デフォルトは残念

ご覧いただき誠にありがとうございます!!
香と申します。


今となっては、
思ったことがいろいろ現実化したりと

自分でもびっくりして
何度も何度も感激するくらい
毎日が本当に楽しく最高に幸せで
感謝で溢れる日常を送れています。

至福極まりすぎて、感謝の念が爆発して
何度泣いたかわからない。


ですが、もちろん始めから
元々そうだったわけではなくて
死にたくなるほど辛いことや苦しいこと、
どん底の日々など
何度も何度もたくさん経験してきました。


はじめに、けっこう残念なデフォルトを
記録として残すためにあえて
”残念な面をメインに”以下書き綴ります。



まず、家族が残念。。

小学生のころは
「家族」という言葉が嫌いだった。
心の底からこの言葉へ抵抗があった。

当時は作文などで
「家族」についてのなんちゃら
など書かされたり
たびたび「家族」の
ワードやコンテンツが出てくる。

そのたびに抵抗や不愉快を感じ
すごく嫌な気分だった。


クラスの友達など周りのみんなは
ごく普通の幸せそうな家庭にみえていたので
内心うらやましく思っていた。


なぜかというと、私の家は
母は良かったのだが、父が最悪な人間だった。


お母さんに
「まま、早くぱぱと離婚して」
と何度も乞う小学校低学年の子が
いるだろうか(笑)

いたとしても
実際にはあまり直に聞かないと思います(笑)


私は父が大嫌いだったのです。


ヒステリックで気性が荒くすぐ怒る怒鳴る
物に当たる、物を壊す、投げる
子供への暴力
お金遣いの荒さ、お金の管理能力の無さ
酒癖がものすごく悪く
酔っ払って帰ってきては子供の布団へ入ってきて
大いびきをかく、そしてとても酒臭い
(そのせいで私は今もなお
ウイスキーが臭いごと嫌いだ。
臭いは過去をフラッシュバックさせる。)
飲食店へ行けば店員さんへ細かいことで毎回怒る
せっかくの外食も気遣いの時間になり心から疲れる
せっかく美味しいものを食べても美味しくない


まさに自己中の極み。

本当に許さない。


子供を不幸にした毒親。


母は父をずっと嫌っていたし
子供ながら、なぜ結婚したのか
本当にわからなくて絶対に理解できず
常に何度も何度も、母に
「なんで結婚したの?」
と聞いていた。


母はずっとはぐらかして
この件に関しては
私が高校3年生になるまで話してくれなかった。

私が話がわかるようになるまで
聞き入れる器ができるまで
人間的に成長するまで
タイミングを待っていたんだと思う。


なので私はずっと
生涯結婚なんかしない
子供ももちろんいらない
と強く思ってた。

こんな残念な家庭で幼少期を生きさせられたら
「結婚=不幸」
と頭にしみつくのはごく当然のことだろう。


もはや、「結婚=忍耐」だと
母から洗脳のようによく聞かされていた(笑)

価値観偏りすぎだろ(笑)



小学校6年生のときに
10年後自分はどうなってるか
みたいな内容で

・結婚はしているか
・子供はいるか

という想像してみようみたいな
アンケートがあり
みんな紙に書いて先生が回収し
名前は言わずに先生が1つ1つ読み上げる
みたいなことをしたことがあった。


そのときは私は

・結婚はしているか
→していない。というかしない。

・子供はいるか
→いない。というかいらない。


と書いた。

先生がこれを読み上げたら
クラスには笑いが起こった。

ウケ狙いで書いてなく本心だったが
ウケをとれたのは嬉しかった。

こんなことを書いているのは
私だけだった(笑)


