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仕事と家庭は両立できない

具体名を出すのは避けますが、先日YouTubeでとある女性社長さんが仕事と出産育児の両立について語ってた動画を見かけました。

出産後わりとすぐに復職して、育児や家事も出来る限り外注してやりくりしているという内容。「母親は家事育児をがんばって当然」という呪いからは解放されるべきというのがメインメッセージでした。

従来から社会に根強く残っている「母親が家事育児をやるのが当然」という空気は確かにおかしいです。そうした空気に負けずに仕事に邁進してることは個人の生き方として決して責められるものではないでしょう。

ただ、こういう話を聞いた時、「それは果たして両立なのか?」という疑問が常に残っちゃうんですよね。

つまり、その是非はひとまず置いておいて、家事や育児を大幅に外注して仕事をしている状況は本当に「仕事と家庭を両立している」と呼べるのか、と。


同様の疑問は、最近Xでも見かけました。


たとえば、政治家が選挙に出る時に、「3人の子どもの父親です!」みたいな宣伝文句をつけて、家庭的な人間であることをアピールする場面がよくありますけれど、別に子どもが居るからといってその人が家庭的とは限らないことは皆さんも感じるところでしょう。政治家という職業は基本多忙ですから、子どものことは配偶者や親族、保育士、シッターさんなどに任せて、仕事ばかりしてる可能性の方が高いと思われます。

でも、「家庭を他人に任せてるかどうか」という点を不問にしてしまうと、極論こうした「家のことは全然しないけど子どもはいます」という人でさえも「仕事と家庭を両立しています」と言えてしまうわけです。

もちろん、これは最も極端な設定なので多くの人は「さすがにそれは両立とは言えない」と感じると思うのですが、そうすると「じゃあどの程度まで外注しているなら両立として許容されるのか」という問題になってきます。

平日は仕事ばかりだとしても休日だけでも家族サービスしていたら「仕事と家庭の両立」でしょうか。

でも、「仕事ばかりして家庭のことをやってない」として昨今批判されてる昭和型の働き方でさえ「家族サービス文化」が存在していたわけですから、どうもこれでは「両立」と主張するには足りなさそうです。

令和感覚で考えると、最低でも平日夜の夕食〜入浴〜寝かしつけまでの育児ゴールデンタイムを担わなければ、「両立」とは言えないかもしれません。

しかし、これにしても、平日日中のほとんどの時間を「フルタイム」に近い形で仕事に費やしているわけですから、それはやっぱり仕事が優先されてるのであって「両立」ではないのではないかという疑いは出てきます。

全く機械的に数字だけ見て考えれば、勤務時間を「フルタイム」とされる1日8時間労働の半分の1日4時間労働ぐらいにして、浮いた4時間を家庭に費やすというぐらいにして、ようやく仕事と家庭が半々の「両立状態」とみなすべきとも言えましょう。


あくまで、ここで言っているのは「働くな」ということではなく、「仕事と家庭の両立の難しさ」です。

多くの人が基本的に家庭のことを他人に大きく外注して仕事をしているにもかかわらず、その状況を安易に「両立」と評すことは、その現実的難しさを誤魔化してしまってると思います。

仕事がしたいなら、それ自体は自由です。でもそれはあくまで両立ではないでしょうと、そういう話なんですね。

実際、「仕事と家庭もどっちも求める」という理想の限界は、アン・マリー・スローターの『仕事と家庭は両立できない?』という書籍でみっちり指摘されています。

スローターは、2012年の「仕事と家庭をどちらも得る(have it all)ことはできない」と主張したこの記事で大きな議論を呼んだ方です。書籍もこの記事が原点になってます。

そもそも現状言われてる「両立」の実像だって、スーパーウーマンみたいな人しかできないぐらいの過酷な内容になってることもよく指摘されます。


「人はマルチタスクは実際にはできなくって、シングルタスクを頻繁に切り替えてるだけ」とも言われます。一見「ながら」でやってるように見えても、その場その瞬間では同時には一つのことしかできてないのが人間です。

だから、「仕事と家庭を両立している」と言っても、結局は超高速でそれらを切り替える過酷な内容となってるか、実のところ片方しかやってないことを誤魔化してるかのどちらかでしかないということになるでしょう。

原理的に同時に実行できない以上、仕事と家庭のバランスには必然的に時間や労力のトレードオフが生じます。

このバランスをどちらに振るかは、もちろん、個人の自由です。

しかし、結果として「家庭よりも仕事の方が優先して選好されてる」というのが、今の社会の実際でしょう。

「現代社会において、いかに仕事(職場)が家庭に勝利し続けているか」の指摘については、こちらの『タイムバインド』という書籍が詳しいです。

つまるところ、少子化問題も、個々人の問題ではなく社会的なレベルで「仕事と家庭が両立できていない(仕事が優先されている)」という構造の問題なのではないでしょうか。家庭よりも仕事を選ぶ人が多くなれば、「家庭」という子どもが育つ基盤がなくなるわけですから。

繰り返しますが、個々人の選好として「仕事を選ぶ」ということを責めてるわけではありません。無理矢理「子どもを産んで育てろ」なんて強制する社会の方が恐ろしいです。

でも、現にバランスが歪んでいるにもかかわらず、あたかも両立できてるかのように語るのは、この「両立」問題の厄介さを矮小化するもので、適切ではないと思うのです。

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江草 令 江草の発信を応援してくださる方、よろしければサポートをお願いします。なんなら江草以外の人に対してでもいいです。今後の社会は直接的な見返り抜きに個々の活動を支援するパトロン型投資が重要になる時代になると思っています。皆で活動をサポートし合う文化を築いていきましょう。