"自分のエッセイ"という言葉がこそばゆい
プロフィールにこっそり私が書いたエッセイをおすすめとしてあげたところ、ふと思いました。
「エッセイ」という横文字が何やらこそばゆく感じるのは私だけだろうか、と。
(創作大賞 エッセイ部門に参加しておいてどの口が言うんだ?)
日記に近いものだとは思うのですが、日記とエッセイでは受けるイメージが違います。日記はあくまで個人用、エッセイは公開することを前提にした日記のイメージです。
そして、日記から派生したブログも、みんなに公開している時点でエッセイと同じだと思ってしまいます。
過去に高野悦子さんの『二十歳の原点』を読みました。こちらは父親が高野さんの死後に書籍としてまとめた日記です。自分用の日記でありながら、他人が読んでもなんとなく背景が想像できる"読み手を意識した"内容になっています。目立った助詞の間違いもなかったはずです。
なぜ人は日記を他人に見せられるように書くのか、結局は他人に理解してもらいたいという感情が働いてしまっているのかもしれません。「日記」が誰かに読まれることを意識したとき、「日記」から「エッセイ」「ブログ」へと変わっていくのかもしれないと思いました。
と、マジメに語ってしまいましたが、要は私がなんとなーく「エッセイ」という横文字に気恥ずかしさを感じてしまっているというだけのお話でした!
「エッセイ」って「ブログ」よりも何やらかしこまった感じがしますし。
ちなみに、「ブログ」はサービス名から派生したことばで、「エッセイ」と用法は似ているけれど、使い方が異なることもあるとのことでした。(ChatGPT談)
私は未だに自分の「エッセイ」に気後れしてしまっていますが、いつか「私はエッセイを書いているんだ!」と堂々と胸を張って言えたらいいなと思っています。
不定期にゲームと本、AI他私が興味を持ったことについて、発信をしています。
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