マリッジブルーとマリッジハイ
先日、入籍した。
姓が変わった。
姓が変わる前までは選択的夫婦別姓が公式に認められない制度に腹立っていたけど、変わってみると心機一転。
新しい姓におさまる自分の名前が何と愛おしく感じる。
(とはいえ、選択的夫婦別姓の早急な制度整備を願う気持ちは変わらない。)
大泣きした夜があった。今思うとあれがマリッジブルーなのではと思う。
今まで私を育ててくれた人たちと異なる姓を名乗るという事実が大きくのしかかってきて、安心を失った怖さを実感した。
これからは困ることがあってもかつてのように彼らを頼れない、彼らが待つ家に帰れない。
その事実が鮮烈な色となって、私の心を突き刺してくる夜があった。
家族の中で孤独を感じることが多かった幼少期。
自分の思いや考えを伝えても誰も受け止めてくれない、私は一人だけToo muchだから。そう固く絶望した経験は今でも鮮明に思い返せる。
家族同士固い絆で結ばれている友人家族を横目で見ては、寂しい思いをした時もあった。
今となってはその家族がいたから、私は常に外を目指して動いてたこと。
なぜなら彼らと過ごす時間に浮き彫りになる自分の孤独と真っ向から向き合いたくなかったから。
入籍後のその大泣きした夜に、初めて今まで見えていた心の傷が異なった角度から見えた。
孤独を持たせてくれる家族がいたから、無謀な挑戦ですら望めた。
家でじっとして自分を押し殺すより、外の挑戦に思い切って賭けることができたのだ。
外へと意識を向けるプロセスの中で気づいたこと、理想的な家族ではなかろうと「私たち家族」にしかない愛があって、私はいつもその愛の膜に守られていたのだと。
孤独を埋めてくれる何かを外に探し始めることとなったきっかけも、
行き着いた答えも「家族」だった。今までの原家族だった。
自分の内側からその言葉が生まれたのは、姓が変わったその少し後のことだった。
家族とはいえ、100%は分かり合えない。期待しすぎるから捻れていく。
孤独の根源は何なのか。自責と他責の狭間で揺れ動くことが生きることだとおもう。
それでも遠くから私の後ろ姿を見守って、帰る場所をずっと作って支えてくれていたあなたに、どんな言葉を贈れるか。
その晩、大泣きして今まで見えなかった角度からの事実に感謝と愛を送り返した。
どれも素敵な思い出ばかりだった。
体当たりの私と向き合おうとしてくれてありがとう。
新しい姓におさまった可愛らしい名前を見て、これからはどんな人生を進んでいくか。パートナーとどんな家族になろうか。
少し笑顔が綻んできた。この気持ちをマリッジハイと名づけよう。
自分が受けてきた重苦しくて苦い文化をいかに断ち切るか、
自分が見てきた素晴らしい世界を彼らはどう見るのだろうか、
入籍はある種の死でもあり生でもある。
この記憶を綴る。
