かわいいは、つくれる!_第6話
第6話:かわいいと強いは両立する
暁陽高校の朝は、いつも通りにざわついている。不良、ヤンキー、筋トレマニア、謎のカードゲーム勢──この学校には「普通」の定義がそもそも存在しない。だが今日の朝は、そんな暁陽ですら、ざわつきの質が違った。
「はーい静かにー!……って静かになるわけないよな、ここ。ま、でも大事な話があるんだよ、お前ら」
教室の一番前で、担任の佐賀先生がスラックスのポケットに手を突っ込んだまま、飄々とした口調でそう言った。白髪交じりの無精ひげ、眼鏡の奥の鋭い目──元刑事だという噂もあるが、誰も真相は知らない。
「今日な、ちょっと変わった“視察”が来るんだ。白楊女学院、知ってるか?」
ざわっ──教室の空気が一気に騒がしくなる。
「白楊って、あの……超お嬢様学校?」 「偏差値も顔面偏差値も高いって噂の?」 「いや、待て……なんでそんなとこからうちに?」
「その理由は俺も知らん。ただ、代表として来るのは“生徒会の会計”……まぁ、見ればわかる」
そう言い終えた瞬間。教室の扉がノックもなくすっと開く。誰もがその動作に目を奪われた。
そこに立っていたのは──完璧な制服を纏い、背筋をぴんと伸ばした少女だった。
桜の花弁のような淡い色味のリボン、膝丈スカートから覗くソックスはきっちり折り目が揃い、髪はツインテールでもない、ストレートでもない。絶妙なウェーブを描きつつ、まるで1ピクセルの狂いも許されないような均整を保っていた。
木町妃華。
名門・白楊女学院の天才、いや──異才。
「ごきげんよう。白楊の木町妃華と申します。本日は、貴校の校風を拝見させていただきたく──」
ぴたり、と腰を折り、完璧な礼をする妃華に、一部の不良たちがごくりと唾を飲んだ。
「すげー……」 「人間って、あんなふうにお辞儀できんのか……」
だがその静寂を、風のように割る存在が一人。
「……また来たんだ」
廊下の窓側から差し込む光を受けて、ふわふわのピンクのウェーブヘアが揺れた。霧島智華、通称“姫”。美少女と見まごう外見で、暁陽を統べる“最強”の存在。そして、直哉の“仮”の恋人。
「っていうか制服で来るのね。気合い入りすぎじゃない?」
智華が軽口を叩くと、妃華は少しだけ口元を上げた。
「当然でしょう?貴校に敬意を示すのも、可愛さと強さのうちですわ」
「……ふぅん。敬意のつもりなら、ずいぶん睨んでくるじゃん」
「観察です。あなたの噂は、もう嫌ってほど耳にしてますから」
すでに、空気がピリつき始めている。まるで、ガソリンの中に火花が落ちる直前のような──息苦しい、緊張。
「……えー、じゃあ、木町さん。そこ、霧島の隣、空いてるから。適当に視察してって」
佐賀先生の投げやりな指示により、妃華はすっと直哉の隣に座った。教室が再びざわめき出す。
「え、あの席、霧島専用じゃなかったの!?」 「姫、取られた……?」 「てか、あの子って、昨日のゲーセンで姫を投げた“お嬢”じゃね?」
──そう。前日、妃華はゲーセンで智華をリアルで投げ飛ばし、暁陽高校に新たな伝説を残していた。
直哉は、そんな空気を感じながら──内心で呟いた。
(なにこれ……この空気、絶対“視察”じゃねぇ)
(完全に、宣戦布告だろ……!)
教室の片隅で、背筋を伸ばして座る妃華と、足を組んで机に頬杖をつく智華。二人の視線は交差しないが、確実に意識し合っていた。
まるで、“女神”と“騎士”が同じ戦場に現れたような。そんな錯覚すら覚える。
直哉は椅子の背にもたれながら、こめかみに手を当てた。
(……なぁ、俺。いま、なんかすっげえ“恋愛バトル漫画”の主人公みたいな立ち位置にいないか?)
(え、マジで?なんでこうなってんの俺……?)
