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かわいいは、つくれる!_第12話

第12話:かわいいは、つくれる

春の風は、少しだけ季節を先取りするように頬を撫でて通り過ぎていく。
放課後の繁華街、駅前の時計塔の下。制服姿の学生たちがちらほらと行き交い、部活帰りの笑い声が遠くから聞こえる。

その喧騒の中に、ひときわ視線を集める存在がいた。

「……やっぱり、こういうの、浮いてるかな」

智華はうつむき加減に、小さな声で呟いた。
ふわりと揺れるピンク系のチェックのスカート。レースがあしらわれた白のブラウスは、肩に少しかかるリボンと合わせて可愛らしさを強調している。小ぶりのショルダーバッグには、うっすらと“猫耳”モチーフのチャームが光っていた。

けれど、なによりも目を引くのは、智華の“表情”だった。

いつものように気丈に笑っていない。
不敵に構えていない。
ただ、どこか心細げに、目を伏せている。

「……似合ってるよ。めちゃくちゃ」

思わず言葉がこぼれたのは、駅前にやってきた直哉だった。
彼はいつもより少しラフな服装——Tシャツにパーカー、ジーンズといった定番の男子高校生らしい格好だが、髪もきちんと整えてきた様子が見て取れた。

「っ……なにそれ、いきなり……」

智華が顔を上げると、頬がうっすらと赤くなっていた。

「……ちょっとドキッとしたじゃん」

「いや、だって……その、ほんとに可愛いから……」

直哉も自分で何を言ってるのかわからなくなり、頭を掻く。けれどその視線は逸らさずに、ちゃんと智華を見ていた。

「……ありがと」

短く、それだけ。でもその言葉に、たしかな温度があった。

それからしばらく、二人は並んで歩き始めた。
アーケード街の雑貨屋をのぞいたり、クレープを買って分け合ったり。けれど、まるで“ちゃんとデートしてます!”と強調されているような空気に、ふたりともなかなか素直になれない。

「ねぇ、ナオヤくん。ボク、変じゃないかな」

ふと智華が立ち止まって、ぽつりとこぼす。

「こういうの、憧れてたけど……ほんとは、似合わないのかもって、ちょっと思って」

「似合ってないわけないだろ」

直哉はすぐに否定した。強めの声で。

「智華はさ、いつもかっこよくて、強くて……それだけでもすごいのに、今日みたいに“可愛い”のまで見せられたら、どうしたらいいかわかんなくなるんだよ」

その言葉は、素直だった。
誇張も、美化もしていない。ただ、目の前の相手のことを真剣に見て、そのまま言葉にした。

智華は一瞬、驚いたように目を見開いた。そして……

「……ほんとにずるいな、ナオヤくん」

と笑った。ふわりと、心から嬉しそうに。

「そういうの、反則。ボクのこと、めちゃくちゃドキドキさせるんだから」

その瞬間、ようやく二人の間の“壁”が溶けた気がした。文化祭、病気の日、すれ違いの中で重ねてきた距離。それが今、ようやくゼロに近づいてきたのだと。

そのあとも、二人は喫茶店でまったりしたり、駅前のベンチで人の流れを見て過ごしたりと、穏やかな時間を重ねていった。

けれど——

「……やばっ、なんか緊張してきた!」

クレープを食べ終えた直後、智華が突然立ち上がる。

「えっ?」

「なんでもない! ごめん、先帰るね!」

「ちょっ、待って!」

逃げるようにその場を去っていく智華。
スカートがふわっと舞い、夕暮れの光に透ける。

直哉は一瞬呆気に取られるが、すぐに立ち上がる。

(バカか、俺! せっかくの機会なのに、ちゃんと伝えてねえ!)

