かわいいは、つくれる!_第1話
第1話:転校生、地雷校へ行く
モテたい。ただ、それだけだった。
理由はシンプル。中学時代、俺の隣にいた“モテる奴”が、どれだけ理不尽に人生イージーモードだったか、俺はこの目で見てきたからだ。
女の子が自分から連絡先を聞いてくる。クラスLINEで発言すれば、即スタンプの雨。学祭では「実行委員の○○くんカッコイイ〜!」とか叫ばれちゃう。
一方の俺はというと――弁当を忘れても誰も気づかない。髪型を変えても、誰にも気づかれない。唯一、体育祭の借り人競争で「地味な男子」って札を引かれた時だけ、ヒロイン役の女子が俺を指差してきた。
それがどれだけ、惨めだったか。
だから、俺は決めた。
“てっぺん取ったらモテる”って噂の、あの地雷校に転校してやるって。
「ナオヤー! お弁当忘れてるわよー!」
母の声が玄関まで響いてきた。振り向いた俺に、サランラップで巻かれた唐揚げおにぎりが飛んでくる。
「……おう、サンキュ」
靴を履きながら受け取る。あまりにも軽やかに放られたそれは、もはや日常の一部だ。
「本当にあんな学校に転校してよかったの?」
「いいんだよ。モテるって、そういうことなんだよ」
「何が“そういうこと”なのかは知らないけど……ちゃんと無事で帰ってきなさいよ?」
「はいはい、行ってきまーす」
階段を駆け下り、勢いよくチャリに飛び乗る。風を切りながら思う――今日から俺は、“暁陽高校”の一員だ。
そう、噂の男子校。暴力上等、喧嘩上等。
その頂点に立てば、女の子がキャーキャー言ってくれる……らしい。
だが。
校門をくぐって、俺は思った。
「あ、これはやばい」
まず、見た目の破壊力が違う。
全身タトゥー……じゃなくて、タトゥー風の刺繍がびっしり入った改造制服の男が二人。もう一人は上裸。なのにちゃんとネクタイだけつけてる。
なんだその“規律だけ守る精神”。
金髪はもちろん、明らかに燃えてる赤髪とか、そもそも学校にファーコートで来てる奴とか――。ジャンルが違う。サバイバルゲームじゃない、これは。
「おーい、転校生だってよ」「マジで? この時期に?」「アホなんじゃね?」みたいなヒソヒソ声が飛び交うなか、職員室へ向かう俺の足は、すでに若干震えていた。
「おーっす、直哉くんね? おれが担任の田貫(たぬき)!」
見るからにチャラい、でもたぶんこの学校ではマイルドな方の先生が手を振ってくる。
「今から教室連れてくから、変な期待とかすんなよ? お前は餌だ、いいな?」
「……餌、ですか?」
「うん、最初に突っ込まれる役。サンドバッグ。通過儀礼。頑張って」
「うわあ、教育的指導ぉ……」
「聞こえてるぞぉ」
そうして辿り着いた教室の扉を開けた瞬間、俺はさらなる衝撃を受けることになる。
――静かすぎた。
いや、無音ではない。むしろうるさい。
ただ、“授業が行われてるような空気”が、微塵もない。
席は半分しか埋まっていない。スマホをいじる者、窓から外を見てる者、寝てる者、筋トレしてる者、なぜか焼きそばを炒めてる者。
「えっと……転校生、山本直哉くんでーす」
田貫先生が紹介するも、誰一人、まともに顔を上げない。
「空いてる席座って〜」の言葉に、空気のように流れて着席した俺は、ひとまず安堵の息を吐いた。
が、次の瞬間。
「おい、ナオヤン」
背後から、やけにフランクな声が飛んできた。
振り向くと、銀髪にピアスの男が、ニヤリと笑っていた。
「お前、今日から“ナオヤン”な」
「え、あ……はい?」
「オレ、ショウ。今日からナオヤンは俺の連れってことでよろしく」
「いや早いよ距離感!」
「細けぇことは気にすんなって〜!」
そのまま背中をバシンと叩かれる。
痛ぇ。いや、心の距離が痛ぇ。
俺はこのとき、ようやく理解した。
暁陽高校――ここは、“常識”の敗北地帯だ。
でも、もう引き返せない。
ここで、俺はモテる男になる。そう決めてきたのだ。
たとえ、何か大きな何かが……この後、俺の価値観を一撃でぶち壊すとしても。
