『「親切」と「おせっかい」のあいだにあるもの【後編】』
昨日お話しした幼馴染3人の物語。
——A、B、そして私。
長い時間をかけて築いてきた関係が、“ある一件”をきっかけに、あっけなく壊れてしまいました。
今日は、その後に訪れた小さな再会と、それぞれの心のゆくえを、ほんの少しだけ——
*
それから月日が流れて——
「来るかもしれないね」と、Bと話していた通りの場所で、私とBは再びAと顔を合わせることになりました。
それは、かつて朝顔を愛し、月に昇っていった——
第五回で綴った、あの少年の法事の場でした。
これはもしかすると、「お前ら、一度話せよ」と天国から送られたプレゼントかもしれない。
私はそんなことを思いながら、Aの姿を見つけた瞬間、思わず駆け寄ってこう尋ねていました。
「まだ、怒ってるの…?」
すると、Aはすこし驚いたような顔で私を見て、こう言ったのです。
「怒ってるのは、あっちでしょ?」
——あっち、つまりBのこと。
Aの口調は柔らかくなっていたけれど、まだ何かしら心に引っかかるものを抱えているように感じました。
そのとき私は、数年前の“あのメール”のことを思い出していました。
差し入れの件のあと、AはBに対して自分の思いを綴ったメールを送っていたのです。
自己満足に過ぎないこと、自分の気持ちを置き去りにされたこと——
どれも静かだけど強い言葉で綴られていて、その内容にBはショックを受け、涙ながらに私の元へやってきました。
「返事をどうしたらいいか分からない」とうつむくBに、私はあのとき、
「返したくないなら、無理に返さなくてもいいんじゃない?」と、 Bの心を守る為に
つい言ってしまったのです。
——その時の私は、まだ私がAに説明できる機会があると思っていたからです。
あの一言が引き金になったのかもしれません。
Bは返事をせず、Aからのメールは“最後のやりとり”となりました。
Aは「返事がなかった」ことを、Bが怒っている証だと受け取り、
Bは「返事をしなかった」ことで、Aとの関係を自ら終わらせてしまった。
気づけば、ふたりはすれ違ったまま、関係を閉じることになってしまった。
私のあの一言がなければ——
もしかすると、ふたりの関係は続いていたのかもしれない。
そんな懸念を、今も心のどこかに残す一方で、
私は——いつも冷静沈着で全体を見て判断するAの中に、Bへの怒りのあまり私の姿が見えていなかったことにも、気づいてしまったのです。
私は、その“ふたりの物語”の中に、たしかに存在していたはずなのに。
けれどAの目には、私の姿は、映っていなかったのかもしれません。
私に向けられた言葉は、最後まで聞くことはありませんでした。
*
私は、Aの「もういいの」と何度も繰り返す言葉を聞いたとき、
もうそれ以上、言うことをやめました。
誰かを無理に説得して、仲直りをさせることが“正しさ”だとも思えなかったし
誰かの心を変えるなんて、きっと誰にもできない。
——そう思った一方で
「もういいの」と何度も繰り返すAに対して、
はじめて怒りのような感情を抱いたのかもしれません。
それでも、あのときもう少しだけ
「本当はどうしたい?」と、
Aの気持ちを聞いてあげられていたら…
そう思うと、またひとつ、後悔が増えてしまうのです。
誰もが、自分の正しさを信じていた。
だからこそ、ぶつかって、すれ違って、離れてしまった。
正義は、人の数だけある。
そしてそれを、みんなが主張しはじめたとき——争いは静かに始まる。
みんなが誰かのせいにする前に、
いったん立ち止まって…
「自分にも、何か原因があったのでは?」と問い直せたなら。
もしかすると、壊れたはずの輪が、また繋がることもあったのかもしれません。
「悪気はなかった」——その言葉が、
もう届かない場所に行ってしまうことが、たしかにある。
やさしさって、ほんとうはどうすれば、ちゃんと届くんだろう。
「親切」と「おせっかい」の違いって、いったいどこにあるんだろう。
その答えは、まだうまく言葉にはできないし、一生わからないのかもしれません。
でも——
歩み寄る気持ちだけは、忘れてほしくなかった…
長いお話に、最後までお付き合いくださってありがとうございます。
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今日も、あなたとあなたの大切な誰かが、
隣で寄り添い、語り合えていますように。
