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山の民、蝦夷、穢多──『もののけ姫』に埋め込まれた失われた日本史

大変にご無沙汰しています。ヴィパッサナーの記事を書いたあとから私生活が色々と大変で、まとまってものを考えることが出来ない状態にあり、しばらく文章を書くことが出来ませんでした。フォローして下さいとか言っておいてすみません。こんな僕のnoteを楽しみにしてくれていた方がもしもいらっしゃったのなら謝っておきます。
それで今回はアニメ「もののけ姫」に見る日本の歴史をまとめてみる。
もののけ姫は大和朝廷に敗れた者たちの物語である──これは宮崎駿自身が公言している。
その前提に立つと、登場人物の勢力構成が驚くほどクリアに見えてくる。





■ 国家(父系)に敗れた、母系アニミズムの最後の残存者たち

記紀神話などからも分かるように、日本は古くは 母系アニミズムの社会 だった。
「すべての命は大いなる母から生まれる」という世界観のもとでは、血縁や家父長制は重視されない。
動物や自然と人の境界は曖昧で、巫女や女性の役割が大きい。
熊野の古層がその典型だ。
熊野はスサノオ信仰の土地として知られるが、もともとの核は イザナミ=母神信仰 にある。
滝・川・山の巫女という構造がその名残で、スサノオは後世に国家が上書きした存在に過ぎない。
もののけ姫の世界には、この“古い日本”の影がそのまま残っている。
父系・父権の大和朝廷は物語にほとんど姿を見せず、描かれるのはその外側に追いやられた側ばかりだ。




■ アシタカ=蝦夷=国家に敗れた中間共同体

蝦夷という言葉は大和から見た呼称だが、彼らの文化はアニミズム色が強く、山の神への信仰、呪術、女性祭司、母系的価値観、狩猟民としての生活など、サン=山窩(さんか)に近い特徴を多く持つ。

アシタカは「敗れた民」と位置づけられているが、実際には完全に征服されたわけではなく、中央集権の権力にもまだ統合されていない。
作品の中でアシタカは古い霊性と国家社会の境界に立つ“調停者”のポジションにいる。
この構造は、記紀に登場する蝦夷側の指導者・長髄彦のイメージと重ねて読むこともできる。




■ サン=山窩的な“山の民の最後の世代”

サンの背後にあるのは、もっとも古い文化層の「山の民」だ。
彼らの特徴は以下の通り。

  • 山・川・滝など自然そのものを神聖視する

  • 動物との境界が曖昧

  • 母系中心、巫女的役割が大きい

  • 国家の管理外で漂泊生活を続けた

熊野信仰の原風景にも近く、国家宗教よりもずっと古い“山のアニミズム”の直系だと言っていい。
サンはその最後の存在だ。




■ たたら場=山の民が変容した職能集団

たたら場は、物語の中で自立した共同体として描かれる。
女性が中心になり、鉄や火を扱う。
これは“母系的共同体の名残”として解釈すると腑に落ちる。
歴史的にも、山の民が山を降りて生活基盤を変えたとき、国家に周縁化された職能民(鉄・皮革・鉱山)へと編成される例が多かった。
つまり、
サンの世界(山の民) → たたら場の世界(職能民)
という連続性がある。




■ ジコ坊=山と国家の媒介者(修験道)

修験道は、山のアニミズム・仏教・陰陽道・在地信仰が混ざりあって成立したハイブリッドな宗教だ。
ジコ坊だけは国家と接点を持ちながら山にも入り、両者の間を行き来する特殊な立場にいる。
善悪で割り切れない曖昧さは、修験者そのものの歴史性でもある。




■ 山の神々=古層のアニミズムそのもの

山の神々は、もっとも直接的に 古い日本の宗教構造 を象徴している。
重要なのは、彼らが
誰かの悪意ではなく「鉄と火薬」という技術の登場によって消えていく
という点だ。
国家が殺したのではなく、時代そのものが彼らを追い出した。
この描き方は、日本の歴史の大きな流れと驚くほど一致する。




登場人物たちがその後の日本史で辿った道

もののけ姫に登場する勢力は、映画の外に出ても歴史から消えたわけではない。
彼らの姿は、その後の日本社会の中でそれぞれ異なる形に変容しながら生き残っていく。
ここでは、それがどのような形で歴史に組み込まれたのかを整理してみたい。