鐘が鳴る。だが、始まったのは授業じゃない。
可愛いと、強さと、意地と哲学がぶつかりあう──“可愛くて戦える”ふたりの、美学の火花だった。
授業中、教室はどこか落ち着かない空気に包まれていた。
黒板にチョークが走る音、教師の声、窓から射す光──いつものはずの景色が、今日は妙に緊張している。それは明らかに、教室の一角に座るふたりの“異質な存在”が原因だった。
一人は、暁陽高校が誇る最強の“姫”・霧島智華。中性的で可憐なルックス、でもその中に一筋縄ではいかない芯を持った少年。
もう一人は、名門白楊女学院から視察という名目で現れた、木町妃華。完璧なお嬢様然とした立ち振る舞いと、静かな闘志を秘めた瞳。
智華は教科書も開かず、頬杖をついて窓の外をぼんやり見ていた。一方で妃華は、教師の話にきちんと頷きながら、美しい筆跡でノートを取り続けている。
……ただし、ちらりちらりと視線を送る先は、常に智華だった。
直哉は二人の間、戦場の最前線のような席に座りながら、胃のあたりに変な汗をかいていた。
(いや、なんか……こえぇよ。静かなんだけど、めちゃくちゃ火花飛んでる……!)
──そして、昼休み。
「一緒に、お昼……いいかしら?」
妃華は当然のように直哉の机を指差した。先に弁当を開こうとしていた智華が、ぴくりと反応する。
「へー、随分フレンドリーなんだね? “視察”なのに、男子と同席とか」
「視察には、実地調査も含まれますもの。それとも──何か不都合?」
笑顔の奥に、言外の挑発がにじむ。智華は作り笑いを返して「ぜんぜん♪」と応じた。
こうして直哉を挟んで、智華と妃華という“最強ヒロイン”二人の昼食タイムが幕を開ける。
「ねぇ、ナオヤくんはさ、“かわいい男子”って、どう思う?」
妃華の問いかけは、何の前触れもなく、さらりと放たれた。
直哉は、口に入れた唐揚げを思わず吹き出しそうになる。
「え、な、なんで急に……?」
「だって、そちらの“姫”は、“かわいさは作れる”とおっしゃるけれど──私には、それが腑に落ちないの」
妃華が、ちらと智華を見やる。智華は笑顔を保ったまま、箸で玉子焼きを突いていた。
「作るってことは、盛るってことでしょ。盛ったものは、いずれ飽きられるわ」
「ふーん。じゃあ聞くけどさ、あんたは盛ってないの? その髪、そのリボン、その制服のリボンの結び方まで、全部“自然体”なの?」
「私は、自分の理想を体現してるだけ。可愛さとは、美学の延長。飽きられるかどうかなんて、気にしない」
「じゃあボクは、“飽きられないかわいさ”を作ってるってことになるね♪」
睨み合う二人。箸を持ったままの智華、ナプキンを優雅に口元に添える妃華。見ている直哉の心拍数はどんどん上がる。
(これ、俺、なにか答えたほうがいいんだよな、たぶん……)
直哉は、意を決して口を開いた。
「……俺は、どっちもすごいと思う」
その瞬間、空気が“ピタッ”と止まった。
智華と妃華、同時にこちらを見た。
「それって……優柔不断ね」
「……でもちょっと、嬉しいかも」
また、同時に。
直哉は、その場で冷や汗を垂らしながら頭を抱えた。
(俺、今の、間違ってなかったよな!?)
「ふふっ、ナオヤくんって面白いよね。顔が真っ赤になってる」
「“かわいさ”の定義に、あんたも組み込まれちゃったかもね?」
そうして再び、視線が交差する。静かに、でも確実に、競り合っている。
笑顔の裏で牙を磨き、優雅な所作の中で牽制を繰り返す二人。
誰も手出しできない“戦場”は、まだ始まったばかりだった。
夕暮れのチャイムが校舎に響き渡る頃、智華と妃華は静かに並んで廊下を歩いていた。
「演習……って、マジでやる気なんだ」
直哉がポツリと呟く。二人は一言も言葉を交わしていない。ただその気配だけで、周囲の空気が張り詰めていた。
「一戦だけ。互いの“かわいさ”と“強さ”、ぶつけ合いましょ」
妃華の言葉は、午後の光のように淡く、それでいて芯が通っていた。
「やってやろうじゃん。ボク、投げられっぱなしは性に合わないから」
智華の笑みは、いつもの柔らかさを残しつつも、明らかに戦闘モードだった。
ふたりはそのまま更衣室へ向かい、数分後──