親からの「血」による遺伝は怖い。

そんな父をもつのだから
もちろん同じ「血」が流れている。

少しは性格が似ているところがあった。


本当にいならい遺伝子を受け継いだ。

まじで血管ならぬ欠陥。

大きな汚点だ。

私自身もわがままで自己中なところがあった。

それが友人関係に悪影響し
人間関係をいつもこわしていた。


自分でももどかしかった。


そして今思えば下町だからなのか
周りも民度が低かったなと思う。

クラスには常に
私をひがんで悪口を言ってきたり
嫌がらせをしてくる女がいた。

小学校入学したてで
「私はなにもしていないのになんで??」
と思うことがけっこうあった。

中学校でもひがみ女がいた。


ひがんで陰口をたたいてくる。
完全に、ひがみなのだ。

その陰口の内容は、私のことを

「勉強も運動もできるけど、背小さいよね。」

とひがんでいた。


私のあらさがしをした結果
身長しかつっこめないなんて
だいぶ面白かった。

しかも別に異常なほど小さいわけでもない。


中学校ではさらに嫌がらせを受けたり
ハブにされたりして
基本孤立していた。
まるで一匹狼みたいだった。

部活も1年間で辞めていた。


ひがまれる以外は
自分の自己中な悪い性格のせいでもあった。

そのせいで毎回仲良くなっても
自ら関係をこわしてしまうので
その性格をなおしたくて
けっこう悩んでいた。


中学2年生のときに
父のお金の管理能力のなさにより
元々安い家賃の家も住めなくなり
近くの母方の祖母の家に移り住むことになった。

祖母の家には
母、私、妹が行き
父は父の自分の父(私の父方の祖父)の家に
移り住むことになった。


別居らっきー!!最高!嬉しい!!

という感じでしたが
毎晩父は仕事帰りに家にくるのです。
ご飯を食べにきて帰るという感じでした。

休みの日もくる。


本当に最悪でした。


学校があれば家にいなくてすむので
学校が休みの土日が逆に憂鬱でした。

そんな現実があることにもビックリ。


母ももちろんずっと働いていたが
そんな母の口癖は
「お金がない」


ひたすらに、なにかにつけて
「お金がない、お金がない」
と言っていた。


「お金がないから、できないよ」
「お金がないから行けない」

全ての理由が「お金がない」

またしても、これも洗脳かのように
頻繁に聞かされ続けた。


学校の周りの子たちは
家族ででかけたり旅行していたり

うらやましいと思うことが多かった。


そもそも、車もないというか
両親とも無免。


まあ、あの経済環境では
車なんてもつ余裕は一切ない。


高校受験も
「お金がないから」
都立へいってほしい。

といっていたが
滑り止めで私立も受けておかないととのことで
V模擬の偏差値をもっていき
特待生で授業料免除になる私立を受験。


中学では孤立していて
完全に黒歴史だったので
同じ中学からは誰も受験しない高校を
先生に教えてもらい受験した。


新しい自分で高校デビューするために。


実際は、第一希望の都立は
少し高望みして落ちた。

私立へ行くことになった。
授業料は半額免除。


幸い、母が働いていたお金で
習い事をいろいろさせてくれていて
勉学、運動共にそこそこ優秀だった。

お金は教育へ使ってくれていた。


ゲームなどは一切買ってくれず
友達と話ができなかったし
旅行などもほとんど行かなかったが
教育へお金を使って
一生懸命に子育てをしてくれた母には
のちにとても感謝した。
もちろん今でもしている。


私立はやはり、高い。
授業料が半額になってるだけで
こんなにも助かっていると
明細を見せられたこともある。


高校生になり、勉強から解放され
青春を全力でするべく
勉強をほったらかして恋愛に励んだ。


高校進学時に、
中学などの地元の友人の連絡先は全て消去し
完全に縁を切った。

地元を捨てた。


まるで動物園だった中学校
民度の低い人間たち。

やっと綺麗に切れて清々しかった。


成人式ももちろん行く気なかったので
行かなかった。
参加するか否かの連絡も実家に電話がきていたが
フルシカトした。

成人式当日は大雪で
心からざまあみろってあざ笑った。
(性格悪。笑)


話を戻して、、

高校デビューは成功した。

それまでの人生のなかで一番人を好きになり
結婚への気持ちが変わり
結婚したいという考えに変わった。


しかし2年間遊びすぎた。

高校3年生にあがるときに
大学受験の話になり
またしても母から
「お金がないので国立へいってほしい」
と言われた。


そして、三者面談で
国立へいくなら本気で勉強しないと
間に合わないと力説され
恋愛している暇がないとのことで
担任と母の二方向から
別れるように遠回しに説得された。


仕方ないので、泣く泣く別れ
勉強に本腰を入れた。


しかし、2年間のツケを
取り戻すのにかなり苦労し
受験前の最後の高校3年生の冬は
制服のミニスカートが寒くて寒くて
登下校も毎日1人だし心も寒くて寂しくて孤独で
すごく苦しかった。

