ロスジェネ氷河期世代が語る「プロレスの魅力と現実」
プロレスと八百長 未だに消えない誤解
私がプロレスを見始めてから、もう40年近く経つが、いまだにプロレスが「八百長の代名詞」として扱われるのは非常に残念だ。ドラマや映画が「作り物」だと知りながら、それを楽しんでいる人はたくさんいる。それなのに、なぜプロレスにだけ「やらせだ」「本物じゃない」というレッテルを貼るのだろう?プロレスにも決まり事や「受け」といった概念があるが、それはエンターテイメントとしての一部であり、むしろそれが魅力の一つだと私は思う。
四天王プロレス時代 プロレスの黄金期
プロレスの中でも、特に好きだったのは「四天王プロレス」と呼ばれる時代。あの頃の試合は感情が爆発する瞬間があり、観客を引き込む力があった。私も実際に試合を見に行き、あの熱気を肌で感じた。その頃は、プロレスが単なる「筋書きのある試合」ではなく、真剣勝負に近いものだと信じられた時代だった。四天王プロレス自体は私は究極の形だと思っているが、選手生命や怪我のことを考えると難しい。あれは一つの完成形であり、対象的にもっとエンターティメント性を全面に出したかつての新生FMWやハッスル、現在のDDTなども一つの形だと思う。そういった裾野の広さもプロレスの魅力の一つだ。しかし、近年のプロレスは、技の高度化やハイフライヤーの動きが目立つ反面、予定調和的な試合展開が多くなり、どうしても「予定通り」という印象が強くなってしまう。そういった意味で、昔のプロレスの方が私にとっては感動的だった。
予定調和の現代プロレス 熱を失う要因
最近のプロレスには、正直熱が入りにくい。技術的には確かに進化しているが、試合展開が予定調和に感じられることが多く、感情移入しにくいのだ。高度な技が増え、あまりにも無理な技が多い。もっと単純な技でも気持ちを爆発させることは可能だというのはかつてのプロレスラーたちが証明していると思う。ただ、今の若いファンはそういったものではなく難解な技や派手な技を求めているのか?わからないが。それでも、プロレスを見続けているのは、やはりそのエンターテイメント性に期待しているからだと思う。しかし、かつてのような「何が起こるかわからない」緊張感や、試合全体を通して感じる感動は、少なくなってきている。これは年齢によるものかもしれないが、やはりプロレスにはもう少し「ドラマ性」を求めてしまう。
プロレスはエンターテイメント 八百長論争は無意味
プロレスはエンターテイメントだ。それはプロの興行であり、観客を楽しませ、感動させるためのショーである。だからこそ、「八百長かどうか」といった議論はナンセンスだと感じる。台本やストーリーがあっても、観客を納得させ、感動させることができるのであれば、それで良いのではないだろうか。プロレスの試合だけでなく、バックステージやマイクパフォーマンス、入場シーンなど、すべてが一つのパッケージとして完成されている。それが、プロレスの真の魅力だと私は思っている。
日本プロレスの特異性 WWEとの違い
最近のWWEは、プロレスが明確に「ショー」であることを前提に進化している。しかし、日本のプロレスはそれとは少し違う。日本のプロレスには、未だに「リアルファイト」の要素が求められている部分がある。観客も、その微妙なバランスを楽しんでいるように感じる。だからこそ、日本のプロレスは特殊であり、特別なものだ。しかし、同時にその特殊性が「夢を追う」ファンを減らしているのかもしれない。
プロレスは夢を与えるエンターテイメントであるべき
プロレスを40年見続けてきた私が感じるのは、プロレスは単なる「試合」ではなく、「夢を与えるエンターテイメント」であるべきだということだ。予定調和や八百長といった議論に巻き込まれるのではなく、もっと観客を驚かせ、感動させる要素を増やしていくことが、今後のプロレスの未来に必要だと感じる。それでも最近の会場には若いファンも多くなってきていると思う。かつてとは違う新しい人達が新しい価値観で作っていく未来が、そういったプロレスが、再び観客の心をつかみ、夢を与える存在になることを願っている。
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