それが、“姫”との出会いになるとは――このときの俺には、まだ知る由もなかった。
昼休みのチャイムが鳴った瞬間、クラスの空気が一気に乱れた。というより、“解き放たれた”というほうが正確だ。
椅子を蹴るように立ち上がる奴。机に足を乗せたままスマホをいじり続ける奴。食堂に向かってダッシュする奴。
“ここは授業の場”っていう概念、ほんとにある?と問い詰めたくなるほどのカオス。
そんな喧騒の中、俺――山本直哉は、ひっそりと立ち上がって教室を出た。
目的はただ一つ。購買でパンを買うこと。
それだけなのに、どうして胸がざわつくんだろう。というか、パンひとつ買うのに、命がけってどういうことだよこの学校。
購買前は、予想通りの混雑だった。けど、“ただの混雑”じゃない。
前の奴が買い終わった瞬間、並んでたはずの列の横から、2、3人の不良が自然な顔で割り込んでくる。
もはや**「並ぶ」という文化自体が存在していない。**
俺はその“割り込みの波”に逆らわず、少し距離を取ってパン棚を見つめていた。チョココロネ……あった。やった、まだ残ってる。
そっと手を伸ばそうとした――その瞬間。
「おい、どけよ。転校生」
低くて乾いた声が、俺のすぐ後ろから落ちてきた。
反射的に振り向くと、いたのは朝、俺の後ろの席にいた銀髪の男――ショウだった。
「てめぇ、初日から購買並んでパン買うとか、ナメてんのか?」
その隣にいたのも、似たような見た目の連中。明らかに**“暁陽高校の上位層”**という空気をまとっていた。
俺は咄嗟に笑った。自然と、でもやや引きつったそれは、中学時代からの癖だった。
「いや、別に……ナメてるとかじゃなくて、普通にお腹すいてるだけでさ」
「……笑ってんじゃねえよ」
次の瞬間、胸ぐらを掴まれた。
制服の襟が引っ張られ、足元がふらつく。ショウの目が鋭く光っていた。
後ろの連中が笑っている。購買前の他の生徒たちも、ざわめき始めた。
(やべぇ……完全に地雷踏んだ……)
心の中でそう呟いたときだった。
空気が――変わった。
それは風が吹いたとか、音がしたとか、そういうことじゃない。
なんというか、**“空気が一度、止まった”**ような錯覚。
俺の視界の隅、パン棚の向こう側から、何かがスッと滑り込んできた。
一歩。たった一歩だけで、周囲の空気を支配する気配。
「それ、ボクのパンだけど?」
その声は、柔らかくて澄んでいて、どこか中性的だった。
そちらに目を向けると――そこにいたのは、明らかに異質な存在だった。
白い肌に、ふわふわと波打つピンク寄りのウェーブヘア。
透き通るような目元、繊細に整えられた睫毛。そして、整いすぎて性別を忘れさせる顔立ち。
一瞬、女子かと見紛うほどだった。
だけどその制服は、俺と同じ“暁陽高校の男子用”だ。
彼はパン棚の前で微笑んでいた。だけど、その笑みには明確な“圧”があった。
「ショウくん、それ、ボクが朝から狙ってたパンなんだけどなぁ」
声も、表情も、口調も――どれも柔らかいのに、なぜか背筋がぞくりとした。
ショウが、反応した。
「……霧島……?」
その言葉に反応して、周囲の生徒たちが一斉に小声で騒ぎ始める。
「やべ……姫だ」「マジかよ、アイツ絡まれたの……?」「ショウ、詰んだな……」
“ひめ”。
その二文字が、空気を完全に支配した。
ショウの顔が青ざめていくのがわかる。
今まで俺の胸ぐらを掴んでいた手が、ゆっくりと力を失い、スッと離された。
そして彼は、一言も言わずに踵を返し、その場を離れた。
まるで“逃げる”ように。何事もなかったかのように。
あれほど周囲に存在感を示していた男が、何も言えずに去っていった理由。
それが、目の前に立っているこの人物――霧島智華という存在だった。
「……大丈夫?」
その“姫”が、優しく問いかけてきた。
俺は、あまりにも現実離れした状況に、どう返せばいいかわからず、ただ小さく頷いた。
智華は俺の前にあるチョココロネを取って、俺に手渡してきた。
「ごめんね、転校生くん。パン、取れた?」