そして——追いかけた。

“あのとき”と同じように。
智華が、熱を出しながらも強がっていたあの日のように。
彼は、今度こそ自分の気持ちをちゃんと伝えるために走る。

その足音が、街の夕暮れに響いていった。


日が傾き、街にオレンジのフィルターがかかり始める頃。
智華と直哉は、駅前から少し離れたショッピングモールへと足を運んでいた。

エスカレーターで上がる間、智華のスカートの裾がふわりと揺れ、その横顔が光に透けて見える。ふとした仕草すら絵になるのに、本人はまるで気づいていないようだった。

「ここ、来てみたかったんだよね。新しいゲーセン、面白そうって聞いたから」

「へぇ……そうなんだ」

直哉はそう答えながら、内心では“来たかった”というその言葉にちょっと胸が跳ねた。
自分との“デート”に、期待してくれていたのだろうか。そう考えるだけで、顔が熱くなる。

最新のアーケードゲームに、クレーンゲーム、リズムゲームにレトロ筐体まで。煌びやかなゲーセンの中、二人はまるで小学生みたいにはしゃいだ。

「ちょっ、見て見て! このぬいぐるみ、取れそうじゃない?」

「マジか、それ絶対ハマるやつだって……ほら、どかないって!」

クレーンゲームに挑んでは二人で悔しがり、対戦型の格ゲーではなぜか智華が圧勝。直哉が本気で「反応おかしいだろ! 忍者かよ!」と叫び、智華が「それ、事実なんだけど♥」と得意げに笑う——そんなやりとりが、まるで日常に溶けていた。

そのときだった。

ふいに訪れた静寂。

休憩がてら並んで座った、ドリンクバー付きのテーブル。騒がしい店内のBGMの中で、智華がぽつりと呟く。

「……なんか、普通の“カップル”みたいだね、私たち」

言葉そのものはなんてことないのに、空気が一瞬、止まった。

直哉は答えられなかった。
口を開けば、なにかが“決定的に変わってしまう”気がしたからだ。今ここで軽く流してしまえば、この空気も、彼女の気持ちも、うまく誤魔化せる——

けれどそれは、もう無理だった。

沈黙が二人の間に落ちる。

智華は、そんな空気をごまかすように立ち上がった。

「ごめん、ちょっとトイレ。……すぐ戻るから」

笑顔の中に、かすかににじむ“逃げ”の色。
直哉は何も言わず、うなずいた。

彼女が姿を消したあと。
直哉はしばらくテーブルに手を置いたまま、天井を仰いで息を吐く。

「……はぁ、バカか、俺」

自分の気持ちなんて、もうずっと前から決まってた。
あの日のキス、文化祭の夜、手を握って歩いた帰り道。

“惚れてた”。あのときから。
智華のことが、好きだった。

男とか、女とか。
そういうのを全部超えて、ただ“この人”が好きだと思った。
笑って、強がって、でも本当は誰よりも傷つきやすいその姿に、惹かれていた。

「逃げたの、俺のほうか……」

呟いて、ベンチに座ったまま、ポケットからスマホを取り出す。画面には智華からのメッセージが並んでいた。文化祭の打ち上げのあとに送られてきた「楽しかったよ、ありがとう」という言葉。そのひとつひとつが、優しくて、まっすぐで。

