機能で愛される機械、存在で愛される生体
アップデートする度にバグがでる、私のDell PC。Dell Inspiron14、幾らなんでも。マウスカーソルが消えるバグに悩まされていたが、とうとうタイピングすらまともに打てなくなった(文字入力はできるが、エンターもデリートも反応しない。これはひどい)。
で、父に泣き言を言ったら、誕生日祝いで、念願のMacBookを買ってもらえることに!
何回か仕事で使い、耐久性と操作性に信頼を置く、ずっと欲しかったMacBook Air。タイピングがバグって絶望的なタイミングで丁度届いた。最高だよ。
モノは大切にしたいとおもいつつ、私の作業の邪魔をするかのように降ってくるWindowsのバグには辟易していた。開封動画を初めて撮った、ずっと大事にしたい。やはり、機能ではなく、存在にワクワクできるPCはいい。初、My Macで執筆中。
機能といえば。
婚活恋愛系のツイートに、「機能で愛されてはいけない」みたいなことを言う人がいる。例えば学歴、例えば年収、家事ができる。
その人自身ではなく、機能や条件を愛しているだけだから、その先に良い未来は待っていないという主張。私の考えも近い。人間は生ものであり、壊れ物であり、恒久的に機能を提供する役割を担えないので、機能で愛する関係は続かないだろうな。
私がバグを頻発するWindowsに苛立ちを募らせるように、人や配偶者を意識、無意識的にモノ化してしまう人は、相手の些細な事で苛立ちを募らせるだろう。逆に、どんな不利益でも穏やかに受け止めるのは、役割でみていない。存在に感謝しているのだ。
私のために役立つから好きなのではなく、その存在が好きなのだ。還暦を迎えた父が「もう最後の誕生日プレゼントかもしれないけど」と奮発してくれた、念願のMac。長く長く使うつもりだが、壊れたとしても捨てられないかもしれない。
そんなことを考えていたら、不思議と、どんなにバグだらけであろうと、私のために働いてくれたDellにも優しくしようという気になった。