急に視線を向けられて、俺はハッと我に返った。
あの柔らかい声が、俺に直接降ってくるだけで、心臓のリズムがおかしくなる。
「え、あ、うん……ありがとう……」
ろくに顔も見られないまま、しどろもどろで答えた。
彼――いや、彼女……いや、彼――霧島智華は、微笑を浮かべて頷いた。
「よかった。じゃあ、戻ろっか」
そう言って、彼は自然な動きで俺の腕を取ってきた。
ふわりとした指の感触。細くてしなやかな手。
女の子に手を引かれるなんて人生初の経験で、全身が硬直する。
廊下に出ると、周囲の目が一斉にこちらに向いた。
「……マジかよ」「“姫”が転校生連れて歩いてんぞ」「腕、組んでるし!」「狙われたか?」
ざわつきの波が、教室に向かうまでの数十メートルの間に、どんどん膨れ上がっていく。
教室に戻ると、さらに驚いたことがあった。
智華は、自分の席に向かわず――俺の隣の席に、自然に腰を下ろしたのだ。
「あれ……そっち、君の席?」
「あーうん。まあ、今日からそっちってことで」
なにその自由すぎるルール。教卓の先生が一瞬だけチラ見したけど、何も言わずにスルーした。
もはやこの学校、制度も自由なのか? それとも、この人だけが“例外”なのか?
さっきの購買での一件を思い出して、俺は後者だと確信する。
だって、あの“ショウ”が逃げ出したんだ。
殴りも蹴りもしてない。睨みすらしてない。ただ、そこに**“霧島智華”がいた**だけで、空気が崩壊した。
いったいこの人は、何者なんだ。
「ねぇ、転校生くん。名前は?」
教室内の空気がざわつく中で、隣からそんな声がかかる。
まっすぐに向けられたその瞳に、俺は咄嗟に答えるしかなかった。
「……山本、直哉。ナオヤで、いいよ」
「へぇ〜、ナオヤ。かわいい名前だね」
ぽつりと言ったその声に、俺の心臓が跳ねる。
“かわいい”って何だよ。男だぞ俺。でも、なんか否定する気にもなれない。
智華は、俺の中の常識を一つずつ、やんわりと壊していく。
そして、同時に――
その笑顔が、やけに頭に残った。
そのときの俺には、まだわからなかった。
この霧島智華という“姫”との出会いが、俺の高校生活を根底から塗り替えることになるなんて。
それどころか、こんなにも早く“日常”を失っていくとは――このときはまだ。
昼休みが終わっても、教室の空気は落ち着かなかった。
数分前に購買前で起きた“小さな事件”の余波は、まるで台風のように生徒たちの視線を渦巻かせていた。
原因は明白――霧島智華。
彼が、いや、彼女が、いや、“彼”が俺の隣に座っていることだった。
窓際の席。カーテン越しに落ちる日差しが、その髪――淡いピンクのふわふわウェーブを透かしてきらめかせていた。
光の加減でほんのり金がかって見えるその髪は、俺の知る“男子”のどれにも当てはまらない。
俺は視線を机に落としたまま、手汗で滑るシャーペンを無意味に回していた。
「ねぇ、ナオヤくん?」
名前を呼ばれた瞬間、シャーペンが手から滑って机の上を転がった。
慌ててそれを掴む俺を見て、智華はくすっと笑う。
「緊張してるの? まさか“ボクが隣”だから、とか?」
「えっ……いや、その……あの……」
うまく言葉が出てこない。何をどう返しても地雷を踏む気しかしなかった。
でも、このままじゃモヤモヤが爆発しそうで、意を決して口を開いた。
「あの……さ。君って、もしかして……女子?」
言った瞬間、教室の時が止まった気がした。
いや、言ってしまった。もっと早く、もっと優しく、もっと気を遣って聞くべきだった。
でも智華は――驚くどころか、笑った。
「ううん、男子だよ。戸籍も、身体も、心も。ぜ〜んぶ、男」
その言葉は、やけに軽やかで、だけど不思議と強さを孕んでいた。
俺は何も言えなくなった。
「え、マジで……?」
「あれ、なんかガッカリしてる?」
「いや、そうじゃない! そうじゃないんだけど……」
「けど?」
「だって……見た目、完全に女子だし、声も綺麗だし……ていうか、あのパン騒動でショウ黙らせてたし……」
