50代、減っていく物欲と増えていく責任の話
若い頃は、お金は「使うため」にあるものだと思っていた。
欲しいものがあれば買う。
飲みたいときに飲む。
あればあるだけ使う。
それで回っていた。
今思えば、あれは余裕ではなく、先のことを考えていなかっただけかもしれない。
お金の使い道は、静かに変わった
50代に入り、お金の使い道は、静かに変わった。
物欲は、驚くほど減った。
最新のガジェットも、流行の服も、「なくても困らないもの」に見えるようになった。
代わりに増えたのは、使わざるを得ない場所だった。
ダブル介護が始まり、自分のためにお金を使う機会は、さらに減った。
父の医療費。
母のフォロー。
介護に必要な備品。
通院の交通費。
娘の将来に向けた準備。
気づけば、財布の向きは、いつも自分の外側を向いている。

それがつらくないと言えば嘘になる
正直に言えば、それがつらくないと言えば嘘になる。
たまには、自分のためだけに、何かを買ってもいいんじゃないか。
そんな考えが、ふと頭をよぎる夜もある。
でも、不思議なことに、大きな後悔はない。
むしろ、「これでいい」と思える瞬間が、確実に増えた。
お金を使ったあとに残るのが、モノではなく、安心や時間であることが多くなったからだ。
派手さはない。見返りもない。
父が無事に一日を終えられた日。
母が迷子にならず帰ってきた日。
娘が少しだけ自信を持った顔を見せた日。
そういう一日を守るために、お金は静かに消えていく。
派手さはない。
見返りもない。
誰かに自慢する話でもない。
それでも、確かに価値は残っている。
胸の奥が、ほんの少しだけ温かくなった。
お金をどこに使わなかったかで、自分が何を大切にしているかが分かる
若い頃は、お金を使うことで「満たされる」と思っていた。
今は違う。
お金をどこに使わなかったかで、自分が何を大切にしているかが、はっきり分かるようになった。
自分のための贅沢は、朝のコーヒー一杯で十分だ。
静かな家キャンの時間。
夜空を見上げる数分。
家族が何事もなく眠りについたのを確認する瞬間。
そのために、お金を使っている。
私はもう、お金に夢を見ない
でも、お金が支えてくれている現実は、確かにある。
守るものができた人間の、お金の使い道は、きっとこういう形になるのだと思う。
減ったのは物欲。
増えたのは責任。
そして、その重さを、悪くないと思えるようになったのが、50代という年齢だった。
人生を崩さないための静かな力
お金は、人生を派手にするためだけの道具じゃない。
人生を崩さないための静かな力でもある。
今の私のお金の使い道は、その力を信じるための選択だ。
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EX-FAX-CE | NOTE執筆家
「ロスジェネ氷河期的視点 ― 情に生き、言葉で立ち上がる」
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