🪨小さな身体で抱えた“石の彫刻” 昭和の用賀と消えた空き地の記憶 【思い出あれこれ】
◆昭和の用賀、小さな冒険があふれていた日々
私が小学生だった頃の用賀は、今の面影とはまるで違っていた。
まだ空き地や畑が残る、のどかな住宅街。
学校帰りに畑でバッタを追いかけたり、
木材屋さんでいらない竹や端材を分けてもらってチャンバラごっこをしたり。
246号線沿いの石のり面を、よじ登るという無謀な遊びまでやっていた。
特別わんぱくな性格ではなかったのに、
当時の子どもたちは皆、「自由に遊べる空間」を享受していた。
玉電がなくなり新玉川線になっていたが
まだ玉電の跡地は空き地として残っていた。
そんな風景も今はない。
今ではすっかりマンションや戸建てが立ち並び、
畑も空き地も跡形もなく消えてしまった。
子どもたちが「好き放題」できる場所は、
街の中からほとんど失われたのだ。
◆背の順で前から3番目の“小さな私”
私は当時、背の順で前から3番目が定位置。
身体の小さな小学生だった。
学区域のギリギリに住んでいたこともあり、学校までの道のりもそこそこ長い。
だからこそ、通学そのものが小さな冒険だった。
ランドセルは背中いっぱい、寄り道は日常茶飯事。
その道の途中で見つけた景色や遊びが、今でも鮮明に心に残っている。
◆“石の彫刻”を家まで運んだあの日
特に忘れられないのは、授業で作った石の彫刻だ。
渋谷にあるモヤイ像のようなゴツい石の塊。
子どもの背丈からすれば、明らかに不釣り合いな重さだった。
それを、私は小さな身体で家まで運んだ。
フラフラになりながらも、何とか持ち帰った。
今思えば、それ自体が立派な冒険であり、誇らしい挑戦でもあった。
あの石の彫刻は、いつの間にか家から姿を消した。
処分されたのか、どこかで忘れ去られたのか覚えていない。
ただもし、あんな石の塊がどこかに落ちていたら
知らない人はきっと不気味に思うだろう。
◆失われた「寄り道の余地」と、残り続ける“記憶”
あの頃の用賀には、子どもが自由に寄り道できる遊び場のかけらがあった。
空き地、畑、材木屋、そして遊園地にも似た通学路。
そのすべてが「遊び場」であり「学びの場」だった。
都市開発が進み、街並みは整った。
だが、子どもたちが冒険し、体験を積む余白は削られてしまった。
私たちが抱えていた“石の重み”は、
今の子どもたちにとって何に置き換わるのだろうか?
ゲームのコントローラーかもしれないし、習い事のカバンかもしれない。
ただひとつ言えるのは、
重たくて、必死で、でも誇らしかった体験は一生記憶に残るということだ。
◆結論 不便で余白だらけの時代のほうが、豊かだった
小さな身体で必死に運んだ石の彫刻は、もうこの世に存在しない。
けれどその体験は、私の中で確かに生きている。
効率や安全ばかりが重視される現代では、
子どもにそんな「重たい経験」をさせる場がどんどん減っている。
だが本当の学びや成長は、
無駄や不便や余白の中にこそあったのではないかと、今になって思う。
だから私はあの石を抱えた自分を思い出すたびに、
「よくやったな」と心の中で小さく拍手を送るのだ。
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