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人生に「if」はない 過去を燃料に変えて、今日の一歩を床に置く【50代】


街は無関係な顔で、朝を出す

街はいつも、少しだけ無関係な顔で朝を出す。

踏切の音。コンビニのドアが閉まる乾いた音。

人はその間に、いくつも思い出す。

あの時こうしていれば。
あの選択を別の選択にしていれば。
もっと勉強していれば。

数え上げたら、きりがない。
きりがない、という事実だけが、やけに正確だ。

胸の奥が、少し痛む。


静かな後悔の列に、並びながら生きる

後悔をしない人もいる。
いるには、いる。

ただ、多くの人は、静かな後悔の列に並びながら生きている。

列は長い。途中で抜ける出口も見えにくい。
靴の底だけが、やけに現実的だ。

私たちロスジェネ氷河期第一世代は、この列の常連客だ。
就職氷河期、会社の倒産、非正規雇用、介護離職、選択肢がなかった時代を、選択の結果として背負わされてきた。

「あの時、ああしていれば」

この言葉を、何千回口にしただろう。
何万回、心の中で繰り返しただろう。

でも、時間は巻き戻らない。


時間の残酷なまでの公平性

時間は巻き戻らない。

これは残酷なほど公平だ。

誰の肩書も、誰の努力も、例外にはならない。
だから、後悔は燃料にしかならない。
暖房にはならない。
あたためるのは今だけだ。

過去を嘆いても、過去は変わらない。
変えられるのは、過去への「意味づけ」だけ。

この理解に辿り着くまでに、私は何年かかったことか。


扱い方の問題 過去は変えられない、意味づけは変えられる

ここで一つ、言い切っておく。

後悔するな、ではない。

自分が選んだ選択は、その時の自分にとっての最適解だった。
そう扱え。

扱い方の問題だ。
過去は変えられない。
意味づけは変えられる。

17年間勤めた会社が解散したあの日。
震災後の日本で、40歳目前の再就職に失敗し続けたあの日々。

あれは「失敗」だったのか?
違う。

あれは、その時の私にとっての最適解だった。

他に選択肢がなかった。
だから、あれしかできなかった。
それだけのことだ。

この「扱い方」を変えた瞬間、過去の重さが変わる。
過去が、未来への推進力に変わる。


もう一つ 今からでも出来ることは、即行動

もう一つ。

今からでも出来ることは、即行動だ。

不可能はある。
もちろんある。

けれど「もっと勉強しておけばよかった」と思うなら、今日やる勉強を決めればいい。
机を拭く。
ページを開く。
30分でいい。

知識は距離で測れない。
速度で測る。

体力の低下に嘆くなら、今できる運動を始めればいい。
階段を選ぶ。
10分歩く。
息が少し荒くなる、その感触を取り戻す。

50代だからもう遅い?
違う。

50代だからこそ、今日始めないと、本当に遅くなる。


ここで足が止まるなら、たぶんこの先も止まる

ここで足が止まるなら、たぶんこの先も止まる。

冷たい言い方に聞こえるかもしれない。

けれど、現実はいつも、優しい顔で厳しい。
厳しい顔で優しい。

私は52歳だ。
末期がんの父と認知症の母を介護しながら、発達障害の娘と向き合い、フリーランスとして未経験のことに挑戦している。

時間がない?
確かにない。
でも、誰にも時間はない。

時間がないという言い訳は、時間を奪う最大の敵だ。


ルートが違うだけで、辿り着く景色は似ている

人生の選択は、常にその時点の自分にとっての最適解だ。

そう思って進めばいい。

別の選択をしていたとしても、同じ人間だ。
癖も、弱さも、得意な逃げ道も、きっと同じ。

ルートが違うだけで、辿り着く景色は、驚くほど似ている。

たぶん、そういう作りになっている。

もし私が大企業に就職していたとしても、どこかで躓いていたと思う。
もし順風満帆な人生を歩んでいたとしても、別の苦しみがあったはずだ。

人生の苦しみの総量は、たぶん、誰でも同じなのだ。


夕方の輪郭 薄く見えても、そこに立っている

夕方、窓に映る自分の輪郭が少しだけ薄く見えた。

胸の奥で、小さく音がした。

それで十分だ。

過去は置いていく。
今日の一歩を、ちゃんと床に置く。

人生にifはない。
あるのは、次の動詞だけだ。

「勉強する」「歩く」「書く」「続ける」「諦めない」

動詞だけが、人生を前に進める。
名詞は、過去を説明するだけ。


ロスジェネが背負った「選択のなかった選択」

私たちロスジェネ氷河期第一世代は、選択肢がなかった。

バブル崩壊後の日本で、就職氷河期を経験し、非正規雇用を余儀なくされ、リーマンショックで再び打ちのめされた。

「もっとこうしていれば」という後悔は、私たちの世代の通奏低音だ。

でも、違う。

あれは「選択のなかった選択」だった。
だから、後悔する必要はない。

あの時の私たちは、最善を尽くした。
それだけで十分だ。

今、必要なのは過去を嘆くことではなく、今日の動詞を選ぶことだ。


即行動という唯一の救済

「もっとああしていれば」

この言葉を、今日で終わりにする。

代わりに「今日はこうする」と言う。

勉強したかった?
今日、30分やる。

運動したかった?
今日、10分歩く。

書きたかった?
今日、一行書く。

即行動。
これが、過去の後悔を未来の推進力に変える唯一の方法だ。

行動しない後悔は、ただの愚痴だ。
行動する後悔は、学びになる。


次の動詞を、床に置く

人生にifはない。

あるのは、次の動詞だけだ。

「やる」か「やらない」か。
それだけが、未来を決める。

過去の選択を責めても、何も変わらない。
今日の選択を変えれば、明日が変わる。

それだけのことだ。
シンプルで、残酷で、でも確かな真実。

私は今日も、介護をし、仕事をし、文章を書く。
疲れても、諦めても、それでも動詞を選ぶ。

それが、生きるということだから。

夕方の窓に映る自分の輪郭は、確かに薄い。
でも、消えてはいない。

ゆるぎなく、まっすぐに。

次の動詞を、今日も床に置く。


あとがき   過去を置いて、今日を拾う

1974年1月生まれ、現在52歳。

過去を振り返れば、後悔だらけだ。
もっとこうしていれば。
もっと勉強していれば。
もっと早く決断していれば。

でも、それらすべては、その時の私にとっての最適解だった。

この理解が、私を救った。

もしあなたが同じように過去を嘆いているなら、今日で終わりにしてほしい。過去は変えられない。
でも、過去への意味づけは変えられる。

もしあなたがまだ若いなら、今日から始めてほしい。
「いつか」は来ない。
「今日」しかない。

人生に「if」はない。
あるのは、次の動詞だけだ。

さあ、今日は何をする?

ゆるぎなく、まっすぐに。

過去を置いて、今日の一歩を、ちゃんと床に置く。
それが、私たちロスジェネ氷河期の生き方だ。


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EX-FAX-CE | NOTE執筆家
「ロスジェネ氷河期的視点 ― 情に生き、言葉で立ち上がる」
「ゆるぎなく、まっすぐに」
「言葉は、再起動ではなく継続の証」

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