たたら場──公界という“周縁の箱”への編入

たたら場が象徴しているのは、のちに 公界(くがい) と呼ばれる領域に押し込められた職能民の世界だ。
公界は町でも村でもない、国家の規制が及ばない自治領域であった。
ここには以下のような者が集められた:


  • 鍛冶・皮革・鉱山などの重労働

  • 遊女

  • 癩病者・病者

  • 芸能民

といった、社会から距離を置かれた集団。
これらは後世に「穢多」と呼ばれる周縁階層へとつながっていく。
たたら場が女性中心の共同体として描かれているのは、山の民の母系アニミズムの構造を引き継ぎながら、国家の外側で機能を担ったためだと考えると理解しやすい。




サン──無縁の漂泊民、“非人”の系譜へ

サンのような山の民は、その後しばしば山窩や 無縁 と呼ばれる存在に分類される。
無縁とは、
寺社・領主・村落のいずれにも属さない、戸籍や土地に結びつかない人びとだ。
特徴としては、

  • 定住せず、漂泊する

  • 国家の管理網に入らない

  • 動物・自然との境界が曖昧

  • 共同体に組み込まれない

この性質は、後世に「非人」と分類される層の特徴と重なる。
サンが“人間と認められない存在”として描かれるのは、
国家に収まらない無縁者の視点を反映しているからだ。




アシタカ──蝦夷の地は近代まで“未統合圏”

アシタカの出身地である東北は、歴史的に 中央支配が徹底しなかった地域 として知られている。
これを象徴するのが「征夷大将軍」という役職だ。

  • 夷(えみし)=征討すべき外部

  • 将軍=そのための司令官

つまり、大和国家は最後まで東北を“完全に内側化できていない”という前提で動いていた。
実際に、

  • 中世には半独立勢力が存在し

  • 近世でも幕府の軍事的出先的扱い

  • 文化・経済圏も中央とは別系統が多い

といった特徴が続く。
アシタカが“国家と山のどちらにも属さない中間者”として描かれるのは、
この歴史的な背景と重なる。




ジコ坊──修験道は「境界」を移動する者たち

修験道の行者は、山の信仰と国家宗教の間を行き来する 境界者 だった。
修験道は、

  • 山のアニミズム

  • 仏教

  • 陰陽道

  • 在地の神々(蛇神など)

を組み合わせた複合的な宗教体系で、
山の民・職能民・蝦夷の文化を拾い集めながら、寺社勢力や中央政権とも関わりを持つという独特の位置にあった。
その曖昧な性質ゆえ、明治の神仏分離によって激しく弾圧される。
境界者は近代国家にとって扱いづらい存在だった。




山の神々──鉄と火薬の時代に“追放”され、山から熊が降りる

山の神々は映画の中で象徴的に“殺されていく”が、現実の歴史でも同じことが起きた。
鉄器、火薬、鉱山開発、伐採……
これらの技術は、父系的な国家体制の拡大と足並みをそろえるように普及していき、その過程で山は信仰の世界ではなく“資源の場所”へと変わっていく。
その結果、

  • 山の神にまつわるアニミズムは急速に消失

  • 山岳信仰の拠点は衰退

  • 山の生態系は人間活動に押されて減少

そして現代では、神の不在を示すかのように
“熊が山から降りてくる”という現象が起きている。
かつての神域が生活圏と衝突しはじめているのだ。



この五つの動きを踏まえると、
もののけ姫の世界がその後どのように日本史へと変形していったのかが明確になる。


■ もののけ姫は「日本の外側の人々」の歴史である

整理すると、以下のようにはっきりと構図が見える。

  • サン=山の民の最後の世代

  • たたら場=山を降りた民が変容した職能集団

  • アシタカ=国家に敗れた中間世界

  • ジコ坊=媒介者

  • 山の神々=古層アニミズムの象徴

これらはすべて、
母系アニミズムを保持したまま大和国家に敗れた人々 の系譜だ。
勝者である大和朝廷は画面にほとんど姿を見せない。
一瞬だけ朝廷の使いが書簡を手にたたら場を訪ねるが、門前払いを食らっている。実際の日本でも公界の領域では「理不尽の使いの立ち入りを禁ずる」という掟と共に治外法権のコミュニティが成り立っていた。
この構造を理解したとき、
「もののけ姫は大和朝廷に敗れた物語」という宮崎駿の言葉が
ようやく立体的な意味を帯びてくる。


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