“可愛いは、つくれる”。
それは、智華が何度も言っていた言葉だった。

けれど今の智華は、“作った”可愛さなんかじゃない。
泣きそうな顔も、照れた仕草も、スカートを気にして自分を守ろうとするその全部が、“そのままの智華”だった。

直哉は立ち上がった。
もう決めていた。答えは出ていた。

あとは、それを伝えるだけだ。

視線の先に、小さな人影が戻ってくるのが見えた。
ドアの向こうから、ゆっくりと歩いてくる姿。

ピンクのスカートが、ふわりと揺れた。


日が完全に傾いて、街の光がひときわ強くなり始めたころ。
ゲーセンのドアが開き、誰かが出てくる音がして、直哉は反射的に顔を上げた。

——違う、知らないカップルだ。

安堵と同時に、胸にざわつく感情が浮かぶ。
さっきまでそこにいたはずの智華。
笑って、照れて、ほんの少し距離を詰めようとしていた、その人が。

……いない。

椅子の上には、飲みかけのカップと、荷物の一部だけが残されていた。

そして、スマホの画面には、通知が一件。
「ごめん、先に帰るね」

たったそれだけ。
短い言葉。でもその裏には、たぶん、たくさんの感情が詰まってる。

直哉は立ち上がった。
考えるより先に、足が動いていた。

「——っ!」

ゲーセンの自動ドアを抜け、外の空気が肺を満たす。
街はまだにぎやかで、人の波が途切れない。

スマホを握りしめながら、人混みをすり抜けて駆け出す。
こんなに必死に誰かを探したのは、初めてかもしれない。

——智華。
どこに行ったんだ。

ただ帰ったなら、駅だろうか。
でも、こんな風にメッセージを残して帰るような子だったか?
あの笑顔の裏に、どれだけの葛藤があったのか。

“普通のカップルみたい”。
その言葉のあと、空気が変わったのは自分のせいだ。
答えられなかった、自分が。

だから、逃げさせた。

「……違うだろ、俺……!」

走る。雑踏の中を、靴音がやけに響いた。
周囲の視線も気にせず、まるでドラマのワンシーンみたいに、ただ一直線に。

走りながら、思い出していた。
文化祭の夜。
額にくれたキス。
“ボク、強がってるだけなんだ”って言ったあのときの顔。
『ナオヤくんが来てくれて……ちょっと期待してた』って、あの微笑み。

全部、嘘じゃなかった。
でも、自分がそれを見て見ぬふりをした。
“男の娘”とか、“普通じゃない”とか——
そんなことで勝手に線を引いて、正面から向き合わなかったのは、きっと自分だ。