校庭裏に姿を現したときには、すでに体操服姿に着替えていた。
妃華は白のジャージにぴったりとしたショートパンツ。動きやすさと品位を両立した、まさに“お嬢様流のスポーツウェア”。
智華は紺のハーフパンツに、風になびくピンクのシュシュを髪に結び、軽やかなストレッチで体をほぐしている。どちらも、見る者すべての視線を奪うほどに“絵になって”いた。
「……すげぇ、ほんとにやるのかよ……」
いつの間にか集まっていた不良たちの一人が、思わず呟いた。放課後のグラウンド裏──そこは非公式な、だが確かに“決闘の舞台”となっていた。
観客席らしき階段に腰かけた直哉は、肩の力が抜けなかった。ここまで空気が張り詰めているのは、学園の抗争でもなかなかない。
「では、始めましょうか」
妃華が静かに構えを取る。その動きは、どこかゲームのキャラクターを思わせる正確さと洗練された美しさを宿していた。
「こっちも準備オッケー♪」
智華も軽く構えた。片足を引き、両手を開くような柔らかい構え。だが、瞬間的な爆発力を感じさせる独特の立ち姿だ。
「はじめ!」
不良の一人が思わず叫ぶと同時に、ふたりが弾けた。
──開幕、先手を取ったのは妃華。
一歩踏み込み、肩をわずかに振ってから繰り出す回し蹴り。まるで牽制のように見えて、その実芯を狙った鋭さを持つ。
智華はそれを半身で避け、しゃがみ込むようにして距離を詰めた。
「低姿勢からの突き、か……格ゲーの対空潰し?」
「わかってるなら、対応して♪」
軽口を叩きつつ、智華の指先が妃華の腰に添えられる。その瞬間──
妃華は体を反転させ、手を払ってそのまま投げに入ろうとする。
「投げッ!」
「まってっ!」
智華はすかさず反転し、投げ技の初動をいなす。そのままくるっと回転し、距離を取った。
「ふふ……今のはちょっと焦った?」
「ちょっとじゃない。めちゃ焦った。けど、それだけボクのこと見てくれてるってことだよね?」
「自意識過剰は、怪我の元よ」
再び踏み込む妃華。今度はフェイントを混ぜて、右足で引っ掛けを狙う──が、智華はそれを逆手に取り、カウンターの膝蹴りを繰り出す。
コッと空気を切る音。わずかにすれ違い、両者とも間合いを取り直す。
「……うそでしょ、レベル高すぎない?」
直哉の隣で見ていた不良たちが口々にざわめく。これは喧嘩じゃない。戦術と読み合い、そして“美しさ”が共存する、まさにバトルアートだ。
ふたりは息を切らしながらも、一歩も引かない。
「あなた、やるじゃない……想像以上よ」
「そっちこそ、ゲームだけじゃないんだね。本気でびっくり」
同時に笑ったその表情に、戦意と敬意が交差する。
(このふたり、きっと一生分かり合えない……でも、絶対に惹かれ合ってる)
直哉はそう感じた。静かな、でも確かに胸を震わせる“絆”のようなものが、ふたりの間に宿りつつあった。
「──次で決めようか」
「うん、いちばん“可愛い”一手で、ね」
ラストコンタクトが始まろうとしていた。
夕暮れの校庭裏。校舎の陰が長く伸びる中で、智華と妃華は再び間合いを詰めていた。観客の不良たちは、まるで映画を見ているかのように一言も発せず、ただただ静寂の中に緊張感が満ちていく。
ふと、妃華が低く問いかけた。
「──あなた、なぜそこまで“可愛く”あろうとするの?」
智華はほんの一瞬だけ動きを止め、ゆっくりと顔を上げた。その目には迷いがなかった。
「だってその方が、楽しいから!」
その言葉には、飾り気のない、けれど強烈な自信と純粋さが宿っていた。
「好きな服を着て、好きな髪型をして、好きな人を守って……それの、なにが悪いの!」
その瞬間、空気が変わった。
妃華の目が、わずかに見開かれる。
「……なるほど。あなたの“かわいさ”には、信念があるのね」
まるで納得したように、ほんの一瞬、妃華は微笑んだ。だがすぐに、その笑みが消え、鋭く美しい構えへと移行する。
「だったら証明してもらうわ、“そのかわいさ”に牙があるってことを」
「喜んで♪」
ふたりの足が同時に地を蹴った。
妃華が繰り出すのは、鋭角なステップからの“構え崩し”を狙った高速投げ。彼女の動きはまるでコンピューター制御のような正確さを誇り、相手の重心移動と癖を読み切ることに特化していた。