「なるほど、見た目と実力のギャップに混乱してるってことね?」
そう言って、智華は机に肘をついて、顎に指を当てたポーズを取る。
ほんの少しだけ首を傾げるその仕草が、絵に描いたように“かわいい”のに、同時に“堂々としていて強い”。
その不思議なバランスが、俺を混乱させる。
「でもね、ナオヤくん。“かわいい”って、生まれつきじゃないんだよ。」
「……え?」
「ボクは、自分の顔も、髪も、身体も、“かわいくなるように”努力してるの。
どう見られたいかを考えて、鍛えて、選んで、磨いてる」
智華の目が、ふと真っ直ぐ俺を見る。
それはからかいでもなく、挑発でもなく――本気だった。
「かわいさって、自分で作れるの。性別も、固定観念も関係ない」
「…………」
俺は、口を閉じたまま、何も言えなかった。
というか、心の中が騒がしすぎて言葉にならなかった。
“男なのにかわいい”とか、“男のくせに”とか、そんな言葉が頭の中を通り過ぎるたびに、
俺自身の中にこびりついた古い価値観が、少しずつ軋む音を立てていた。
そして――なぜか。
見とれていた。俺は。
見た目に? 言葉に? それとも、堂々と“自分”を語るその姿勢に?
「……すごいな。なんか……うん。すごい、と思う」
やっと出てきたのが、その言葉だった。
智華は笑った。うれしそうに。
「ありがと。ナオヤくんって、素直だね。そういうの、いいと思うよ」
また笑った。俺の心臓がまた跳ねた。
やばい。これ完全に“見惚れてる”じゃん。
相手は男だぞ? なのに、なんでこんなにドキドキするんだ。
そして、さっきの“かわいいはつくれる”って言葉が、頭の中に残り続けてる。
こんなにブレないやつ、俺の周りにはいなかった。
強くて、綺麗で、真っ直ぐで――“姫”って呼ばれる理由が、少しだけわかった気がした。
そんなふうにぼんやり考えていたとき、不意に教室の扉が開いた。
「うぃーす。三年の“お嬢”が来てんぞー!」
その一言で、教室がまたざわつく。
俺が思考を止めて振り返ったときには、すでにその姿が、教室の後方に立っていた。
整った顔立ち、背筋の伸びた姿勢。名門女子校の制服に身を包み、まるで貴族のような雰囲気を纏っている。
「……え、誰?」
とっさに呟いた俺に、隣の智華がニヤリと笑って囁く。
「――来たね。“もう一人の異物”」
次の瞬間、俺の予感は確信に変わる。
この学校には、“常識”という名のマニュアルなんて、存在しないんだ。
放課後のチャイムは、鳴った瞬間に霧のように教室の空気を散らしていく。
座っていた生徒たちは蜘蛛の子を散らすように動き出し、早くもガラガラと机を引きずる音、帰り支度のリュックのジッパー音があちこちで響いていた。
俺もようやく腰を上げて、荷物をまとめようとしていたときだった。
「ナオヤくん、帰る?」
隣から、声。
一日中、話しかけられ続けてるせいか、もうこの声色にも慣れてきている自分がいた。
「うん、そろそろ帰ろうかな……」
俺がぼそっと返すと、すかさず――
「じゃあさ、一緒に帰ろっか?」
自然すぎて、冗談にも聞こえなかった。けど、それ以上に自然にドキッとしてる俺がいた。
「え、えっと……いいけど……なんで?」
「え?」
智華は、あっけらかんとした顔で首を傾げた。さっきの“かわいいは作れる”のときの鋭さは消えて、ただの無邪気な笑顔だった。
「だってさ、転校初日に不良に絡まれて、そのあと“ボク”に助けられて、しかも席隣になって、ってなったら、明日から学校来づらくならない?」
「…………」
一瞬、言葉が詰まった。
そう。まさに、そう思っていた。
明日からどんな顔して来りゃいいんだよ、と。
“姫の取り巻き”“特別扱い”そんな視線で見られるのが怖くて、胸がざわついてた。
それを――たった一言で、見透かされた。
俺は、しばらく無言のまま智華を見た。彼は、ただ柔らかく笑っていた。
「……なんで、そんなことわかるんだよ」
「ふふん、ボク、そういうの得意だから」
