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研究備忘録:御成敗式目と日本固有の法哲学(共同体主義的「道理」)に関する考察

(写真は日本大学法学部所蔵の「御成敗式目」)


要旨

本稿は、鎌倉時代に制定された御成敗式目(1232年)を起点として、日本法哲学における「道理」概念の構造的問題を批判的に考察するものである。御成敗式目は中国から法技術を借用しながら、中国法家思想の核心である普遍主義的原則を意図的に排除し、文脈依存型の「道理」に置き換えた。さらに、中国の「天命」概念を拒絶し、権力の正統性を血統のみに基礎づけたことで、正統性と正義が分離される哲学的基盤が形成された。本稿では、Carl Steenstrup、John Owen Haley等の欧米日本法史研究の成果を参照しつつ、この哲学的選択がいかにして法運用の構造的歪み、明文法統治の未発達、そして成文法より暗黙の「掟」を優先する法文化を生み出したかを分析する。

キーワード:御成敗式目、道理、普遍主義、天命、法的予測可能性、共同体規範

 

1. 序論

1.1 問題の所在

日本法哲学の発展において、鎌倉時代に制定された御成敗式目(1232年)は単なる法典以上の意味を持つ。しかし、その意味は従来の研究が強調してきた「日本独自の法文化の形成」という肯定的評価に尽きるものではない。本稿は、御成敗式目に体系化された「道理」概念が内包する構造的問題を批判的に検討する。

マックス・プランク比較国際私法研究所は、「日本は、ヨーロッパを形成したローマ法伝統から完全に独立した、数世紀にわたる社会的紛争規制の独自の伝統を有している。この伝統は今日に至るまで、協調的行動と共同体主義的構造によって強く特徴づけられている」と指摘している(Max Planck Institute for Comparative and International Private Law, n.d.)。この「独自性」は、同時に普遍的法原則の未発達という構造的欠陥をも意味する可能性がある。

1.2 本稿の視角

本稿は、御成敗式目における「道理」概念を以下の四つの視点から分析する。

第一に、御成敗式目が中国法家思想の普遍主義的原則をいかに排除したか。第二に、「天命」概念の拒絶が正統性と正義の分離をいかにもたらしたか。第三に、これらの哲学的選択が法運用においていかなる構造的歪みを生じさせたか。第四に、成文法より共同体内の暗黙の「掟」が優先される法文化がいかに形成・維持されてきたか。

これらの分析を通じて、「道理」に基づく日本法哲学の問題点を明らかにし、21世紀の国際社会における日本の法的課題を提示する。

 

2. 御成敗式目の歴史的背景と制定過程

2.1 制定の経緯

御成敗式目は、鎌倉時代に武家政権のために制定された法令で、貞永元年8月10日(1232年8月27日)に公布された。この法典は、執権北条泰時が中心となり、連署北条時房および評定衆との協議によって制定された。

鎌倉幕府成立時には武家政権としての成文法が存在しておらず、律令法や公家法に依拠することなく、武士の実践道徳である「道理」と先例に基づく裁判が行われていた。1221年の承久の乱以後、幕府の勢力が西国にまで拡大すると、地頭として派遣された御家人と荘園領主、現地住民との間で法的紛争が増加した(柳, n.d.)。

2.2 中国法からの借用と変容

Steenstrup(1996)は『A history of law in Japan until 1868』において、日本法の発展を四段階に区分している。第三段階として、13世紀に中国の法技術を用いて固有の封建法を体系化した時期を挙げ、御成敗式目をその頂点と位置づける。

重要なのは、御成敗式目が漢文ではなく意図的に平易な和文で起草されたことである。Steenstrup(1987)は「Law code versus political change in China and Japan」において、日本が中国の律令用語を受容しつつも、中国法のイデオロギーからは根本的に離脱したと論じている。この「借用と変容」のパターンは、後述する普遍主義の排除という問題の出発点となる。