智華はそれを真正面から受け止めない。
あえて体を斜めにずらし、半身を切るようにして妃華の腕を掴む。だが妃華はその瞬間すら読み切っていた。
「そこ!」
妃華の指が智華の手首を捉え、わずかな体重移動で重心を崩しにかかる。投げが決まる──そう思ったその刹那。
「ちょっと、甘いよ♪」
智華の足が地を擦り、わずかな軸回転で妃華の重心を逆に崩した。両者の技が噛み合い、まるで天秤のようにバランスが揺れ動く。
「……この体勢は、まずいわね」
妃華がそう言いかけた時には、もう遅かった。
がしゃん、と土埃を巻き上げながら、ふたりは相打ちのように地面へと転がった。見物していた不良たちが一斉に息を飲む。
「やば……今の、どっちが勝った?」
「いや、今のは……相打ち、か?」
ごろん、と転がったまま、ふたりの距離はほとんどゼロ。頬が触れそうな距離で、互いの呼吸が重なる。
直哉は、思わず立ち上がりかけていた。けれど、それを止めたのは、ふたりの視線が“優しさ”に変わった瞬間だった。
智華が、ほんの少しだけ微笑んだ。
「妃華ちゃん、強いね」
「……あなたも、思ったよりずっとしぶといわ。なるほど、これは確かに、惚れるのも無理はないかも」
「え?」
「ふふ、なんでもない」
妃華は、ふいっと視線を外し、すっと立ち上がる。服に付いた砂埃を払いつつ、整然とした所作で佇む姿はまるで戦場を去る騎士のようだった。
智華も、少し遅れて起き上がった。
「次は負けないよ、今度はちゃんと“着地”する」
「次があると決まったわけじゃないけれど……楽しみにしてるわ、霧島智華」
そう言って、妃華は静かに背を向けた。だがその背中は、確かにどこか少し、柔らかくなっていた。
──ふたりの“バトル”は、一応の幕を閉じた。
だが、これはまだ始まりに過ぎない。
直哉は、まるで夢から醒めたようにぽつりと呟いた。
「……なんだよこれ。こんなもん、恋に落ちるしかないじゃん……」
それを聞いた智華が、ちゃっかり近づいてきて、くすっと笑う。
「ね、ボクのこと、もうちょっと好きになった?」
「うっ……うるせぇ!」
そのやり取りに、周囲の不良たちが「姫、マジで強ぇな」「“お嬢”もやべぇけど、どっち推すよ」と盛り上がる。
放課後の空が、少しずつ朱に染まっていく。
世界はまだ、静かに回り続けている。
「ふぅ……」
夕暮れの赤みが差し込む校庭裏。風が汗の浮いた肌を撫でるなか、先に立ち上がったのは、木町妃華だった。制服ではなく体操着姿――だというのに、そこには一分の隙もなかった。砂ぼこりのついたスカートを整える指先までもが、完璧に優雅だった。
一方、智華はまだ地面に座り込み、肩で息をしていた。額からは汗がつたっている。それでも、笑っていた。
「さて、決着は……」
妃華が口を開いた。
「これは、私の負けね」
「え?」
智華が少しだけ、目を見張った。妃華は淡々と続ける。
「理由は明白。“かわいい”と“強さ”の両立? 確かにあなたはそれを証明してみせた。でもそれ以上に――あなたは“誰かのために”戦っていた」
「……誰かの?」
「ええ。私が戦っていたのは、ただの自己満足よ。勝ちたい、強くなりたい、美学を貫きたい。それだけ。けれど、あなたの目は、違った」
智華は、ちょっとばつの悪そうな顔で、ちらりと直哉を横目で見た。
「ふーん……なるほど、そーゆーふうに見えるんだ?」
「違うのかしら?」
「……正解かも」
にやりと笑った智華が、砂のついた手で服を払いつつ立ち上がる。細身の肩が夕日で黄金色に縁どられて、そこだけまるで映画のワンシーンのように浮かび上がっていた。
「じゃあ今度はさ――誰かのために戦ってみなよ」
「……誰かのために?」
「うん。たとえば……ほら、そこにいる“誰か”とか?」
そう言って、顎で直哉の方をしゃくる。
妃華の視線が、静かに直哉へと向けられる。その目には、確かに少しの興味と――わずかに揺れる光があった。
直哉は一瞬、はっとしたような顔になり、慌てて目を逸らした。
「な、なんだよ……急に。そんな目で見るなよ」
「ふふっ」
妃華は、珍しく声を出して笑った。それはいつもの冷静さとは異なる、年相応の少女の表情だった。