ふざけてるようで、たぶんほんとうに、そうなんだろう。
校舎を出ると、夕方の光がグラウンドをオレンジに染めていた。
制服のネクタイを少し緩めた智華は、風に髪を揺らして歩く。俺の少し前を、ふわふわとした足取りで。
「……ナオヤくんってさ、表情にすっごく出るね」
「え?」
「“困ってるとき”と“緊張してるとき”と“意地張ってるとき”が、顔に出てるの。かわいいよ」
さらっと言われたその一言に、脳みそが処理を拒否した。
いや待て、今のはなんだ? 褒められた? けど、“かわいい”って。かわいいって……?
思考の渦が止まらない。
「そ、そっちはさ、なんでそんな普通に言えるわけ?」
「言うことに理由っている? かわいいと思ったらかわいいって言うだけ」
「……強ぇな……」
「あれ、誉めてる?」
「たぶん」
歩きながらの何気ない会話なのに、なぜだろう。息が少しだけ弾んでいた。
俺はこの日、何度も心臓が跳ねている。
それはドキドキというより、まだ正体のわからない興奮に近かった。
曲がり角をひとつ越えたとき、不良たちがたむろしていた。
明らかに“地元勢”のグループ。髪も服装も自由すぎる。
その中の一人が、智華に気づいて顔を強張らせた。
「……チッ、また“姫”だよ……」
「視線合わせんなって。殺されるぞ」
俺は思わず横を見た。智華は、まったく気にしていない。むしろ、鼻歌まじりに歩いている。
「あのさ……怖くないの?」
「ん? なにが?」
「いや……不良とか、絡まれたりとか」
「うーん……怖いこと、ないってわけじゃないよ。でもね、“怖がると弱くなる”から」
「……それって、“かわいいは作れる”と似てるな」
「おっ、いいとこ気づいたじゃん」
俺は苦笑した。
いつの間にか、智華のペースに巻き込まれている。さっきまで感じてた“遠い存在”って印象が、少しだけ崩れていく。
「……でも、本当は強いんだろ?」
「強くなっただけ、かな」
智華は、夕焼けの下で振り向いた。
その横顔は、さっきよりもずっと“大人びて”見えた。
そのタイミングで、不良たちのほうに視線を向けると――彼らは一様に距離を取っていた。
目を合わせないようにして、明らかに道を空けている。
俺たちが通り過ぎるとき、後ろからは何の声もなかった。
さっきまで俺の頭を支配していた“恐怖”が、智華の存在だけで遠ざかっていくのを、身をもって感じた。
「この人は……本物だ」
“姫”なんてあだ名、最初はふざけてると思った。
でも、いまなら少しわかる。
彼は、周囲に何を言われても、自分を崩さない。自分のスタイルで立っている。
だからこそ、強くて、怖くて、そして――魅力的なんだ。
「……やべぇな。なんか俺、影響受けてるかも」
「え? なになに、ボソボソっと? 聞こえないよ?」
「なんでもないって!」
そんなやり取りをしながら、いつの間にか駅前まで来ていた。
電車の時間が合わなくて、ホームで並ぶ時間ができた。
俺はホームの端に立って、夕陽が染める空を眺める。智華は隣で、スマホを弄っていた。
ふと、風が吹いた。智華の髪が揺れて、俺の肩にふわりと触れる。
「ナオヤくん」
呼ばれて、振り向く。
「明日からも、一緒に帰ろっか」
「……は?」
「ボク、こういうの好きかも。君って、なんか“ほっとけない系”っていうか」
「……俺、また振り回されるのか……」
そう呟いたとき、ちょうど電車がホームに滑り込んできた。
智華は、軽やかにステップを踏んで乗り込んでいく。
俺はその後ろ姿を追いながら、少しだけ笑っていた。
たぶん俺は、今日一日で――少し変わった。
その実感を抱きながら、扉が閉まる音が響いた。
風呂から上がり、ドライヤーで適当に髪を乾かしたあと、机に突っ伏すようにして椅子にもたれた。
制服の上着は脱ぎっぱなし、鞄も開けっぱなし。母親に叱られる未来がチラつくけど、今はとても片付ける気分じゃなかった。
スマホのロック画面を点けたり消したりしながら、心の中では一つの言葉をぐるぐる回していた。
――“今日、何が起こった?”