2.3 北条泰時の法思想

北条泰時は弟の北条重時に宛てた消息文において、「さて、この式目を作ったことについては、なにを根拠にして書かれたのかと、人はきっと非難することであろう。確かにこれといった根拠はないが、ただ道理から推測されることを書いたのだ」と記している(村上・西村, 2023)。

この記述は二つの点で重要である。第一に、御成敗式目が既存の法的根拠(律令法や公家法)に依拠しないことを明言している。第二に、その代替として「道理」という文脈依存的な判断基準を採用したことを示している。これは意識的な選択であり、後の日本法哲学の方向性を決定づけることとなった。

 

3. 「道理」の概念とその特質

3.1 道理の定義と機能

御成敗式目の根幹を成す「道理」の概念は、単なる法的規範を超えた判断基準として機能した。北条泰時が強調した「理非決断ノ道」とは、個別事例における衡平性の追求を本質とし、武家社会の慣習法を成文化した試みであった。

「道理」は英語では "principle or reason" と訳され、"a sense of justice and ethics" として定義される(村上・西村, 2023)。しかし、この概念は西洋的な「原理」や「理性」とは本質的に異なる。それは普遍的正義ではなく、武家社会における具体的な文脈に根ざした正義感覚を指すものである。

3.2 文脈依存性の問題

山田(1992)は「日本における規範について」において、御成敗式目における道理の意味が高度に文脈依存的であることを指摘している。すなわち、「この場面で、この人々の間で、何が適切か」という具体的状況に即した判断基準である。

この文脈依存性は、一見すると柔軟で実践的な法運用を可能にするように見える。しかし、すべての事案に個別対応することは物理的に不可能である。この限界が後に深刻な構造的問題を引き起こすことになる。

3.3 共同体主義的性格

Haley(1991)は『Authority without power: Law and the Japanese paradox』において、日本における法が「共同体的価値への司法の大いなる敬譲が存在する共同体主義的構築物」として機能していると論じている。御成敗式目の「道理」は、この共同体主義的法哲学の原型を提供した。

しかし、Haleyが論じた共同体的秩序維持の発達は、裏を返せば、明文化された法による統治の未発達を意味する。「道理」による判断は、共同体内部では機能しうるが、共同体の境界を超えた普遍的適用には原理的な限界を持つ。

 

4. 中国法家思想との比較:普遍主義の排除

4.1 中国法家思想の普遍主義

御成敗式目の「道理」概念を理解するためには、それが何を排除したかを明らかにする必要がある。比較の対象となるのは、日本が法技術を借用した中国の法思想、とりわけ法家思想である。

Pines(2023)によれば、中国法家思想(fajia 法家)は、個人の道徳よりも「公平な基準による統治」(fa)を強調した。法家において法は「公正かつ透明で、すべての臣民に平等に適用される」ものとされた。韓非子に代表される法家思想は、「法・術・勢」の三位一体による統治を説いたが、その核心は恣意的な人治ではなく、明確な基準に基づく法治にあった。

4.2 御成敗式目における普遍主義の排除

御成敗式目は中国の法技術を受容しつつも、この普遍主義的核心を意図的に排除した。抽象的な普遍基準よりも「道理」という文脈依存的判断を優先する選択がなされたのである。

この選択には歴史的背景がある。御成敗式目は武家社会という特定の共同体のための法典として構想された。北条泰時自身が述べているように、「武家の人々への道理」を示すことが目的であり、すべての人に平等に適用される普遍法典を志向したものではなかった。

4.3 普遍主義排除の帰結

普遍主義の排除は、以下の帰結をもたらした。

第一に、法の適用範囲が共同体の境界によって限定される。御成敗式目は「公家、寺社などの非御家人であっても訴訟においてこれを利用できた」とされるが、これは普遍的適用ではなく、武家法廷への任意のアクセスを意味するに過ぎない。

