短編小説|蟻の味
私が幼い頃、母は蟻に食われた。私の好物だった都こんぶを買いに出掛けた帰り道、軍隊蟻の大群に襲われて巣穴に引きずり込まれたらしい。実際にその場面を見たわけではないし、今思えば葬式を挙げてもいなかったけれど、度数高めの缶チューハイを片手に涙を流す父にそう聞かされ、幼い私は鵜呑みにした。以来、大人になった今も蟻を食べるのを止められない。
地面に蟻を見つけたら反射的にしゃがみ込み、つまんで口に入れてしまう。噛めば口いっぱいに広がる酸味。べつに美味しいわけではないが、ついつい食べてしまう。初めての彼女とデートをした時にもやってしまった。汚物を見るような眼差しを向けられたので、一緒にどうかともう一匹つまんで見せたら静かに首を横に振られ、それっきり連絡が取れなくなった。
きっと最初は母の復讐のつもりだった。けれど今はただの悪い癖。酒に飲まれて父が倒れたと連絡があって帰った実家でも一人、庭を歩き回る蟻を食べていた。久しぶりに見る実家の庭はゴミや雑草で荒れ果て、蟻が我が物顔であちこちに列を成している。父は無事だったが寝込んでおり、昼間から暇でやる事が無い。つまんでは口に入れ、つまんでは口に入れ、無心で食べ続ける。
あまりに数が多いので、根本から食い尽くしてやろうと巣穴を探すことにした。ゴミを片付けて雑草を掻き分ければ、ちょうど庭の真ん中あたりに穴がある。わらわらと蟻が湧き出すそれは人一人は入れそうなほどの異様な大きさだが、底の知れない暗闇は見た目よりも浅いらしい。手を入れてみれば、すぐに指先が硬い何かに触れる。慎重につかんで取り出すと、なんとそれは頭蓋骨。後頭部の辺りが砕けており、そこから無数の蟻が這い出している。
頭蓋骨を手に固まっていると、急に背後から大声で名前を呼ばれた。振り返れば寝ていたはずの父。酒の飲みすぎで黄色くなった顔は大雨にでも降られたように汗で濡れ、大きく見開いた目は血走っている。その尋常でない様に私は驚き、頭蓋骨を落としてしまった。落下の衝撃で弾けたように、さらに夥しい数の蟻が頭蓋骨から溢れ出す。彼らは大蛇のように太い列を成すと、一直線に父へと向かった。
父は悲鳴を上げるや否や、あっという間に全身が蟻の大群に飲まれてしまった。人の形をした黒い塊となって暴れたのも一瞬のこと。すぐに倒れて動かなくなった父はせっせと運ばれてしまい、そう深くなかったはずの穴の中へあっさりと消えてしまった。先程まであちこちにいた蟻も、父を追って皆一様に巣穴へと帰っていく。これから食事の時間だろうか。ふいに痒みを感じると、いつの間に手の甲を蟻が一匹歩いている。いつもの癖で口に運んで噛みしめれば、懐かしい都こんぶの味がした。
