解説/ 世界史の学び方のポイントと世界史の概要について
〈目次〉
1.世界史を学ぶポイント
2.近世以前
(1) 先史、古代オリエント、古代ギリシャ・ローマ
①先史時代
◼️人類の大まかな進化過程をおさえる
②古代オリエント
③古代ギリシャ・ローマ
(2) 中世ヨーロッパ
(3) 中東・イスラムとインド
①中東・イスラム
②インド
(4) 中国
①殷 / 周
②秦 / 漢 / 魏・晋・南北朝 / 隋 / 唐
③宋 / 元 / 明 / 清
3.近現代
(1) ルネサンス・宗教改革・大航海時代
①ルネサンス
②宗教改革
③大航海時代
(2) 絶対主義
(3) 市民革命と産業革命
①イギリス革命
②産業革命
③アメリカ独立革命とフランス革命
(4) 国民国家と列強の世界進出・第一次世界大戦
①国民国家
②列強の世界進出・第一次世界大戦
4.第二次世界大戦と現代の世界
1. 世界史を学ぶポイント
「世界史」とは単なる歴史科目ではなく、「世界の歴史」を包括的に理解する学問です。
歴史は、時間の流れ(縦軸)に沿って起こる出来事として捉えられますが、世界史では各地域の特色(横軸)も同時に考慮しなければなりません。
日本史が縦軸のみの「線」として学ばれるのに対し、世界史は縦軸と横軸の両面を持つ二次元の「面」として理解する必要があります。
このため、覚える情報が多く、複雑に感じることもしばしばあります。
そこで、まずは学び方をシンプルにするために、世界史全体を近世以前と近現代に分けて整理する方法が有効です。
近世以前は、各地域ごとに時の流れを重視して「地域史」として学びます。
古代や中世といった厳密な年代区切りでは、文明間の連続性や交流の流れが途切れてしまうことがあるため、より素直に時の流れに沿って学ぶことで理解しやすくなります。
一方、近現代は欧米を中心に、同時代に起こった他地域との関係性にも注目します。
欧米だけでなく、その影響下にある他地域の歴史や、両者の相互作用を理解することで、より実態に即した「世界史」が見えてきます。
こうした視点は、世界史を深く学ぶ上でとても重要です。

2.近世以前
(1) 先史、古代オリエント、古代ギリシャ・ローマ
①先史時代※
◼️人類の大まかな進化過程をおさえる
直立二足歩行 → 道具(打製石器など)、火の使用 → ホモ・サピエンス(現生人類)の誕生 → 磨製石器の使用・農牧の開始 →
定住化、集落の成立 → 交易、戦争 → 都市国家の誕生、金属器・文字の使用。
※人類が文字を使用する以前(紀元前3千年以前)を先史時代、以後を歴史時代(紀元前3千年から現代までのおよそ5千年)と呼びます。
②古代オリエント
「オリエント」とは、一般にエジプトから西アジアまでの一帯を指します。
ここでは政治史よりも文化史が重要で、エジプト文明やメソポタミア文明を通じて、太陽暦※、太陰暦※、アルファベット、一神教などの文化が誕生しました。
※「太陽暦」と「太陰暦」は、暦(こよみ)をどの天体の動きを基準にしているかの違いによって区別されます。「太陽暦」は太陽の動き(地球が太陽を一周する周期)を基準にしています(1年=約365.24日 )。「太陰暦」は月の動き(月の満ち欠けの周期)を基準にしています(1ヶ月:約29.5日、12か月で約354日)。
③古代ギリシャ・ローマ
政治史では、オリエント文化を受けたエーゲ文明の発展、ギリシャの都市国家ポリスの興隆と衰退、アレクサンドロス大王による統一、ヘレニズム諸国の分立※、そしてローマによる統一と東西分裂※という大きな流れが生じた。
※ヘレニズム三国: アレクサンドロスの後継者たちが分立したことによって成立した、プトレマイオス朝のエジプト、セレウコス朝のシリア、アンティゴノス朝のマケドニアの三国。
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※ローマ帝国が東西に分裂した理由は、政治・経済・軍事・文化など、さまざまな要因が重なった結果です。主な理由として、以下の点があげられます。
●地理的な広大化による統治の困難