そんなときだった。

視線の先に、薄桃色のスカートがちらりと揺れた。

——いた。

モールの裏、薄暗い商店街の端にある、細い路地。
人の目が届かないその場所で、智華は一人、しゃがみ込んでいた。

小さな鏡を片手に、私服から制服へと着替えようとしている。
普段着慣れたはずの制服に袖を通すその姿は、どこか寂しげで、投げやりに見えた。

「……智華!」

声が裏道に響く。
その瞬間、彼女の肩がびくりと揺れた。

振り返る。
驚いたような、でもどこか諦めたような表情。

「……ナオヤくん」

「あのLINE、なんだよ。どうして……帰るなんて」

「ごめん。なんか……やっぱり、無理だなって思っただけ」

智華は、ゆっくりと視線を伏せる。

「可愛い服、着ても。好きって気持ち、伝えても……最後に残るのは“男の娘”っていう現実だけでさ」

制服の袖を握りしめながら、彼女は続けた。

「今日、ナオヤくんが何も言わなかった時に、ちょっと分かっちゃった。ボク、やっぱり“選ばれる”資格なんてないんだなって」

静かな言葉が、胸に突き刺さる。

「“かわいいは、つくれる”って言ってきたけど……本当は、ボク自身が信じられてなかった。いつか否定されるって、どこかでずっと怖がってたんだと思う」

風が吹いた。
制服の袖が、ふわりと揺れた。
智華の頬にかかる髪が、震えている。

直哉は、息を飲んで一歩、近づいた。

「智華……」

喉元までこみ上げた言葉を、次の一歩に乗せて、彼は続けた。

「俺、お前のこと——」

その先を言うには、もう少し、覚悟が必要だった。

でも、もう逃げるのはやめた。

たとえ、どんな選択になったとしても。
この“背中”を、もう二度と追いかけるだけにはしない。


「逃げんなよ、智華――!」

その叫び声は、夕暮れの路地に響き渡った。
不意に振り返った智華の肩が、びくりと揺れる。
制服のまま立ち尽くす彼女の頬に、赤い夕陽が淡く差し込んでいた。

「……ナオヤくん」

小さく名前を呼ぶ声には、迷いが混ざっていた。

「なんで……なんで、来たの?」

涙を堪えるように目元を伏せて、彼女は自嘲気味に笑った。

「ボクはさ、“可愛くなりたい”ってずっと思ってた。でも、結局は“男”なんだよ? それがどうしたって現実で、それが……怖いんだよ」

直哉は肩で息をしながら、ゆっくりと近づく。

「でも、お前はその現実に向き合って、立ち向かって……それでも、“可愛い”を諦めなかったんだろ?」

智華の瞳が揺れる。

「その強さが、どれだけかっこよかったか、ちゃんと見てたんだよ、俺は」

「……でも、世間的には、おかしいんだよ。男がフリルのスカート穿いて、ピンクのリボンつけて、声を高くして笑って。そんなの、変って思われる。——嫌われる」

その言葉に、直哉の拳が震えた。

「だったら、そんな世間の方が間違ってる」

強く、はっきりと。

「俺は、お前が“男”でも“女”でも、関係ない。お前が“お前”だから、惚れたんだ」

智華の瞳が見開かれる。
その奥に、驚きと、恐れと、そして微かな希望が混ざっていた。

「最初は、俺も戸惑ったよ。お前が“男の娘”だって知った時、頭ん中ぐちゃぐちゃだった。でもな、それ以上に——お前が笑ってるのを見ると、胸があったかくなるんだよ」

言葉が止まらない。

「ふとした瞬間に見せる不安そうな顔とか、誰かを気遣ってるときの優しさとか。全部、お前そのものが、俺の中でどんどん大きくなってって……気づいたら、もう目が離せなくなってた」

智華は唇を震わせながら、言葉を探していた。

「……ほんとに? それ、本気で言ってる?」

「本気じゃなきゃ、こんな必死で探したりしねえよ」

少し照れたように、でも真剣に。
直哉は一歩、また一歩と距離を詰める。

「俺はもう、お前に惚れてる。それだけだ」

風が吹いた。
その風に、智華の髪がふわりと揺れる。

「お前がどんな性別だろうと関係ない。“智華”ってやつに惚れた。それが全部だ」

沈黙が落ちる。
小さな路地に、夕暮れと風の音だけが流れた。

そして——

「……ナオヤくん、バカだなぁ」

ぽつりと、涙交じりの声が漏れる。
それは泣いているようで、笑ってもいて。

「バカで、真っ直ぐで、……でも、それがいちばん、ズルいよ」

智華がふわりと笑った。
今にも崩れてしまいそうな不安の鎧を、少しずつ脱いでいくように。

「ボク、本当に……めちゃくちゃ、嬉しいんだけど」

その笑顔が、いつもの“可愛い”をまとっていた。

「変でも、男でも、ボクはボク。ずっとそれを言い聞かせてきたけど、信じきれなかった。でも……ナオヤくんが言ってくれるなら、信じられるかもしれない」

直哉が、そっと手を差し出す。

「じゃあ、これからは一緒に信じていこう。お前が“お前”でいられるように、俺が全部支える」

智華の瞳が、また少し潤んで。
でも今度は、迷いのない笑顔でその手を取った。

「……うん、よろしくね、ナオヤくん」

ふたりの手が、重なった。

温度が、伝わる。
心が、伝わる。

この手はもう、離さない。


商店街裏の小さな空き地。夕焼けが差し込むその空間に、二人きりの世界が静かに満ちていた。

 智華は制服のシャツを手にしながら、動けずにいた。表情は俯きがちで、どこか怯えたような、それでいてどこか懐かしいような、曖昧な色を帯びていた。

 だが直哉の言葉――「お前が“お前”だから、好きになったんだよ」――それが風のように、彼女の中の硬く閉ざされた扉を揺らした。

 「……それ、反則だよ……」

 ぽつりと漏れた声は、震えていた。智華は、もう制服に着替えるのをやめて、抱えていたシャツをゆっくりと地面に落とした。
 そして、まるで力が抜けたように、その場にしゃがみ込む。頬を涙が伝った。

