何を書いたらいいのか?何者の分岐点
既に何者かである人はこれまでの軌跡を、
まだ何者かでない人はこれからの軌跡を書けばいい。
先に結論から言ってしまいました。
とある方のnoteを読んで、急に分かってしまいました。
今まで自分が何者でもない、という事実に向き合ってきたつもりでしたが本当は言葉にできない何かが引っかかっていました。
noteを始めてはや3週間とちょっと。色々と内省してきた中で、やれていたようなそうでないような、分かったようなそうでないような、そんな感覚にずっと襲われていました。
でもこの方の生き方をnoteで拝見して、あーそういうことだったのね。羨ましがることなんかなく、既に何者かである人は自分の歴史を語り、まだ何者かでない人はこれからの歴史、それに加えて自分の考えやありかたを作りながら決めながら発信していけばいいんだと。
それだけみっちーさんのプロフェッショナルとしての姿勢が、アンティーク修復士としての考え方があまりに堂々としていて、羨ましいを通り越して何かを成すというのはこういうことなんだなと素直に認めることが出来ました。
これまでの私は妙に卑屈に何物かであることに囚われていて、名前もnanimono何者なんて名前にしたくらいです。それがもう本当に闇落ちならぬ光堕ちしたプリキュアのダークヒロイン的な感じです。
本当に霧が晴れたような感覚ってあるんだなと思いました。丁度朝の送迎をしていて帰りのコンビニでコーヒー買って、歩きながらnoteを読ませていただいていて、顔を上げたら朝陽がぱーっと降り注いで、え?後光差しちゃってない?と思うくらい清々しかった。
ただ、そうは言っても今後も迷いながらも、手探りで書いては消して、失敗して、こなくそ言いながらでもやっていく所存です。
ただそうなってくると、私nanimono何者のアイデンティティも自己どころか自我も崩壊してしまうんでない?と思ってましたが、良いことを思いつきました。
これより私nanimonoは「何物でもない」改め「何者かになろうとする者」に変更いたします。
それにしてもプロフェッショナルというのは凄いです。アンティーク修復士という職業があるということに驚いたと共に、その考え方も素敵です。古いものにまた光を当てるということ。
みっちーさんもnoteでおっしゃっていますが、家具の傷やシミは欠点ではなく家具たちが刻んできた歴史なんだということ。それら家具を人生で例えるとするなら人生の中の失敗も欠点ではなく歴史なんだと、失敗を繰り返してきた私nanimono何者にも日の目を浴びる日がくる!(これは勝手な解釈ですが)という考えに思わずこうありたいと思ってしまいました。
今までの考え方にさようなら。みっちーさん、そして出会わせていただいたnoteに感謝。
今日が何者の分岐点、ちょっと別ルートに行ってみます。