●外敵の圧力: 北方では ゲルマン人、東方では ササン朝ペルシア などの強国が台頭。
●経済の衰退と社会不安(長年の戦争と重税で農民や市民の生活が悪化。特に西ローマ帝国。経済の中心が次第に豊かな東方(ギリシア・エジプト方面)へ移動)。
●330年、コンスタンティヌス大帝 が首都をローマから コンスタンティノープル(現イスタンブール) に移した。東側が政治・経済・軍事の中心となり、西側は次第に衰退した。
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また、文化史では「ギリシャ文化」と「キリスト教」という、後のヨーロッパ思想を形成する二大思潮(人間尊重 vs. 神絶対)の対比が浮き彫りになりました。
(2) 中世ヨーロッパ
西ローマ帝国の崩壊とほぼ同時期に、「ゲルマン人」が西欧へ進出し、部族単位で国を建て始めました。
また、ローマ帝国末期には「アタナシウス派」が正統とされ※、これがカトリック教の成立につながりました。
※4世紀初頭、キリスト教内部では「イエス・キリストは神なのか? 人間なのか?」という大論争が起きました。これがいわゆる「アリウス論争」です。結果として、アタナシウス派の主張が正統とされました。
西欧の中世社会は、カトリック教の権威と「封建制」という二本柱で支えられていました。
封建制とは、荘園領主が農民を農奴として隷属的に支配し、領主間で主従関係が結ばれる仕組みです。
中世ヨーロッパは、十字軍(11末~13世紀末)※の前後で大きく分けられます。
※十字軍とは、11世紀末から13世紀末にかけて、キリスト教徒が「聖地エルサレムの奪還」を目的として行った一連の宗教的軍事遠征のことです。
十字軍以前は、民族大移動による混乱の中で封建制が発展・確立され、封建領主は多数のカトリック信者の支持を得るためローマ教皇に接近し、カトリックの権威が絶頂に達しました。
一方、十字軍以降はその失敗によりローマ教皇の権威が衰退し、諸侯の疲弊と王権の強化により絶対王政※へとつながります。
※絶対王政とは、16~18世紀のヨーロッパで、国王が絶対的な権力を行使する専制政治体制です。
また、この時期の東方貿易※の発展は大航海時代※を促し、イスラム文化の流入はルネサンス※への布石となりました。
※東方貿易とは、主に中世ヨーロッパと、東方のペルシア・インドなどとの間で行われた、地中海を経由した交易を指します。
※大航海時代とは、15世紀後半から17世紀にかけて、ヨーロッパ諸国が世界各地へと航海を広げ、貿易・植民地支配・文化交流を進めた時代のことを指します。
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※ルネサンスとは、14世紀から16世紀にかけてヨーロッパで起こった文化的・思想的な復興運動のことです。古代ギリシャ・ローマの文化や思想を理想とし、それを「再び生き返らせよう」とする動きでした。中世の「神中心の世界観」から離れ、人間の理性・感性・創造力を重視する考え方が広まりました。
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(3) 中東・イスラムとインド
①中東・イスラム
ヘレニズム諸国の一つ、セレウコス朝シリアから「パルティア」の独立、ササン朝ペルシャの成立、ローマ帝国との抗争、紛争地帯を避けるための「紅海・アラビア海ルートの発展」、「紅海沿岸のメッカ・メディナの発展」、そして「アラブ・イスラム教団国家の台頭」という流れがありました。
イスラム世界は、当初はアラブ民族が主導していましたが、内紛と退廃により衰退。後にイラン系王朝が台頭し、軍事的に優れたトルコ人を奴隷として起用、やがて反旗を翻して政治的優位を確立。以後、オスマン朝などトルコ系王朝がイスラム世界を主導しました。
また、古代ギリシャ・ローマの文化を保存・発展させ、ルネサンスへの布石となった歴史的背景がありました。
②インド
インダス文明の後、「アーリア人」の侵入から本格的なインド史が始まりました。
