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【深層文化論】「自由の女神」と「修験道」を結ぶ光の正体:日仏を貫く異端思想マニ教の地下水脈

割引あり

フランスと日本の内面的共鳴

日本文化は、どこに行っても人気がある。料理、アニメ、建築、ゲーム、思想、精神性。いまや世界のいたるところで日本文化に触れることができるが、その中でも、とりわけフランスとの間には、他国とは少し違う“通じ合い”があるように感じる。
それは表面的な流行ではなく、もっと深い次元での共感だ。
両国に共通するのは、小規模で多様な表現コミュニティが息づいているという点。要は、インディーズやアングラ文化の土壌が豊かだということだ。例えば、日本では知る人ぞ知るアーティストが、パリでは“知名度のある存在”として知られていることもある。逆に、日本の単館映画で評価されるフランス映画の多くは、地元フランスではそこまで知られていなかったりする。
禅や哲学といった思想的な側面でも、フランス人は日本にある種の親しみを抱いているように見える。西洋の中でも、フランスはとくに“内面の美”を重んじる国であり、権威への懐疑や、異端精神、個の探求が深く根づいている。
そしてここに、マニ教という接点が現れる。
フランスは一見、無宗教国家に見える。だが実際には、“フリーメイソンの精神”が制度と思想の背後に根を張っている国でもある(ほぼ大東社教と言ってもいい)。自由・平等・博愛という共和国のスローガン自体が、フリーメイソンと完全に一致していることを知っているフランス人は、意外にも少ない。これは、日本の皇室周りの歴史にあまり触れられないようになっている事と同種類の教育の結果だと思っている。
フリーメイソンは、様々な古代の密儀思想に精通している。その哲学の核には、グノーシス、ヘルメス主義、カバラといった“異端的伝統”がある。可視の権威に抗い、個の内奥で光を探るという姿勢──それはまさに、マニ教やグノーシス的世界観と接続する精神性だ。
カトリック的には異端とされてきたカタリ派、そして、直径では無いにしてもグノーシス思想の影響の見てとれるフリーメイソン。
“光を運ぶもの(Porteur de lumière)”、ルシファーの象徴を宿しているフランス。
“堕天使は本当に悪なのか?”
“その天使を地に落としたのは善だったのか?”
そういった問いを、国家全体が象徴的に抱えているようにも見える。これは、他国にはあまり見られないフランス特有の構造だ。
一方、日本はどうか。
明治期の神仏分離で、一見すると神道と仏教は分断されたように見える。だが、暮らしの中にはいまも神仏習合の空気が根強く残っている。神社とお寺が並んで存在し、お守りを受け、先祖を供養する。その多神教的で混交的な感性は、むしろ“制度としての宗教”よりも、深い場所で信仰を保ち続けてきた結果だともいえる。
面白いのは、フランスが「一神教を革命で打ち倒し、哲学を上に据えた個人主義の国」であるのに対し、日本は「多神教を政治的に破壊し、一神教的な天皇を中心とした国家神道へと舵を切った国」だという点だ。
それにしても、ルシファーの「天から落ちてきて光を運ぶものって、それってちょっと天孫降臨してない?」と、思ったものだが、今回は一旦天照様は置いておいておこう。
マニ教は光の宗教とも言われる程、光にこだわった。善と悪、光と闇、国家と個人、信仰と懐疑。こうした対立を一度溶かし、翻訳してつなげようとする運動。それこそが、マニ教の根にあった“世界宗教”の夢であり、翻訳を通じて各地に同化していったシンクレティズム(習合主義)だったのだと思う。


カタリ派とマニ教

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