認知戦 :知的・心理的防衛力の強化と防護
Cognitive Warfare: Strengthening and Defending the Mind
April 5, 2023
ノーフォーク(バージニア州) ― 先端技術の急速な発展、社会全体を巻き込んだ関与形態の変容、そしてグローバルな相互連結性の深化により、戦争の様相は根本的な変貌を遂げている。今日、正当な情報と操作された情報とを識別する能力を持たない人々が増加しており、認知戦(Cognitive Warfare)に関するアライアンス全体の理解を深めることは、NATO加盟国およびパートナー諸国にとって喫緊の優先課題となっている。
認知戦とは何か
「認知的(Cognitive)」という語は認知(cognition)に由来し、無意識的・情動的側面を含む知的機能の諸側面を包括した、理解の精神的作用ないしプロセスを指す。なお、人間の意思決定の大半はこうした無意識的・情動的側面によって駆動される。「戦争(Warfare)」は、戦争という「経験」として、本来は国家、政府、または組織体間における【武力紛争に共通する諸活動および特性】を指す概念であった。しかし今日の状況においては、ステークホルダーの輪郭は不分明となり、組織的・文化的・社会的関与が多様な形態をとることが常態化しつつあるとともに、国家利益の代理的延伸(proxy extension)もまた一般化している。
この二つの語を合わせることで、認知戦の定義が浮かび上がる。すなわち、認知戦とは、優位性を獲得するために個人および集団の認知に影響を与え、それを保護し、あるいは攪乱することによって態度と行動に変容をもたらすべく、他の権力手段(Instruments of Power)と連動して実施される諸活動を指す。これらの活動は極めて多様であり、社会心理学、ゲーム理論、倫理学等が寄与因子として関わる文化的・個人的要素と【親和的に、あるいはそれと相反する形で組み込まれる場合がある】。現代の戦争活動は必ずしも動態的(キネティック)要素や領土・資源獲得といった直接的・有形的成果を伴うものではなく、他のハイブリッド脅威と同様、敵対勢力は紛争の連続体(continuum of conflict)全体を通じて認知戦を展開し、武力紛争の閾値以下のグレーゾーン(Gray Zone)に留まることを意図している。
進行中の事例として、ロシアはウクライナへの動態的・軍事的侵攻を開始しつつ、標的を絞った宣伝工作(propaganda)、偽情報キャンペーン(disinformation)、同盟諸国からの支援といった非動態的活動をもってこれを補強している。こうした非動態的な認知戦活動の一部は明白かつ直接的であり、ロシア寄りの偽情報に接した受信者は事実とフィクションを識別する能力の劣化を経験し、精神的レジリエンス(mental resilience)が損なわれるとともに、長期的にはメディアへの信頼喪失といった影響をもたらしうる。
他方、より不明瞭な事例も存在する。中国は公式チャンネルおよび党系統の影響力を活用して国内情報環境(domestic information environment)を操作・統制しており、その結果として認知バイアス(cognitive bias)の形成が生じている。さらに二次的効果として、他国市民もまた中国本土市民およびその外部情報からの集団的乖離に対する認知バイアスを形成し、根本的に相容れない二つの現実認識が生まれる。こうした内外集団分極化("us vs. them" polarization)は、集団の周縁化・排除(marginalization and exclusion)の進行および情動的搾取(emotional exploitation)へとつながり、中国の認知戦戦略に寄与することになる。
認知戦は、サイバー、情報、心理、そしてソーシャル・エンジニアリング(social engineering)の各能力を統合するものである。他の権力手段と連動して実施されるこれらの活動は、敵対者に対する優位性を獲得するために個人および集団の認知に影響を与え、それを保護し、あるいは攪乱することによって態度と行動に変容をもたらしうる。連合国変革軍(Allied Command Transformation: ACT)における多分野横断の専門家たちは、認知戦の脅威からアライアンスを防護することを目的とした諸概念の開発に取り組んでいる。NATOは「教育・協働・防護・形成(Educate, Collaborate, Protect, and Shape)」の枠組みのもと、各加盟国が自国の核心的民主主義的価値を守る能力を備えられるよう支援する方針である。
Ⅰ. 軍事・安全保障用語
