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「なぜ、NOTEの世界はこんなにも優しいのに」 優しさが届く場所と、届かない場所の狭間で思うこと

◆NOTEを見ていると、希望を感じるんです。

ここには、信じられないくらい優しくて、温かくて、
他人の言葉をちゃんと受け取ってくれる人がたくさんいる。

  • 文章の端々に滲む、人の痛みへの理解

  • 見ず知らずの誰かへの「スキ」や「コメント」

  • 自分の過去をさらけ出して、それでも前向きに生きる決意

読めば読むほど、心がホッとする。

「ああ、人ってこんなにも、優しい生き物だったんだな」
NOTEに来て、そう思えた瞬間が、何度もあった。


◆でも現実(リアル)に戻ると、空気はまるで別物だ。

駅で肩がぶつかっても謝らない
カフェで店員に怒鳴ってるサラリーマン
スーパーのレジで舌打ちする人

ネットではあんなに優しい言葉があふれてるのに、
リアルな社会では、余裕のなさと無関心が支配している。

どうして、こんなに“差”があるんだろう?

心に優しさを持っている人が、こんなにもたくさんいるのに、
なぜ“その一面”が、現実には出てこないのか。


◆優しさを出すには、“安心できる場所”が必要なんだ。

NOTEには、誰かをけなす必要がない。
比べなくてもいい。マウントを取らなくていい。
顔が見えないぶん、逆に「素直になれる」人もいる。

現実社会では、
会社では空気を読み、
家庭では役割を演じ、
通勤電車では疲れたふりをする。

だから人は、感情を引っ込めて、仮面をかぶる。

優しさを出せないのではない。
出す「余裕」が、なくなっているのだ。


◆NOTEで見る優しさは、現実での余白を与えてくれる

NOTEには誰かの境遇を肯定する言葉があふれている。
疲れている人を励まし、誤りを許し合い、小さな積み重ねを肯定してくれる。

そこには、顔や肩書きなしで「その人だけ」を受け止める場がある。

でも、現実では「成果」「競争」「空気」が優先され、優しさは後回しにされがち。


◆それでも、人は本来、優しさを持っていると信じたい。

自分だってそうだ。
正直、仕事で疲れてて、家でもトラブル続きで、
介護も子育ても重なって、もういっぱいいっぱいになる。

そんなとき、隣の誰かに優しくするどころか、
自分のことで精一杯で、心の中はギスギスしていたりする。

でも、NOTEで誰かの言葉に救われたり、
「わかる」と言ってもらえるだけで、
人間ってこんなに優しくなれるんだなと感じることがある。


◆NOTEで見つけた“優しさ”を、現実にも少しずつ持ち帰ろう。

現実社会は、忙しすぎる。
隙間もないし、心の余白も足りない。

でも、だからこそ、
NOTEで触れた優しさや、
そこにいる温かい人たちを、
「リアルの自分」にちょっとだけ重ねてみたいと思う。

エスカレーターで道を譲ったり
店員さんに「ありがとう」と言ったり
見ず知らずの人に、少しだけ優しいまなざしを向けたり

そんな小さな行動の積み重ねが、
あのNOTEの空気を、現実にも少しずつ運んでいく気がしている。


◆終わりに 人の本質は、“優しさ”の方にあると信じて。

リアルの世界で優しさを失ったように見えても、
人は本質的に、優しい生き物だと思いたい。

NOTEに溢れている温かさは、偶然じゃない。
それは、誰かの「本当の心」が、やっと安心して出てきた証拠なんだと思う。

だから、信じていたい。
人のやさしさを。
自分の中にも、まだ残っているその「余白」を。



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