第二に、法的判断の基準が文脈に依存するため、同様の事案でも異なる結果が生じうる。これは法的予測可能性を根本的に損なう。

第三に、「道理」の解釈権が特定の者(評定衆、後には各共同体の権力者)に集中し、解釈権を持つ側に有利な構造が形成される。

 

5. 天命概念の拒絶:正統性と正義の分離

5.1 中国における天命思想

普遍主義の排除と並んで、日本法哲学の方向性を決定づけたもう一つの哲学的選択が、中国の「天命」概念の拒絶である。

中国の天命思想において、統治者の正統性はその公正さ・徳に依拠する。天は有徳の者に統治を命じ(天命)、統治者が徳を失えば天命は移る。この思想は、不正な統治者を交代させる理論的根拠を提供する。すなわち、権力の正統性と正義は不可分に結びついている。

5.2 日本における天命の拒絶

日本はこの天命概念を明確に拒絶した。「日本人は中国の『天命』概念を拒絶し、天皇の権力はその公正さや正義ではなく、皇統の血統に由来すると主張した」。天皇の正統性は神話的血統に基礎づけられ、統治の公正さとは無関係に維持される。

この選択は御成敗式目の時代にも貫徹している。北条氏は執権として実質的な統治権を行使したが、その正統性は天皇・将軍からの委任という形式に依拠した。統治の正当化根拠は、統治内容の公正さではなく、権限委任の連鎖にあった。

5.3 正統性と正義の分離がもたらす帰結

天命拒絶の哲学的帰結は深刻である。

第一に、権力の正統性が「正しさ」から切り離される。統治者は正しいから統治するのではなく、血統や地位によって統治する。

第二に、権力批判の理論的基盤が形成されない。天命思想では「この統治は不正であるから正統性を失う」という論理が成立するが、血統主義ではこの論理が働かない。

第三に、既存の権力配置が「伝統」「血統」「先例」によって自動的に正当化される構造が生まれる。「道理」はこの構造の中で、現状を追認し正当化する機能を果たすこととなった。

5.4 「道理」の権力追認機能

天命を拒絶した体制において、「道理」は独特の機能を担う。普遍的正義の基準がない以上、「道理」の内容は既存の権力関係の中で決定される。「道理」は権力を批判する基準ではなく、権力が下した判断を事後的に正当化する装置となる。

これは「道理」の本質的な堕落である。本来、北条泰時が構想した「道理」は「権門を恐れず、道理の推すところ」を基準とする審理原則であったかもしれない。しかし、正統性と正義が分離した構造において、「道理」は権力から独立した判断基準たりえない。

 

6. 歴史的継承:室町・戦国・江戸期を通じた構造の固定化

6.1 御成敗式目の長期持続性

御成敗式目の影響は約400年間にわたって持続した。この長期持続性自体が、上述の構造的問題の固定化を意味する。

室町時代(1336–1573年):足利幕府は御成敗式目を基本法として明示的に採用した。建武式目(1336年)は北条義時・泰時の政治を理想として掲げた(松園, 2020)。追加法は元の御成敗式目の補遺として位置づけられ、基本構造は維持された。

戦国時代(1467–1568年):地方の戦国大名は、御成敗式目を範とした分国法を発布した。各大名領国という閉じた共同体ごとに「道理」が解釈・適用される構造が拡散した。

江戸時代(1603–1868年):御成敗式目は武家諸法度(1615年)まで基礎的法典として存続し、寺子屋において習字の教科書として広く使用された。式目注釈学という学問伝統が形成され、「道理」に基づく法思想は知識人層にも浸透した。

6.2 Steenstrupによる武家倫理の系譜

Steenstrup(1973, 1974, 1977)による一連の翻訳研究は、武家倫理哲学の発展を跡づけている。北条重時(「外向的」倫理)から今川了俊(仏教・儒教の総合)を経て北条早雲(「内向的」倫理)への変遷が示されているが、いずれも普遍主義への転換は見られない。文脈依存的な「道理」の枠組みは、内容を変えながらも構造として維持された。