Cognitive Warfare(認知戦): 個人・集団の認知(思考・判断・信念)に対して影響を与え、保護し、あるいは攪乱することで、敵対者に対する優位性を獲得するために実施される戦略的諸活動。NATOが21世紀の新たな作戦領域として位置付けている。 従来の情報戦(Information Warfare)や心理戦(Psychological Warfare)を包摂しつつ、認知科学・神経科学の知見を統合した概念として、ACT(連合国変革軍)が2020年代に定式化した。狭義の「戦争」の枠を超え、平時から有事まで連続的に機能する点が特徴。
Kinetic / Non-Kinetic(動態的/非動態的): 「キネティック」とは物理的・軍事的な力の行使(爆撃、砲撃、地上侵攻等)を指し、「非キネティック」とはそれ以外の手段(サイバー攻撃、情報操作、経済制裁等)を指す。 ハイブリッド戦争論における基本的二項対立。現代の紛争では両者が同時並行で展開されるのが常態であり、ロシアのウクライナ侵攻(2022年〜)がその典型とされる。
Hybrid Threat(ハイブリッド脅威): 軍事・非軍事の手段を組み合わせた、特定の主体による複合的な脅威。従来型・非従来型の戦術を組み合わせて相手国の脆弱性を突く手法を指す。 Gerasimov Doctrine(ゲラシモフ・ドクトリン)との関連で論じられることが多い。NATOは2015年以降、ハイブリッド脅威への対応を戦略の中核に位置付けている。
Gray Zone(グレーゾーン): 武力紛争の法的閾値(threshold of armed conflict)以下で展開される、競争・対立の領域。宣戦布告のない状態での政治的・経済的・情報的圧力行使がここに該当する。 国際法上の「戦争」と「平和」の二項を横断する概念。中国の南シナ海政策や「サラミ戦術(Salami Slicing)」がグレーゾーン戦略の典型例として引用される。日本の安全保障議論でも「グレーゾーン事態」として法的論点となっている。
Continuum of Conflict(紛争の連続体): 平和・競争・危機・武力紛争が連続したスペクトラムとして存在するという安全保障上の概念。平時と戦時の境界が曖昧化した現代の安全保障環境を記述する。 米国のジョイント・ドクトリン(JP 1-0等)で用いられる概念枠組み。NATOの認知戦戦略は、このスペクトラム全体にわたる対応を想定している。
Instruments of Power(権力手段): 国家が国際社会で目的を達成するために活用できる手段の総称。代表的な分類としてDIME(外交:Diplomacy、情報:Information、軍事:Military、経済:Economy)がある。 米国の国家安全保障戦略文書が広く使用する分析枠組み。認知戦はInformation要素と密接に結びつきながら、他の全要素と相互補完的に機能する。
Proxy Extension(代理的延伸): 国家が第三者(民間軍事会社、武装組織、政治運動等)を媒介として国益を間接的に追求する手法。直接介入によるリスクを回避しながら影響力を行使できる。 ロシアのワグネル・グループやイランの「抵抗の枢軸」が典型例。国際法上の帰責性(attribution)が曖昧になる点が法的・政策的課題として指摘される。
NATO ACT(連合国変革軍):NATOの二大戦略司令部の一つ。米バージニア州ノーフォークに本部を置き、NATO軍の変革・概念開発・能力開発・教育訓練を担当する。 認知戦の概念開発・ドクトリン策定においてACTが中心的役割を果たしている。対する作戦司令部はACO(Allied Command Operations)で、ベルギーのモンスに所在。
Ⅱ. 情報・サイバー・心理戦用語
Disinformation(偽情報〔故意〕): 意図的に虚偽または誤解を招く情報を作成・拡散する行為。「Misinformation(誤情報)」が意図の有無を問わないのに対し、Disinformationは悪意ある意図を含む。 EU・NATO文書での標準的定義。ロシア語「dezinformatsiya」に由来するとされ、ソビエト時代のKGB工作から体系化された手法。現代ではSNSアルゴリズムとの親和性が高く、大規模拡散が容易。
Propaganda(宣伝工作): 特定の政治的・イデオロギー的立場を有利にするため、一方的・選択的な情報提供によって受信者の信念・態度・行動を変容させようとする組織的コミュニケーション活動。 中立的な「広報(Public Relations)」と異なり、欺瞞性・一方向性が本質的要素とされる。現代においては「戦略的コミュニケーション(StratCom)」との境界線の引き方が学術的論争点。
Social Engineering(ソーシャル・エンジニアリング): 技術的手段によらず、人間の心理的傾向(信頼、権威への服従、恐怖等)を利用して機密情報の取得や不正行為を誘発する操作手法。 サイバーセキュリティ文脈では「フィッシング」「スピアフィッシング」「プリテキスティング」等を包含する。認知戦においては社会規模での集団行動操作に応用される。
