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自分の普通はみんなの普通?

自分で普通だと思い込んでいたことが、他の人に聞いてみて普通じゃなかった、ということを実感しています。

もう50代なので、そんなに年取るまで知らなかったの?と思われるかもしれませんが、知らなかったんですね。それまで、あまり自分の普通と他の人の普通を比べたことがなかったというか。

普通という言葉自体を定義をすべきなのかもしれませんが、まあ、学術論文でもないので、あまり考えすぎずゆるく書くことにします。

子供の頃は家の中のことしか知らないのでそれが普通で、学校に行き始めると時々お友達の家に遊びに行って別の世界を見て驚く。それはありましたが、下記のふたつが最近の一番の驚きでした。


わたしの頭の中では、起きている間はいつもいつも自分の声で何かをしゃべって考えています。なので、わたしは実際に何かをしゃべっていなくても、頭の中では自分がモノローグ的に何かを話していたり、二人またはもっとたくさんの自分が会話をしていたりします。それはもうにぎやかなものです。

友人たちに聞いてみたわたし調べの結果では、いつもずっと頭の中で何かをしゃべっているのはそれほど多くなく、半分かそれ以下くらいかと思います。わたしの夫は「ときどき頭の中で言葉で考えたりもするけれど、何も考えてない時もある」とのこと。わたしは非常に驚きました。ずっと何かを言葉で考えているのが普通だと思い込んでいましたから。他の友人たちでは、イメージや感情でものを考えることもあるらしく、言葉は使っていない、など。わたしの思いもよらない方法で他の人は思考しているということで、びっくりしました。

一度、職場で「交流のためとリーダーシップ発展のための1日」というイベントがありました。一応自分の下に数人いるようなちょっとだけリーダー的な立場に置かされていたので、班に分かれ謎解きのようなタスクが与えられた際には、わたしは周りの人たちも謎解きに参加してもらわなければと思い、ひたすらみんなと話しをしながら謎解きを進めていきました。色々な方法の謎解きができるタイプのタスクだったのですが、後で自分の上司から言われたことは、「きみの班は、見ていて面白かった。みんながずっとしゃべりながら解決法を探そうとしていて、会話を聞いていると思考回路が全てわかった」と言う感想をくれました。他の班は、リーダーが黙って考え班のメンバーはリーダーの言うことだけを聞いたり、地面に拾ってきた棒で絵を描いて解決法を探したり、とにかくやってみて何度も間違いを繰り返したりする班もあったそうです。わたしは言葉で思考するタイプだということなのですね。


あとは、何かをイメージする時の違いにも驚きました。わたしが瞑想を始めた頃に、YouTubeで「目を瞑って、緑の豊かな森の中の一本道が目の前に見えているのをイメージしてください」などという、音声ガイド付きの瞑想の動画を使ってみました。ただ、わたしは目を瞑ると、(時々光などの残像が見えることもありますが)ただ暗いだけです。なので、音声ガイド付きの瞑想は、どうもしっくりきませんでした。

よく漫画で何かをイメージする時に、こういう絵が出てきますよね。

心の目でイメージを視覚化できる人が大半だなんて!

このイメージする、という行為自体がわたしは比喩だと思い込んでいて、「漫画を描く人というのは、上手い比喩が思いつくものだ」と思っていました。

ですが、一般的には実際に心の目で「見えている」らしいですね。調べてみたら、わたしの方が普通じゃないということが分かり、これまた驚きでした。心の目でイメージを視覚化できないのは、アファンタジア(aphantasia)という状態(症状?)だそうです。ですが、ずっとイメージできないままで生きてきましたし、特に苦労はしていません。絵を描くのも好きです。


長い間、自分で勝手に「普通」だと思っていたことが実はあまり普通ではなかった。今までたくさんの文学作品、映画、マンガ、アニメなどなどに触れてきたのに気づかなかったのか、と自分で自分の薄っぺらさに少しがっかりした部分もあります。

人にはそれぞれの生き方があり、世界観・文化・人生経験というものはそれぞれ違うものなのだ、ということは、日本を出て北米で生活するにあたって当たり前だと思っていました。それが、もっと別のレベルでの普通が覆されたような気がしました。

さらに、日本で自分の育った環境が普通だと思っていましたが、あまり普通ではなかったようです。これについては、ここ数年でじっくり取り組んできたことなので、また今度別の記事で書く予定です。