受験は1人で戦うものでもちろん孤独だが
想定以上にものすごく苦しかった。


大学選びのオープンキャンパスに
母と2人でいくつか行った。

その帰りに横浜の中華街での食べ歩きを
一緒にしてほしいと言われ付き合ってあげた。


その帰りに公園で少し休もうと言われ
座るや否や、私が子供のころにさんざん
なんで結婚したのか問うてた答えを
突然一気に話し始めた。

その内容があまりにも残酷で
聞いてても苦しくて苦しくて泣きそうで
でも涙を見せたくなかったから
必死にこらえて、、



結婚してしまったのは(強引にさせられた)
仕方なかったんだなという内容だった。


しかし、10年以上も不明だった疑問が晴れ
腑に落ちた。


その長い人生の話の最後の最後に
「産まれてきてくれて救われた」
みたいな私を産んだことで
生きる希望や理由になったなどの
話をしてきたので
さすがに抑えまくっていた涙が溢れ
大粒の涙となって一滴だけこぼれてしまった。

それに気づいたのか
それまで笑いまじりで明るく話していた母も
涙をぬぐったような姿が視界に入った。


自宅への帰り道もショックで苦しくて苦しくて
両足に筋トレするかのような
ものすごい重りをつけたかのようで
こんなにも1歩1歩が重たく歩くのが大変
となったことは初めてだった。


聞いた話の内容があまりにも苦しくて
その日から数日眠れなかった。
帰宅後も泣き
毎晩ベッドで泣いていた。


私は精神的に辛く苦しく
毎晩寝れずに泣いているのに
そばで母はいびきをかいて寝ている
という現実に気づいたら一気に冷めて虚しくなり
そこから毎日また眠れるようになった(笑)


大学受験は、結果的に第一希望も落ち
絶対受かると思っていた滑り止めで受けた私大も
補欠で繰り上がりがなく結果的に落ちた。

絶望的だった。
地獄に落ちた気分だった。
すごく一人で号泣した。


浪人することになった。
浪人の費用は一緒に住んでいた祖母が
出してくれることになった。


またあの苦しい1年がさらに1年延長なんて
けっこうな地獄の気分だった。

どん底を味わった気分でたくさん泣いた。

受験勉強のために別れた彼氏とも
お互いずっと気持ちは変わらなかったので
受験後、復縁していた。


浪人を始めるにあたり
すぐに母と塾選びをしすぐに決まり
すぐにまた勉強の日々が始まった。


すごく冷めた気分で勉強を再開した。

周りからもよく
「すごい冷めてるよね」
と言われた。
周りも驚くくらい冷めていたらしい。


大学進学組と浪人組のカップルは
環境が違いすぎてうまくいくのは難しい。

復縁したがすぐに別れた。

浪人の塾に入って出会った人に惹かれ
すぐに付き合ったがこちらもすぐに別れた(笑)


浪人の後半に事件が起きる。


受験目前の12月に
一緒に住んでいた祖母が
救急車で運ばれ死にかけた。

幸い、なんとか生き延びて
そのまま介護施設に入ることになった。


その同時期に、父方の祖父が
クリスマスイブに亡くなった。


父はへらへら笑っていたし
笑顔で「じいちゃん死んじゃったよ~」なんて
言ってきたからなにもかもショックだった。

その言い方にすごく殺意がわいた。

なぜそんな言い方をしたのか
意味がわからなかった。


祖母と祖父のダブルパンチで
けっこう精神的にきた。


元々、経済状況が良くないなか
ダブルパンチがおき
母は介護の仕事もしながら
かなり大変そうだった。


金銭的にも大変そうだった。


すぐに家に食料が全然ない状況になった。

母に負担をあまりかけさせたくなかったので
1日食パン1枚で過ごす日々もあった。


勉強をしていて頭に栄養が必要なのに
食べる物もお金もなくて
けっこうしんどかった。


そして受験1か月前で
ガス欠になってしまった。

スランプに陥った。


受験を迎えたが、高校受験と同様
少し高望みをしてしまい
結果的に第一希望の国立は落ちた。


滑り止めの私大は受かったので
結局私大へ行くことになった。


高校も大学も滑り止めなんて
なんだか滑り止めの人生だなと思って
悲観的になったりもした。


もちろんお金はないので
奨学金をMaxで借りて通った。


奨学金は母が全て管理していたので
自分では借金などの認識や感覚はなかった。
(「今」を生きることで
精いっぱいだったのかもしれない)


実際のところ、
大学卒業後に600万円近くの返済があった。
20年間かけて
毎月数万円の引き落としがされ返していく。

(卒業後、実際は数年で完済している☆)


