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ラディたこオープン🐙

その頃私は、短期アルバイトでとある美術祭の運営事務局で働いていた。会期が終了する頃、そこでそのまま働かないかと打診を受け、1ヶ月の休みをいただくことを条件に引き受けることにした。

美術祭が終了したら、そのままオーストラリアへ1ヶ月旅に出る準備をしていたからである。

そして1ヶ月の旅を終え帰国した。

空港まで両親が迎えに来てくれた。
お寿司が無性に食べたかった私のリクエストで、そのまま回転寿司へ行った。

そこで明後日から美術祭の運営事務局で働く話になった。

「美術祭もええけど、ゆかり、やっぱりたこ焼き屋せぇへんか?出資したるから」

昔から何故か我が家は、お好み焼きは母担当。たこ焼きは私が担当で調理をする。

父は私のたこ焼きが大好物だった。

たこ焼きを作る度に

「たこ焼き屋せぇへんか?」

と言うのが父の口癖だった。

「たこ焼き屋?せえへんよ。自営業大変やん」

建築業を営む父の背中を見て育ち、自営業の厳しさを目の当たりにみてきた。

たこ焼き屋を営む

私には大き過ぎる話だった。

「たこ焼きは家でするのが1番。明日の晩御飯たこ焼きにするから、それでいいやん?」

と、笑う私に父も

「そうかー。しゃあないな。ほんなら、明日たこ焼き作ってくれよ」

と、嬉しそうに笑った。

うちの父は大食漢で、その日66歳にして25皿もの回転寿司をたいらげた。



翌日の正午
仕事現場で倒れ急逝した。

心筋梗塞だった。

私は美術祭の運営事務局の就職を断り、そのまま父の会社の解散手続きに1年間奔走した。

最期に私が作ったたこ焼きを父に食べてもらえなかった。
ずっと心にひっかかった。

しばらくたこ焼きは作らなかった。

父の急逝時4歳だった甥っ子が、5歳の誕生日を迎える時。

「ゆかちゃんのたこ焼き食べたい」

と、言ってくれるまで。

我が家のたこ焼き器は30年近く前に買ったものだけど、まだ現役で姉の家で使用されている。


これ、ね🐙



私たち姉妹で集まる時は、いつもたこ焼きパーティーをする。

これが我が家のたこ焼きの思い出。

たこ焼き屋をやって欲しい

という父の願い。

こんな形で実現出来るなんて思わなかった。



10月25日(日)!!!

大阪「ぐるぐるそだつながや」さんにて!

「なんのはなしですか」フェスティバル ~ラディポップ♪ ラディポップ♪編~

開催されます!!!

本日より、フェスティバル開催資金や今後のなんのはなしですか運営のための資金を募るクラファンが始まりました!!!


路地裏の裏のアイドルポップさんと肩を並べて、フェスティバルのタイトルにまでなってしまい笑笑笑

もうほんとに

なんのはなしですか

なんですが、ラディたこオープン決定です🐙

決まってからたこ焼きのことばかり考える日々…。YouTubeで繁盛しているたこ焼き屋さんのお客さんのさばき方を観たり、スーパーへ行っては、小麦粉・たこ・たまごの値段を確認し、これ以上の物価高に怯えています🐙
しまいには「なぜたこが養殖出来ないのか」まで検索する始末🐙

たこ焼き(家庭の味)を皆様へ届けるため、日夜努力を惜しまない所存でございます🐙🐙🐙

クラファンにすこーしでもご興味持っていただけましたら、是非コニシ木の子さんの記事覗いてみてください🐙

よろしく
お願いします🐙❤️





3.7さん
が作ってくれた
「なんのはなしですか」フェスティバルへ向けた作品✨✨
めっちゃかっこいい!!!

フェスティバルへ向けてどんどん使っていくぞー!



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