「……智華に惚れる気持ち、ちょっとわかるかも」
「は?」
「へ?」
智華と直哉の反応が、ほぼ同時だった。
智華は一歩前に出ると、肩に手を当てて大げさに驚いたフリをした。
「え、えぇ!? ちょっと妃華ちゃん、それマジ発言!?」
「“ちょっと”って言ったでしょう? それに、ただの“理解”よ」
「理解って、どういう意味での!? もうそれ、直哉くんがまた変な方向に考えるやつでしょ!」
「え、え、いや俺、別に変なこと考えてないけど!? たぶん!」
三人のやり取りに、周囲の不良たちから失笑とざわめきが漏れる。
「おい、姫と“お嬢”、なんか両方デレてんじゃねーの?」
「直哉……お前、死ぬなよ」
「フラグ建ちすぎてるだろ……」
騒がしい声が、夕空に溶けていく中で、妃華はふと真顔に戻り、直哉の方へと再び視線をやった。
「……私は、まだ負けを認めきったわけじゃないのよ?」
「え……?」
「戦い方にも、想いにも。あなたの隣にいる権利、今は智華にあるけど――私は、取り返すつもり」
「…………」
直哉は言葉を失ったまま、ただ息を呑む。
智華がそれを横からぺちんと叩く。
「なに顔赤くしてんの、ナオヤくん」
「うるせぇよ……!」
そのやり取りに、また周囲の空気が温かく、そして賑やかになる。
だが、ふたりの少女の間に漂う緊張感だけは、まだ消えていなかった。
静かに、けれど確かに――戦いは“恋”という名の領域に突入していた。
直哉は、心の奥底で思う。
(なんだよ……ほんと、毎日がイベントかよ……)
夕焼けが校舎の壁を茜色に染めている。
グラウンドの砂も、教室の窓も、全部が柔らかく赤く照らされて、いつもの学校がほんの少しだけ違う顔を見せていた。
「ふう……疲れた……」
直哉が肩を回しながら帰り支度をしていると、すぐ隣でリボンを結び直していた智華が、ちらりと横目をよこした。
「ねぇ、ナオヤくん」
「ん?」
「今日さ、ちょっとだけカッコよかったよ?」
「えっ」
いきなりの一言に、直哉は思わず振り返る。しかし智華はもう、別の方向を見ながら笑っている。
「まあ、鈍くさいところは相変わらずだったけどね。ふふっ」
「お、おい……なんだよ急に……」
「べっつに? ただ、ちょっとだけ“成長”したかなって。あの妃華ちゃんに“惚れる気持ちわかる”って言われちゃうくらいだし?」
「うっ……」
思い出して、赤面。
智華はその反応を見て満足そうに、だけど少しだけ視線を落とした。
「……ま、ライバルができるのは悪くないよ。緊張感も生まれるしね」
「……ライバル?」
「うん。“恋の”ね?」
さらっと言いながらも、耳の先が少し赤い。智華自身も照れているのがわかる。
直哉はどう返せばいいか分からず、ごまかすように頭をかいた。
「はぁ……これから、もっと目立っちゃうかもよ?」
今度は智華の方が、いつもの調子で軽く笑った。
「いや、勘弁してくれって……」
だけど、その声はどこか楽しげで、どこかあたたかかった。
――一方その頃。
繁華街の小さなゲーセン、その奥の対戦格闘ゲーム筐体の前。
木町妃華は、制服姿のまま無言でコマンドを入力していた。
彼女が操るキャラクターは、紫のロングポニーテールを揺らしながら、二刀流で華麗に立ち回る女性剣士。
その隣には、無骨な鎧に身を包んだ男キャラが並び立ち、息を合わせるようにタッグ技を放っている。
画面の中のペアが、絶妙なタイミングで敵を吹き飛ばした瞬間――妃華は、わずかに微笑んだ。
「まるで……あの子たち、みたいね」
彼女の目に浮かんだのは、今日の放課後。
言葉よりも、拳と技で向き合った少女・霧島智華。
そしてその隣で、真っ直ぐな視線で二人を見ていた少年・山本直哉。
「“かわいい”と“強い”は両立するか……」
ぽつりとつぶやき、妃華はカードを読み込ませて再戦に挑む。
コンティニュー画面に映る、再び立ち上がる男女ペアの背中――
それはまるで、直哉と智華のようで。
画面が再び動き出した時、彼女の指は、わずかに震えていた。
気づかぬふりで、次の戦いへ。
でもその心の中には、確かに何かが残っていた。
――“三角形”、静かに形成されつつある。
静かに、でも確かに、物語は新たな段階へと動き出していた。
