自分の世界のサイズ③
自分の世界のサイズは、半径500メートルから1メートルほどの地域をうろうろしていた小中学生の時と比べると、1989年に高校生になってから広がりました。バスと電車を乗り継いでさらに徒歩で15〜20分ほど歩いてやっと辿り着く高校。実家から高校までの直線距離を調べてみたら、約10キロです。わたしの世界は、高校で半径10キロに広がったということです。世界の広くなった高校生活は、それまでの生活とは全く違った感覚でした。
小学校や中学校は徒歩ですぐ着く所に、学校もあり友達も住んでいました。少し離れていても自転車で行けばすぐだった。高校では、学区内から集まったクラスメートたちはあちこちに住んでいました。なので、友達の家に遊びに行くにもちょっとした探検。それまで降りたことのない駅で降りてみたり、乗ったことのないバスに乗ったり、と冒険に満ちた日々でした。
そして、中学校なんてどこでも同じだろうと思っていたので、みんなの通っていた中学校の話を聞き、異なる文化があったことを発見したのも面白いものでした。わたしの通っていた中学校は悪名の高い中学校でだったとは知っていましたが、他の中学校から来た人たちの話を聞いて比べると、本当に荒れていたのだな、と気づきました。
その中で大きかったのは、先生たちの怒り方の違いでした。
わたしの通った中学では、班ごとの連帯責任というものがまかり通っていて、班の中の誰かが何かバカなことをすると班全員が怒られました。一度、理科の班でわたしの班のメンバー1人だけが授業中にうるさくしていた時に、連帯責任という名のもと、先生に班のみんなが教室の後ろに立たされ頭を上靴で叩かれました。確か、その先生の名前は渡部だったかと記憶しています。
自分の小汚い上靴を脱ぎ、「これはー、お前たちの班の全員の責任だー」と言い、「特に、お前、お前は班長なのに〇〇がうるさくしているのをやめさせなかった」と汚い上靴の爪先をわたしの顔の前で小刻みに振るわせます。心の中で「そんなのわたしの責任じゃない」と思いながらも、先生の顔を正面からまっすぐ見つめました。そうすると、「お前のー、その目つきがー、気に入らない」とバシッと頭を上靴で叩かれました。悔しいので微動だにしませんでした。そして、次々と他の班のメンバーも叩いていきます。
渡部先生は特にひどい怒り方をしたのですが、他の先生たちも「生徒たちは悪いもの、先生たちは正義」という姿勢だったので、生徒達と先生達の関係がうまくいかないのも当たり前でした。
こういう話は、他の中学校からきた友達からはあまり聞かなかったので、同じ市内でも学校の中の文化というのはこうも違うのか、と驚きました。他の中学校の先生たちは優しい先生が多かったようです。
そして、わたしの通った高校は、なんとなくのんびりしていて面白い人ばかりだったので、わたしは楽しい高校生活を送ることができました。少しずつ世界が広がり始めていました。
