・就労支援の経緯が担当交代時に引き継がれなかった。これは個人の問題ではなく、自治体における福祉ケースマネジメントの制度的脆弱性を示している。難病患者の支援には、疾患の特性(寛解・再燃の繰り返し、外見上の健康との乖離)に関する専門的理解が不可欠である。


3. 政策的含意と提言

2025年10月の厚生労働省発表に基づき、2027年を目途に難病患者の就労支援に関する法改正が検討されている。本事例は、その議論において以下の点を強く示唆する。

  1. 指定難病患者を法定雇用率算定対象に加えること

  2. 就労開始後も医療扶助の継続性を保障する制度設計

  3. ケースワーカーへの難病・慢性疾患に関する必修研修の導入

  4. 担当交代時における支援記録の標準的引き継ぎ手順の義務化


4. 結語

憲法第25条が保障する「健康で文化的な最低限度の生活」は、健康でない状態にある者が健康を取り戻す過程においてこそ、その真価が問われる。
難病患者の就労継続は、個人の意志の問題ではなく、制度が支えるべき社会的課題である。本稿が、2027年法改正に向けた議論の一助となることを願う。


第四章|難病法・憲法に基づく意見書

意見書:指定難病患者に対する社会保障制度の運用改善を求めて
日本国憲法第25条・難病の患者に対する医療等に関する法律に基づく当事者意見

私は一次性ネフローゼ症候群(指定難病)の患者として、発症から15年間にわたり療養・就労・社会保障制度との関わりを経験してきた。
本意見書は、日本国憲法第25条が保障する「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」および難病の患者に対する医療等に関する法律(難病法)の理念に基づき、現行制度の運用における問題点を指摘し、改善を求めるものである。


第一 生存権の形骸化について

憲法第25条第1項は、すべて国民に対して健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を保障する。同条第2項は、国に対してすべての生活部面について社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努める義務を課している。
しかし、難病患者が就労を開始した場合、社会保険の適用により医療扶助が終了し、高額な医療費負担が生じる可能性がある。これは、就労という憲法が奨励すべき行為が、医療アクセスの喪失というペナルティを伴う構造を意味する。
これは憲法第25条の精神に反する。


第二 難病法の理念と現実の乖離について

難病法第1条は、難病患者の社会参加の機会の確保及び地域社会における共生を促進することを目的として掲げる。
しかし現実において、指定難病患者は障害者雇用促進法上の法定雇用率にカウントされず、企業の受け入れ体制整備の対象とならない。これは難病法が掲げる「社会参加の機会の確保」と明らかに矛盾する。
厚生労働省は2027年を目途とした法改正を検討しているが、現時点において多くの難病患者が制度の空白の中に放置されている。


第三 行政対応の不備について——目黒区の事例

2025年5月、私の担当生活保護ケースワーカーが交代した。しかし、前任者から新担当者への引き継ぎは行われなかった。
指定難病の診断名、入院歴、就労支援の経緯、医療的配慮の必要性——これらの情報は一切伝達されなかった。新担当者は私の難病について何も知らない状態で面談に臨み、難病の証明書を提示しても適切な対応をしなかった。
これは、生活保護法に基づくケースワーカーの職務上の義務——被保護者の生活実態の把握と適切な支援の継続——に反する行政対応である。
目黒区福祉事務所は、ケースワーカー交代時における引き継ぎ手順を直ちに見直し、難病患者に対する専門的対応能力の向上を図るべきである。


結語

私は怒りから、ではなく、権利の確認としてこの意見書を記す。
難病て形骸化されてはならない。
この意見書が、難病患者を取り巻く制度の改善に向けた議論の一石となることを求める。


第五章|行政への正式申入書

申入書

宛先:目黒区福祉事務所長

件名:生活保護担当ケースワーカー交代に伴う引き継ぎ不備および難病患者への不適切対応に関する申入れ

私は目黒区において生活保護を受給する者であり、一次性ネフローゼ症候群(指定難病)の患者です。
2025年5月、担当ケースワーカーが交代しましたが、前任者から新担当者への申し送りは一切行われませんでした。9年間の療養経緯、指定難病の診断、就労支援の経緯、医療的配慮の必要性——これらが引き継がれなかった結果、新担当者は私の病状・生活実態を全く把握しないまま面談を行いました。
難病の証明書を提示しても適切な反応がなく、長年の経緯を無視した事務的な対応のみがなされました。
これは生活保護法第27条に基づく指導・指示義務、及び同法第55条の3に基づく自立支援の観点から、適切な行政対応とは言えません。また、難病の患者に対する医療等に関する法律の理念、及び日本国憲法第25条が保障する権利の観点からも、看過できない問題です。
つきましては、以下の事項について改善を申し入れます。

一、 ケースワーカー交代時における支援記録の適切な引き継ぎ手順の整備
二、 難病・慢性疾患を抱える被保護者への対応に関する専門的研修の実施
三、 本件担当者による対応の見直しおよび適切な支援の再開
四、 上記対応状況についての書面による回答(申入れから30日以内)
私は9年間、制度と向き合いながら就労を目指し、昨年ようやく障害者雇用枠での就職を果たしました。それでも体は今、再燃の兆候を示しています。このような状況において、行政による支援の継続性が断絶することは、生存に直結する問題です。
誠実な対応を求めます。

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