消えたマクドナルドと、記憶の中の春 用賀一丁目、あの交差点にあった“バスのあるマック”と僕の少年時代
◆バスが目印のマクドナルド 記憶のなかのランドマーク
世田谷区用賀一丁目。
246号線沿いにかつて存在していた、“2階建てバスのあるマクドナルド”を覚えている人は、どれくらいいるだろうか。
あれは今から何十年も前。
国道246号線と環八を結ぶ要所としては地味ながら、
僕にとっては「思い出の真ん中」にあった場所だ。
2階建ての赤いバスが店舗に据えられた独特な構造。
子供の頃はこのバスの中でのパーティーに憧れていたものだ。
子どもにとってはまるで「秘密基地」のようで、
マックというより“冒険”の始まりのような場所だった。
◆親友・岩見君との別れと、最初の喪失感
そのマクドナルドで、ひとつの大きな出来事があった。
小学4年生の春、親友の岩見君が転校する日。
彼との最後の時間を過ごしたのが、まさにこの場所だった。
僕にとって岩見君は、小2でこの町に引っ越してきて初めてできた本物の友達だった。
目立たない僕を自然と輪に入れてくれた優しい存在だった。
「また遊ぼうな」
「引っ越しても手紙出すよ」
そんな言葉を交わした帰り道。
このマックのポテトの塩気よりもしょっぱい気持ちでいっぱいだった。
あの別れの体験が、僕にとっての“人生初めての喪失”だったのかもしれない。
◆塾の先生がくれた、ささやかな「自由」
小4の終わりから通い始めた塾。
決して勉強が得意なわけでも、好きなわけでもなかったけれど、
ある先生がいたおかげで、通うのは嫌じゃなかった。
その先生は時折、こう言った。
「今日は勉強なし、パーティーにしようか」
「ハンバーガー買ってくるから、みんなで分けよう」
あのマックにみんなで行きハンバーガーやポテト、コーラを買ってくる。
勉強の成果よりも、あの自由な雰囲気や“居場所としての塾”の記憶の方が、今も強く残っている。
あのハンバーガーは、“大人の優しさ”の味だった。
◆中学生の“さぼり”と、自分を守るための逃避行動
中学になると、塾に行くのがどうしても嫌な日もあった。
今にして思えば、ただ疲れていたり、
先生やクラスの空気になじめなかったりと理由は色々あったのだろう。
そんなある日、僕は塾に行くふりをして、あのマックへ逃げ込んだ。
2階のバスを席から、ぼーっと見ながらハンバーガーをかじる。
何も考えず、ただ時間が過ぎるのを待つように。
今思えば、それは自分を守るための小さな「反抗」であり、自己防衛でもあった。
子どもだった僕は、そうやって自分の心を整えていたのかもしれない。
◆谷沢川の桜、そして“今”に帰ってくる
そのマクドナルドのすぐ裏には、谷沢川が流れている。
両側に桜が植えられ、春になると静かに、でも見事に咲き誇る。
砧公園のように人が殺到するわけでもない、
地元の人だけが知っている“控えめな桜並木”。
この春は、病床の父を車に乗せて、
久しぶりにこの谷沢川沿いを走った。
窓を開け、春の空気を吸い込みながら、父と一緒に静かに桜を眺めた。
すると、不思議なことに、
あのマックの記憶がふわっと蘇ってきたのだ。
もうマクドナルドは跡形もなく、マンションが建っている。
でも記憶のなかでは、今でもバスの座席に座ったままの自分がいる。
ポテトをつまみ、誰かを見送っていたり、誰かを待っていたりする。
◆記憶は風景のなかに埋まっている
人は、「記憶の保存先」を探して街を歩いているのかもしれない。
それが建物だったり、風景だったり、
あるいは何でもない場所 バスの中のマクドナルドの席だったりする。
もう戻れないことは、とうにわかっている。
でも、たまにそこに立ち返ることで、
“今の自分”が、なぜここにいるのかを確かめられる気がするのだ。
◆終わりに なくなっても、なくならないもの
あのマクドナルドは、もうない。
あの道も、店も、あの頃の空気も消えた。
だけど、不思議と悲しくはない。
思い出は、失われた場所に根を張って、心の中で咲き続けている。
たとえ時代が変わっても、
スマホの時代になっても、
塾も、親友も、父との花見も
すべてが、「あの交差点のマック」から始まっていたように思う。
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