6.3 徳川期における共同体規範の発達

Henderson(1965)の『Conciliation and Japanese law』およびHenderson(1974–1975)の『Village "contracts" in Tokugawa Japan』は、徳川期における調停と村落契約の研究である。これらの研究は、共同体に基づく法秩序が公式の国家法から独立して機能したことを実証している。

Haley(2010)は「Rivers and rice」において、村落(mura)が徳川期統治の「パラダイム」であったと論じている。しかし、この共同体的秩序の発達は、明文化された普遍的法原則の発達を代替し、阻害するものでもあった。各村落・各藩という閉じた共同体内で暗黙知として共有される「掟」が、公式の成文法より実効的な規範として機能する構造が確立されたのである。

 

7. 近代法への継承:条理の法源化と構造の温存

7.1 近代化と法制度改革

明治維新後、日本は西洋法の大規模な継受を行った。しかし、この近代化は御成敗式目以来の構造的問題を根本的に解決するものではなかった。

7.2 条理の法源化

関連概念である条理(jōri)は、太政官布告第103号(1875年6月8日)において形式化された。「成文法に欠缺がある場合に裁判所が用いる任意的法源としての慣習と条理」が確立されたのである。

この規定は、近代法体系の中に「道理」的思考を制度的に温存することを意味する。成文法の欠缺を「条理」で補うという構造は、普遍的原則より文脈的判断を優先する発想の継続である。裁判官は成文法に規定がない場合、「条理」すなわち「自然的理性」に基づいて判断することが公式に認められた。

7.3 裁判所の共同体保守主義

松井(2002)は「The role of courts in "making" law in Japan」において、日本の裁判所が西洋のような「法創造」よりも「共同体保守主義的」アプローチを取る傾向があることを指摘している。裁判所は既存の共同体規範を尊重しながら法を解釈・適用する姿勢を維持している。

Haley(1978)の「The myth of the reluctant litigant」は、日本における低訴訟率を制度的障壁(裁判所の処理能力、弁護士の利用可能性、手続費用)から説明した。しかし、制度的障壁の背後には、訴訟より共同体内調停を優先する法文化が存在する。Kawashima(1963)が指摘した「集団的調和、関係維持、非訴訟的紛争解決への選好」は、御成敗式目以来の構造の現代的発現である。

7.4 構造の温存と近代化の限界

近代日本法は、形式的には西洋法を継受しながら、実質的には「道理」的思考を温存した。成文法は存在するが、その解釈・適用において文脈依存的判断が優先される。公式の法体系と共同体内の非公式規範が並存し、後者が実効的に支配する二重構造は、近代化後も維持されたのである。

 

8. 構造的問題の現代的発現

8.1 法運用における歪み

御成敗式目以来の構造的問題は、現代日本においても深刻な形で発現している。

すべての事案に個別対応することは不可能である。にもかかわらず、普遍的基準より文脈的「道理」を優先する法文化においては、個別事案の特殊性が常に強調される。結果として、「道理」の名の下に現実を法に合わせて歪曲する解釈慣行が形成される。

この歪曲は法的予測可能性を根本的に損なう。同様の事案でも、共同体内の力関係や「空気」によって異なる結果が生じうる。法は行為の指針としての機能を失い、事後的な正当化装置と化す。

8.2 解釈権の偏在

「道理」の解釈権は特定の者に集中する。共同体内の権力者、多数派、中心的成員が「道理」の内容を事実上決定し、周縁的成員や外部者はその解釈に従うことを強いられる。

Smith(2003)による忠臣蔵研究は、「喧嘩両成敗」原則と「意地」の対立を分析している。喧嘩両成敗は争いの両当事者に均等な処罰を科す原則であるが、これは加害者・被害者の区別を曖昧化し、被害者の権利主張を抑制する機能を持つ。「調和」の名の下に、権利侵害を受けた者が沈黙を強いられる構造である。

