マレーシア違法クリニック事件と医療の信頼
「先生、本当に食中毒なんですか。」
僕はそう聞いた。
「ええ、間違いありません。」
目の前の男は、こちらの説明をまったく聞こうとはしなかった。診察室には消毒液の匂いが漂い、外では夕方の車の音が絶え間なく続いていた。僕は処方箋を受け取らず、そのまま帰った。
医療とは何だろうか。
その問いは、思いがけないかたちで再び僕の前に現れた。
クアラルンプールの夕暮れ、プドゥ地区の裏通りにひっそり佇む雑貨店の奥に、診察室があったという。表向きは理髪店や旅行代理店、衣料品店に見えたその場所で、異国の言葉が飛び交い、白衣を纏った男たちが患者と向き合っていた。
2月13日、出入国管理局がその「クリニック」を襲ったとき、18人の外国人が取り押さえられた。血気盛んな若者、眼光鋭い中年、いずれも故郷では医療に携わっていたかもしれない。だが、法はここマレーシアでは別物だ。
彼らは資格という名の鎧をまといながら、信頼という名の砂上の楼閣を築いたのだろうか――事件は、「医療とは何か」、「信頼とは何か」、という根源的な問いを僕らに突きつけている。
逮捕されたのは「医師」6人を含む18人。
17人がバングラデシュ人、1人がミャンマー人だった。年齢は24歳から51歳。出入国管理局は2週間の内偵ののち、保健局と連携して9か所を家宅捜索したという。
雑貨店や飲食店の奥に設けられた診察室。棚には糖尿病や高血圧、コレステロールの治療薬、抗生物質や鎮痛剤が並んでいた。いずれもマレーシアの保健省の認可を受けていない医薬品だった。おそらく本国から持ち込まれたものだろう。
なぜ、こうした施設が成立していたのか。
マレーシアにはバングラデシュやミャンマーからの出稼ぎ労働者が数多くいる。中には在留資格が不安定な者もいる。公的医療機関の門を叩くことが、経済的にも心理的にも容易ではない人々である。
制度が届かない場所に、別の仕組みが生まれる。
今回のクリニックは、その空白を埋めていた可能性がある。
摘発された「医師」たちも、本国では医療従事者だったのかもしれない。しかし、マレーシアでは、その資格は認められない。国家ごとに医療制度は閉じている。国境を越えれば、白衣の意味も変わる。
それでも患者は通っていた。
そこに信頼があったからなのだろう。
重大な事故が報じられていないことを考えれば、利用者にとっては頼れる存在だった可能性もある。違法であっても、生活の現場では必要とされていた。
しかし、社会は、個人の信頼だけでは成り立たない。
安全は制度によって守られなければならない。
僕はあの日の診察室を思い出す。
診断そのものよりも、話を聞こうとしない態度に不安を覚えた。医療とは、薬を出す行為だけではない。
患者が自分の身体を預けるという行為そのものが、信頼の上に成り立っている。
資格を持ちながら信頼を失う者もいる。
資格がなくとも信頼を得る者もいる。
だが社会としては、その逆転を許すわけにはいかない。
制度は最低限の安全を保証するためにあるのだ。
プドゥの裏通りにあった小さな診察室は、単なる摘発事件ではなかった。
それは、制度と信頼が必ずしも一致しない現実を静かに浮かび上がらせている。
医療とは何だろうか。
そして、信頼とは何だろうか。
その答えは、簡単には言い切れない。けれども僕たちは、こうした出来事に触れるたびに、あらためて考えさせられるのである。
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