転校初日。
それだけで、もう神経をすり減らす行事なのに。
そのうえ、朝から不良に絡まれ、購買で胸ぐらを掴まれ、そして。
助けてくれたのは、“姫”と恐れられる男の娘・霧島智華。
「惚れかけて、そして惚れた相手は男だった」
口に出すと、ちょっとだけ笑えてくる。
だって、現実感なさすぎる。
昨日まで普通に中学の友達と「JK最高」とか言ってた男が、たった一日で“男子相手にドキドキしてる自分”と向き合ってんだから。
「……うん。俺、マジで地雷踏んだかも」
呟いた声は小さく、でも部屋の中に響いた。
でも、それに続けて――
「……でも、あんなに綺麗で、強くて、可愛い奴……俺、初めて見た」
思ったより素直に、心の中から出てきた言葉だった。
あの目の強さ。あの振る舞い。ぶれない軸。
何より、“自分でかわいくなろうとしてる”って言いきるあの姿勢。
憧れ、なんだろうか。それとも――恋、なのか。
いや、まだわかんねぇ。けど、たぶん。
「……俺の青春、始まったんだろうな、もう」
ごろんとベッドに横になる。布団にくるまると、ほんの少し安心した。
今日の余韻が、少しだけ甘く、でも現実味を持って身体に残っている。
翌朝。
スマホのアラームを止めて、しばらく天井を見つめる。
今日は、二日目。転校生としての“新生活”が、本格的に始まる日だ。
けど……なんだか、昨日よりも気持ちが軽い。
それは、きっと。
“あの人”がいたから。
朝の支度を済ませて、玄関のドアを開ける。
春の空気が、少しだけひんやりしていた。登校するにはちょうどいい温度。
その朝の光の中に――ピンクのふわふわが立っていた。
「おはよ、ナオヤ」
その声は、昨日と同じく、飾り気がないのに不思議と心に残る。
「えっ……なんで……」
「なにって、迎えに来たんだよ?」
「……なんで?」
「だって、一緒に帰ったら、今度は“一緒に行く”のが自然でしょ?」
「いやいや、普通そうならないから」
「うそだー。ボクの中では“かわいい男子”と仲良くなったら、朝の登校は基本一緒なの」
「……おかしいだろ、その理屈……!」
「ふふ、照れてる?」
「照れてねぇ!」
「かわいい〜。今日も一日よろしくね、ナオヤくん♪」
笑顔で一歩踏み出すと、智華の制服の裾が風に揺れた。春の匂いがふわりと香る。
そのまま、智華は振り返らずに先を歩き出す。
俺はしばらく突っ立ったまま、その背中を見ていた。
けど、なんだかもう……慣れてきた自分がいた。
「……俺の青春、始まっちまったな、完全に」
今度は心の中じゃなく、ちゃんと口に出して呟いた。
そして、少し駆け足で、智華の隣へと並ぶ。
その足音に気づいたのか、彼は少しだけ、得意げな顔で笑って見せた。
春の朝。二人の影が、並んでひとつの道を進んでいく。
――これは、たぶん、“普通”の青春じゃない。
けど、俺は――悪くないと思っている。
そしてこの先、もっと“とんでもない日々”が始まるなんて、
このときの俺は、まだほんの少ししか知らなかった。