8.3 成文法と「掟」の二重構造

現代日本においても、法制化された成文法より、閉じた共同体内で暗黙知として共有される不文の「掟」が優先される現象が広く見られる。企業、官庁、学校、地域社会など、各共同体は独自の「掟」を持ち、それは公式の法規範としばしば矛盾する。

この「掟」は暗黙知であるがゆえに、共同体の成員にのみ可視である。外部者にとっては参入障壁かつ排除装置として機能する。「掟」を知らない者、「掟」に従わない者は、法的には正当な行為を行っていても、共同体内で不利益を被る。

8.4 国際社会との緊張

この構造的問題は、国際社会との関係において深刻な緊張を生む。現代の国際法秩序は、個人の権利、法の支配、平等性といった普遍的原則を基礎としている。文脈依存的な「道理」、正統性と正義の分離、成文法より「掟」を優先する法文化は、これらの原則と根本的に相容れない。

Ramseyer & Nakazato(1999)は『Japanese law: An economic approach』において、日本法が西洋法と根本的に異なるという前提に異議を唱えた。しかし、法の形式的構造が類似していても、その運用における文脈依存性と権力追認機能は、実質的な差異を生み出す。日本の法的「独自性」が国際社会において「信頼性の欠如」と認識されるリスクは、看過できない。

 

9. 結論

本稿の考察を通じて、日本法哲学における「道理」の構造的問題が以下のように明らかとなった。

第一に、普遍主義の意図的排除について。 御成敗式目は中国から法技術を借用しながら、中国法家思想の核心である「公平な基準による統治」という普遍主義的原則を意図的に排除した。Pines(2023)が指摘するように、中国法家は法の公正性・透明性・平等適用を原則としたが、日本はこれを「道理」という文脈依存的判断基準に置き換えた。

第二に、正統性と正義の分離について。 日本が中国の「天命」概念を拒絶し、天皇の権力を血統のみに基礎づけたことは、決定的な哲学的分岐点であった。天命思想では統治者の正統性はその公正さに依拠し、不正な統治は正統性を喪失する。この原理の拒絶により、日本では権力の正統性と正義が切り離され、権力批判の理論的基盤が形成されなかった。「道理」はこの構造の中で、既存の権力配置を追認する機能を果たすこととなった。

第三に、法運用における構造的歪みについて。 上記の哲学的選択は、具体的な法運用において深刻な帰結をもたらした。すべての事案に個別対応することは不可能であり、結果として「道理」の名の下に現実を法に合わせて歪曲する解釈慣行が形成された。これは法的予測可能性を損ない、解釈権を持つ権力者側に有利な構造を固定化した。

第四に、成文法に対する「掟」の優越について。 Haley(1991)が論じた共同体的秩序維持の発達は、裏を返せば、明文化された法による統治の未発達を意味する。この構造の上に、法制化された成文法よりも閉じた共同体内で暗黙知として共有される不文の「掟」が優先される法文化が形成された。1875年の太政官布告における「条理」の法源化は、近代化以降もこの構造が制度的に温存されたことを示す。マックス・プランク比較国際私法研究所が指摘するように、日本の法伝統はローマ法伝統から完全に独立しており、今日に至るまで共同体主義的構造によって特徴づけられている。これは「独自性」であると同時に、普遍的法原則の未発達という構造的欠陥でもある。

結論として、 御成敗式目に起源を持つ「道理」の問題は、単なる中世の遺制ではなく、普遍主義の意図的排除と正統性・正義の分離という哲学的選択に根差している。この哲学的基盤が、解釈権を持つ者に有利な法運用、明文法統治の未発達、そして成文法より暗黙の「掟」を優先する法文化を生み出した。21世紀の国際社会において日本が法的信頼性を確保するためには、この根本的な哲学的前提を再検討し、権力の正統性を正義に基礎づける原理、および明文化された普遍的法原則に基づく統治への転換が求められる。

 

参考文献

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