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リクルートの“問題社員”が、ブランディングの専門家になるまで。

ブランディング会社の社長というと、なんかキレイなキャリアを歩んできた人みたい。ところが現実は、まったく逆で、大学を卒業してリクルートに入ってからの数年間は、首都圏5拠点に「戸部というやばい新人がいるらしい」と噂が立つほどのダメ社員でした。ははは。

なぜ、こんなことを書いているかというと。ブランディングの仕事をしていると、「うちの会社は、しっかりした魅力とか強みなんてないんです」と謙遜される経営者によく会うから。そのたびに思うのです。華やかか地味かなんて、企業の本質的な価値=魅力に関係がない。むしろ、知られていない会社の方が、掘れば掘るほど宝物が発掘できる。なんて、自信を持っていえるのは、ダメ社員時代に、たくさんの無名な企業や一見、人気のないような企業を担当したから。そんなお客様の胸を借りながら、試行錯誤してきた結果がいま。新人として、失敗してきたことも仕事の土台になっていると思ったからです。

やばい新人、誕生。

リクルートに入社したのは、1991年。まだバブルの余韻があり、仕事は山のようにありました。きっと営業にするつもりで採用したのではないか、と思いますが、本人はクリエイティブ志望。高校時代から広告批評を読み込んで、なぜこの広告表現が優れているかを独自分析していたような人間。しかし、リクルートで受けた最初の洗礼が名刺獲得キャンペーン。やる気のある同期が何十枚と名刺を集める中、私は8枚しか集められないビリギャル状態。

 当時はリクルート事件の余韻もあって、オフィスのドアを潜って名刺を出すまで「若い女子」ということでニコニコしていた男性が、社名を知ると烈火の如く怒り出すという経験もしました。のんびりと学生時代を謳歌していた身にはインパクトがありました。

 そして、配属されたのは、営業でも制作でもどっちでもない「原稿担当」という職種。正社員でありながら、制作のアシスタントをするような仕事でした。ここで、モチベーションを砕かれ、1年半後に職種そのものがなくなり、行き場のない感じで制作職に配属。その経緯から、どこか自分が歓迎されてない感じを味わっていました。それからも、低空飛行は続きました。
 妙に、広告マニアだったからこそ、先輩の作る原稿に対しても、「なんだか、ダサいな」「あまりいい原稿でもないな」といった態度がうすら匂ったのか、嫌われたり。正論を吐いて、お客様を怒らせた挙句、上司まで怒らせて仕事を思い切り干されたのが3年目くらい。同期はどんどん活躍していく中で、新しい原稿は作らせてもらえず、流用ばかり担当する日々。こうして「あの、やばい新人」の噂は、首都圏を駆け巡っていったのです。

怖くて考えた質問が、3Cだった。

 そんな中でも、今思えば、自分らしい発想が生きたなと思うシーンがあります。制作になって少しした頃、とある中堅メーカーを担当することになったのです。当時はまだ、企業ホームページなどもなく日経テレコンで情報を引くのですが、中小企業だとほとんど情報がない。翌日にはヒアリングに行かねばならない。隣の先輩に「取材ってどうやるんですか?」と質問すると、「馬鹿野郎」と怒号が飛ぶ。こう書くと、とんでもない職場環境に見えますが、配属されたチームの問題もあったと今は思います。

 そんなに怒ることないのに、と思いつつ、情報があまりに少なく、真をついた情報を短時間に得るには?と考えに考えて絞り出したのが、「同業界の中で、御社の強みや特徴だと思うことはなんですか?」という質問。これを起点にして、あとは芋づる式に、情報を引き出していこうと考えたのです。
 実際、この切り口にすると、強みがわかるだけでなく、競合関係が紐解け、業界地図も見えてくる。そして、その理由や事実を深掘れば、社風や働き方まで見えてくる。採用広報を作る上で、必要な核となる情報が手に入るのです。

そして、後から気づいたのが、偶然、3C分析(Customer・Competitor・Company)と同じ構造だったということ。フレームワークを学ぶ前に、フレームワークの構造に、近づいていたのです。広告マニアとして、多彩な企業や商品の広告を分析してきたことが、役に立っていたのかもしれません。

「機会を生かせていなかったのは、自分だった。」

 こうして自分なりには戦っていても、社内評価は上がらない。そして、4年目の夏、仲のいい同期に誘われて飲みに行った夜には、ふと「この会社を辞めよう」とまで思い詰めるようになっていました。若者にありがちな「ここじゃなければ、自分はもっと認めてもらえるのに」という思いや「一度、悪いレッテルを貼られたらリカバリーできないんだ」という強い諦観に苛まれていたのです。周囲からも完全にバカにされていましたし。そんなことを考えながら、ぼんやりと飲んでいると、ふと「自分はなんで、リクルートに入ったのだろう?」と思ったのです。

そもそも、クリエィティブを作れることと事業を創造するクリエィティビティの2つに引かれたこと。面接を終えるとすぐに翌日、呼び出され、あっという間に内定が出たこと。考えてみれば、自分は期待されて入社し正社員という簡単には解雇されようのない立場にいること。「自ら機会をつくり出し自らを変えよ」と叫んでいる会社で、ひたすら私は周囲の「できないだろう」という期待に応え続けてきたという愚かさに。そんな自分の心の構造に気がついた瞬間。気持ちがすっきりと入れ替わっていったのです。

「できない期待に応えるのではなく、失敗してもいいから100%以上やりきる。それを一年続けて、本当に出来なかったら、その時こそ、胸を張って辞めよう」と。

ダメな場所から、見えてきたこと。

 人間、腹を括ると強いのか。実は、そこから面白いように私の制作人生は好転していくのです。翌週、出社すると、まず怖くて苦手だった先輩に自分から相談して、アドバイスをもらえるような関係になり。まもなく、前年から仕込んでいた道路会社の原稿でクリエイティブコンテスト(社内賞)に初入賞。そのあまりの転身ぶりに、すっかり先輩は私を一番弟子として可愛がってくださるようにも。

 でも、この苦しい時代にも、賞に輝いた道路舗装会社をはじめ、樹脂で紙を作った会社を担当したりと、目立たないけれど魅力のある企業に多く出会うことができていました。道路舗装会社は、関西空港に滑走路を作るというビックプロジェクトを通して道路作りの面白さを伝える原稿に。樹脂で紙を作る合成紙メーカーでは、その合成紙を使ったパンフをつくり手で揉んだり水に濡らしたりして採用の説明会に来てね、という原稿にしたら、多くの学生のパンフがちょっと汚れていてお客様に大いに褒められたり。

 決してメジャーな企業ではないからこそ、自分しか見つけられない鉱脈が眠っているのだと体感もした時期。そして、フレームワークより先に、構造を直感で掴むという、自分らしいやり方も、苦しさの中で自分のものにしていった大事な時代でもありました。

これが、カラビナの採用ブランディングの基盤の一つになっている。誰かに自分の事業や組織の輝きを見つけてほしい。そう思ったら、気軽に声をかけてください。


戸部二実(株式会社カラビナ 代表取締役) コピーライター/ブランドデザイナー。500件以上の企業ブランディング支援。 著書:『強みを見つけるブランディング』(宣伝会議, 2024) https://www.amazon.co.jp/dp/4883356043 カラビナでは、企業ブランディング・採用ブランディングのご相談を承っています。 お問い合わせ: https://carab.jp

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