Information Environment(情報環境): 個人・組織・システムが情報を収集・処理・伝達する複合的な空間。物理的次元(インフラ)、情報的次元(コンテンツ)、認知的次元(人間の心理)から構成される。 米軍FM 3-13等で定義される概念。中国が国内情報環境を厳格に管理することで、外部情報との「認識の壁」を形成しているという指摘は、情報主権論と表現の自由の緊張関係を示す。
Ⅲ. 認知科学・社会心理学用語
Cognition(認知): 知覚・注意・記憶・推論・判断・言語処理・問題解決等を包括する、情報処理としての精神的機能の総称。意識的・無意識的プロセスの双方を含む。 認知科学(Cognitive Science)の中心概念。Kahneman(2011)の「システム1(直感)・システム2(熟慮)」の二重過程理論は、なぜ認知戦が「無意識・情動的側面」を標的にするかの説明原理となる。
Cognitive Bias(認知バイアス): 人間の情報処理・判断が系統的・規則的に合理性から逸脱する傾向。確証バイアス(confirmation bias)、可用性ヒューリスティック(availability heuristic)等の多様な類型がある。 行動経済学・認知心理学の基礎概念。認知戦はこれらの普遍的な心理的傾向を意図的に利用・増幅させる。中国の情報統制が「外国人の中国観」に形成する偏りが本文で指摘されている。
Mental Resilience(精神的レジリエンス): ストレス・逆境・脅威に対して適応し、機能を維持・回復する個人・集団の能力。認知戦文脈では特に、偽情報・心理的操作に対する批判的抵抗力を指す。 ポジティブ心理学の概念を安全保障論に応用した用法。フィンランドの「総合的国家レジリエンス」政策や、台湾の「認知戦耐性」教育プログラムが政策的先行事例。
Us vs. Them Polarization(内外集団分極化): 社会集団を「内集団(ingroup)」と「外集団(outgroup)」に二分し、外集団への敵意・不信・蔑視を強化するプロセス。認知的・情動的に「我々対彼ら」の単純化した世界観を生成する。 社会的アイデンティティ理論(Tajfel & Turner, 1979)に基づく。SNSのエコーチェンバー(echo chamber)効果やフィルターバブル(filter bubble)が分極化を加速させる点が現代的課題。
Game Theory(ゲーム理論) :合理的行為者間の戦略的相互依存状況における意思決定を数学的に分析する理論体系。囚人のジレンマ・チキンゲーム等の概念を通じて協力・裏切りの均衡条件を探る。 von Neumann & Morgenstern(1944)に起源を持ち、冷戦期の核抑止論に広く応用された。認知戦への応用においては、情報操作による相手方の「利得構造の認知」変容が戦略の核心となる。
Ⅳ. 政治学・国際関係論用語
Whole-of-Society(社会全体的アプローチ): 安全保障・危機対応において、政府機関のみならず民間部門・市民社会・メディア・学術機関等を包含した社会全体での統合的対応を求める概念。 NATOの「ポジティブ・セキュリティ」概念や北欧の「総合的防衛(Total Defence)」モデルと親和性が高い。認知戦への対応では、政府だけによる情報管理では不十分とする認識が背景にある。
Alliance(同盟): 二国以上の国家が共通の安全保障目標のために締結する公式・非公式の協力枠組み。NATOは集団的自衛権(NATO条約第5条)に基づく典型的な集団防衛同盟。 同盟論では「同盟のジレンマ(entrapment vs. abandonment)」が古典的論点。認知戦文脈では同盟内の「情報・認識の共有」と「認識的分断への対脆弱性」が課題となる。
Domestic Information Environment(国内情報環境): 一国内で情報が流通・管理・消費される環境の総称。権威主義体制では国家が意図的にこれを統制・操作することで、外部情報との「認識の壁」を形成する。 「情報主権(information sovereignty)」論との関係で議論される。中国のグレートファイアウォール(Great Firewall)がその代表例。認知的隔絶が内外の相互認識に与える影響は、国際世論形成の観点から重要な研究課題。
National Interest(国家利益): 国家が外交・安全保障政策を通じて追求する目標・価値・利益の集合体。生存・安全・繁栄・影響力等が典型的な構成要素。 現実主義的IR理論の中心概念(Morgenthau, 1948)。「代理的延伸(Proxy Extension)」はこの国家利益を間接的手段で実現する戦略的手法であり、認知戦もその一形態。
Marginalization & Exclusion(周縁化と排除): 特定の集団・個人が社会的・政治的・文化的な主流から排除され、発言権・機会・資源へのアクセスを制限される過程。 クリティカル・セキュリティ・スタディーズ(CSS)が注目する概念。認知戦においては「分極化」の結果として生じる社会的分断が、長期的な民主主義的連帯の侵食につながると指摘される。