マウルヤ朝、クシャン朝、グプタ朝、ヴァルダナ朝、ムガール朝などが代表的ですが、基本的には分裂国家で、統一はされませんでした。
インドの歴史では、「カースト制」と「バラモン教」の成立、「ウパニシャッド哲学」の展開、「仏教」の成立、アショーカ王やカニシカ王による仏教保護、仏像の成立(ガンダーラ美術、グプタ美術)、そして「ヒンズー教の成立・発展と仏教の衰退、さらにイスラム教の流入と宗教対立といった流れがありました。
(4) 中国
①殷 / 周
黄河文明を経て最初の王朝、殷(商)が成立しました(記録上は夏が最初とされますが実在は不明です)。
殷・周は、都市国家の連合体であり、その盟主として王号が用いられていました(都市国家時代)。
春秋・戦国時代には、都市国家の連合体が解体され、領土支配が進展しました。
②秦 / 漢 / 魏・晋・南北朝 / 隋 / 唐
秦の時代から本格的な統一支配が始まり、皇帝の称号が用いられるようになりました。
ただし、漢以降は豪族の進出により高級官僚が独占・世襲され、皇帝権が一部制約される時代(貴族政)が生じました。
③宋 / 元 / 明 / 清
唐末の混乱を経て貴族は衰退し、宋以降は科挙制※が強化されました。
これにより、皇帝が官僚の人事権を握り、皇帝専制支配が確立されました(皇帝専制時代)
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※科挙制は、中国で隋の時代に始まり、清末の1905年まで約1300年間にわたって続いた官僚登用試験制度です。家柄や身分に関係なく、学識や才能によって官僚を選抜するもので、皇帝の権力強化や優秀な人材の確保を目的としました。
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3.近現代
(1) ルネサンス・宗教改革・大航海時代
①ルネサンス
ルネサンスは14世紀頃、イタリアで始まった古代ギリシャ・ローマ文化の復興運動です。
古代文化の流入により人間尊重のヒューマニズムが広がり、中世の神権中心の世界観に変化が現れました。
さらに合理主義が芽生え、実験と観察を通じて自然を理解する動きが進み、後の科学技術と近代思想の発展に寄与しました。こうして、ルネサンスは近代への道を切り拓きました。
②宗教改革
十字軍の失敗やヒューマニズムの影響によりカトリック教の権威は低下し、聖書の翻訳・研究が進む中で、贖宥状(しょくゆうじょう)販売への批判が高まりました。ルター※は聖書のみを信仰の唯一の拠り所とし教皇の権威を否定し、カルヴァン※は禁欲的な勤労を重視、商工業者の支持を受けることで現代資本主義の形成にも影響を与えました。
※贖宥状とは、中世末期のカトリック教会が販売した「罪の償いを軽減する証書」のことで、一般的に「免罪符」とも呼ばれます。
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※ルターとカルヴァンは、16世紀の宗教改革を主導したプロテスタントの重要な指導者ですが、その教義には違いがあります。ルターは「信仰義認(信仰によって救われる)」を強調し、カルヴァンは「予定説(神が救われる人をあらかじめ定めている)」を提唱しました。彼らの思想は、プロテスタントの様々な宗派を生み出す源となりました。
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③大航海時代
十字軍後、北イタリアの都市を中心に東方貿易が発展し、香辛料や宝石などが流入しました。
15世紀、「ポルトガル」がアフリカ西岸に進出してインド航路を開拓、モルッカ諸島やマカオに植民地を築き、続いて「スペイン」が西回り航路でアメリカ大陸に到達、中南米に植民地を設立。
さらに「オランダ」、「イギリス」、「フランス」が北米やアジアに進出し、こうして世界はヨーロッパと深くつながり、本格的な「世界史」が始まりました。
(2) 絶対主義
西欧では14世紀頃から、貴族が衰退し国王による国家統一が進展しました。
没落した貴族は、官僚や国王直轄軍の傭兵として雇われ、これが国王専制体制、すなわち絶対主義の成立につながりました。