 「ねぇ、ナオヤくん……ボク、ずっと、怖かったんだよ。見た目とか、声とか、仕草とか、周りの目とか、家族の期待とか……いろんなものを“かわいく”見せなきゃって……」

 震える手で自分の胸を押さえながら、彼女――いや、彼――は、ゆっくりと顔を上げた。
 直哉は何も言わなかった。ただ、そっと膝を折り、目線を合わせる。

 「でもね……」
 智華は涙まじりに、笑った。

 「それでも、ボク、めちゃくちゃ嬉しいんだけど♥」

 その言葉は、もう紛れもなく“霧島智華”としての、本物の声だった。自分が“男”か“女”か、なんてことを超えて、“今この瞬間”を生きるための、全身全霊の言葉だった。

 直哉は、その笑顔に目を奪われる。頬が赤くなるのを感じたが、逃げなかった。

 そっと、手を差し出す。

 智華もまた、その手を取った。指先が触れ合い、温もりが交じり合う。手のひら同士が重なった瞬間、互いにふわりと笑った。

 「なあ……」

 直哉がぽつりと呟く。

 「これが“かわいい”ってやつなら、俺は、毎日でも付き合いたいって思う」

 智華は一瞬目を見開いた後、顔を赤らめ、ほんの少しだけ身体を傾けた。
 ふたりの額が、そっと触れ合う。

 言葉なんて、もう要らなかった。
 夕焼けの中、オレンジの光に照らされたその瞳には、不安でも迷いでもない、“信頼”と“好き”が宿っていた。

 「ありがと、ナオヤくん」

 その一言に、今までの全部が詰まっていた。

 信じられないほど優しい風が吹いた。
 どこかから、小さな鐘の音が聞こえた気がした。夕方の街のざわめきも、子どもたちの笑い声も、車のクラクションすらも、まるで遠い背景のようだった。

 二人の世界だけが、確かにそこに存在していた。

 この瞬間がある限り、きっと、世界は優しい。


夕暮れの街は、週末のざわめきとオレンジの光に包まれていた。
 ショッピングモールの明かりが灯り始め、アスファルトに長く伸びる影の中を、二人の足音が響く。

 智華は、もう制服に着替えていた。
 けれど、さっきまで着ていたスカートとフリルの私服の名残をどこかに感じさせるように、歩く姿は柔らかく、優雅だった。

 そして、その頬にはまだほんのりと熱が残っていた。
 さっき、直哉に告げられた言葉――「男でも女でも関係ない。お前が“お前”だから、好きになった」――
 その余韻が、胸の奥で何度も何度も、やさしく波紋のように広がっていた。

 信号待ちで立ち止まったとき、智華が口を開く。

 「……ねぇ、ナオヤくん」

 横顔のまま、すこしだけ声が震えている。

 「また、デート……してくれる?」

 その問いは、どこか不安げで、それでいて、期待に満ちた表情だった。

 直哉は肩を揺らして、短く笑った。

 「……何回でも」

 その返事に、智華の顔がぱあっと明るくなる。
 頬が染まるのを隠すように、彼女はうつむきながらも、そっと差し出す。――その手を。

 直哉は、ゆっくりとその手を握った。
 細くて、あたたかい指先。
 見た目じゃない。性別でもない。ただ“この人”の手を取りたい。心からそう思った。

 二人は信号が青に変わるのを見届けて、ゆっくりと横断歩道を歩き出した。

 人混みのなかでも、しっかりと繋がれたその手は、ほどけなかった。

 ふと、智華が呟いた。

 「……“かわいい”ってさ」

 「うん?」と、直哉が隣で聞き返す。

 智華は、小さく微笑みながら続ける。

 「“かわいいは、つくれる”って、ボク、ずっと信じてた。髪型とか、服とか、声とか……そうやって“女の子らしく”してれば、誰かに好かれるって。でも――」

 手の中にある直哉の指を、きゅっと握る。

 「好きになってくれたのは、“ボク自身”だったんだね。どんな格好をしてても、どんな性別でも……ナオヤくんの心が、それを超えてくれたから」

 その言葉に、直哉は答えた。

 「それは、お前が本気で“かわいく”あろうとしてたから、だろ」

 「え?」

 「努力して、悩んで、泣いて、それでも笑ってた。その全部が、“お前”だったんだ。そりゃ、好きになるしかねえだろ」

 言いながら、自分でも少し照れてしまった。
 智華はそんな直哉の顔を見て、嬉しそうに――もう本当に、心の底から嬉しそうに笑った。

 「ナオヤくんって、ほんとずるいね」

 「は?」

 「ボクより、ずっと“男らしい”んだもん」

 その言葉に、直哉の顔が真っ赤になる。
 でも、逃げない。もう、迷わない。

 交差点の信号が青に変わった。
 ざわつく街の音のなかを、手をつないだまま、二人は歩き出す。

 これまでのすれ違いも、不安も、戸惑いも。
 全部抱えたまま、それでも――一緒に歩く。

 だって、この恋は、ちゃんと選んだ恋だから。

 後ろ姿が、夕暮れの街に溶けていく。
 もう制服でも、私服でもない。
 “男”でも“女”でもない。

 ――ただ、「直哉と智華」という名前の、未来がそこにあった。



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