「スペイン」で絶対主義は成立し、16世紀の「テューダ朝イギリス」や17世紀の「ブルボン朝フランス」でさらに確立されました。
一方、「ドイツ」では皇帝権が弱まり、貴族の領地内での統一が進んだ結果、「プロイセン」や「オーストリア」が台頭しました。
さらに、「ロシア」では15世紀以降の「モスクワ大公」の統合と17世紀「ロマノフ朝」のもとで西欧化が進み、18世紀には強力な絶対主義国家となりました。
東ヨーロッパは「普墺露※」や「オスマントルコ」の間で分割される状況でした。
※普墺露とは、プロイセン(普)、オーストリア(墺)、ロシア(露)の3国のことです。
(3) 市民革命と産業革命
①イギリス革命
絶対主義への反発から、まずイギリスで議会が反乱を起こし、国王派に勝利しました。
商工業の発展で力をつけた有産市民の支持がその勝因ですが、当時の議会は貴族と特権商人で占められており、市民に選挙権がなかったため、厳密には「市民革命」とは呼びにくい状況でした。
②産業革命
18世紀半ば、イギリスでは資本の蓄積と技術革新により、工場制機械工業が確立されました。
安価で良質な製品の大量生産により、有産市民は産業資本家として富を蓄積し、影響力を拡大しました。
これを背景に、19世紀には選挙権も獲得され、市民社会が次第に形成されました。
③アメリカ独立革命とフランス革命
イギリスの北米植民地では、貴族が存在しなかったため、独立後のアメリカは市民自ら国を建てる必要がありました。
一方、フランスでは市民革命が発生しましたが、党派対立や外国の干渉により混乱しました。
その後、ナポレオン率いるフランス国民義勇軍が外国傭兵を圧倒し、一時ヨーロッパ全土に影響を与えました。
(4) 国民国家と列強の世界進出・第一次世界大戦
①国民国家
ナポレオンは最終的に敗れましたが、彼の広めた自由と平等の理念は、ヨーロッパに自由主義運動をもたらし、各国で議会制民主主義と国民主権が確立されました。
一方、ナポレオンへの抵抗が国民主義運動を呼び、イタリアとドイツで国家統一が実現しました。
こうした国民主権を掲げる国を「国民国家」と呼び、東欧では民族独立運動も起こりました。
(下図は西欧の変遷を示しています)

②列強の世界進出・第一次世界大戦
列強はさらなる富を求め、世界各地を植民地化しましたが、多くの地域では専制体制のため住民が団結できず、改革も難しかったのです。
地球は有限であるため、植民地獲得競争が飽和すると、富の獲得は他国からの奪取に頼ることになりました。
こうして起きたのが「第一次世界大戦」です。後進国ドイツが躍進する中、先進国イギリスがアメリカの支援を受けて勝利し、ドイツは海外植民地を失い多額の賠償金を課せられました。
また、大戦中の「ロシア」では社会主義革命が起こり、史上初の「社会主義国家ソビエト連邦」が成立しました。
4.第二次世界大戦と現代の世界
第一次世界大戦の惨禍を反省して「国際連盟」が誕生し、民族自決の原則に基づいて東欧諸民族が独立しました。
しかしこの原則は他地域では適用されなかったため、アジア中心で民族運動が高まりました。
第一次世界大戦後、「好景気を享受していたアメリカに大恐慌が押し寄せ」、各国は通貨切下げや高関税を実施して自国市場を閉ざしました。
一方、植民地を持たないドイツは苦境に陥り、社会不安の中で「ヒトラー率いるナチス党」が台頭しました。
「ポーランド侵攻」を契機に「イギリス・フランス」が宣戦し、第二次世界大戦が始まりました。
「米、ソ連、中国などが連合国側」、「ドイツ、イタリア、日本」が枢軸国として参戦し、最終的に連合国が勝利しました。
戦後、「連合国の主導で国際連合」が成立しましたが、世界は「米中心の自由主義陣営」と「ソ連中心の共産主義陣営」に分断(東西冷戦)されました。
自由主義諸国は技術革新と自由競争で成長する一方、共産主義諸国は非効率な生産で経済が停滞しましま。
1989年の東欧民主化と1991年のソ連崩壊が転換点となり、その後は米の一極集中が続く中、近年は米と中国の覇権争いが顕在化しています。
参照元: 「NOVITA」Webサイト
以上