ちなみに大学進学前、母と一緒に電車移動中
電車の中で突然

「まま、ぱぱと離婚したんだ」

と告げられた。

その瞬間は
私は肩の荷がいっきにおりたように
気持ちが軽くなりかなり嬉しかった。喜んだ。


しかしそのあとに母は
「母子家庭の方が奨学金が優遇されやすいから」
と続けて言ってきた。


そのために離婚成立したのかよ
と思ったが
私も母も理由はなんにしろ
正式に離婚できたことには心底嬉しかった。


大学へ進学し
ずっとやりたくてできなかった
硬式テニスをするべく
テニサーへ入る気満々で
インカレのテニサーの新歓へたくさん参加した。


何度か参加し、察して確信にいたった。
けっこうお金がかかるということ。。


移動費、コート代、ユニフォーム代、飲み会代、
上級生になれば新歓へくる
1年生の分も負担するために
さらに出費がかさむ。。


新歓で出会った他大学の2年の男と
新歓マジックにより付き合い
お金のことを聞くと
けっこうかかるとはっきり言われたので
泣く泣くテニサーは諦めた。


移動のない比較的お金のかからなそうな
インカレではないダンスサークルに入った。

入ったあとに知ったが
サークルという名の部活だった。。


年の最後に大きな自主公演があり
それに向けて練習日が増えていき
週3→週4→週5
になっていった。
参加は必須。。


大学1年生は授業が1限から週5あり
それぞれの授業で課題が出て
かなり大変だった。
(理系の数学専攻だったため)


はい、家にお金がありませんので
自分の必要なお金はバイトをして
自分で稼ぐしかありません。


お金があまりかからなそうと
思っていたダンス部は
公演の時期になると衣装代やらなんやらで
たびたび徴収がかかりかなり出費があった。


そして練習日が増えるたび
バイトができなくなる。


少ないバイト代が全てダンスで消え
他で自由に使えるお金がない状況になった。

これはかなりストレスになった。


私は大学生になりやっと人生で初めて
バイトをして自分で稼ぐという経験をし
自由になった感覚をもっていた。


それなのに、ダンス部だけで
お金が消えるという現実が
あまりにも受け入れられなかったので
2年生の前半で辞めることにした。


お金を理由に制限され、
やりたいことを諦めることが多いなと
つくづく思っていた。


大学進学してからは
毎日1限から授業があったため
朝早くに家を出て
夕方夜はバイトをラストまでして
帰宅は日付が変わるころ、、

休みの日もバイトやたまには遊びに出たり。


そんな感じの毎日を送っていたので
ほぼ家には寝るだけになっていた。


気づけば父も家には来なくなっていて
私もほぼ家にいなかったので
やっと顔を合わせることもなくなり
自分の中では完全に縁を切ったつもりでいた。

一方的にくる連絡も
すべてフルシカトしていた。


母は毎日介護士として夜勤をしていた。

祖母も介護施設にいってしまっているので
高校生の妹が家で1人でかわいそうだった。


母はひたすらずっと夜勤をしていた。

あとから聞いたのだが
父からの養育費は
ずっと1円ももらっていなかったそう。
ありえなくね?

(まじで××してええ)

育児放棄でもあるし、
妹が中学生や高校生という学費がかかる時期に
養育費を入れないのは終わってるよな。

(まじで××してええ)2回目。


みんな外へ働きにでて
家に誰も大人がいなく
ご飯をつくってくれる人もいない
作りたての出来立ての温かいご飯を食べることも
家族で食卓で食べることもない

家に1人で夜を過ごす
なんて中学生や高校生の時期にしてしまったら

まっすぐまともに育つのは難しいだろう。。

たっぷりの愛情を注がれるという経験も
きっと記憶にないのではないだろうか。


申し訳ないことをしたなと
姉ながらに少し責任感や罪悪感も感じている。

当時はそんな妹のことも気になってはいたが
自分自身もいっぱいいっぱいで
遊びたい気持ちも抑えられなかった。


仕方なくね?
私も母も身体はひとつしかない。


こんな残念な家庭環境だったのに
今や立派に自立して
優しい大人に育っていることに感謝。

なんだかんだ、
神のような母のおかげなのかもしれない。


しかし、
父から受け継いでいるいらない「血」
によるヒステリックはいまだ直らずに
妹は突発的に今でも発症する。

それにはいまだに
私も母もすごく嫌な思いをさせられている。

私も気合で直したので
早く妹にも直してほしいところだ。。


大学1年のときに7歳くらい上の人に口説かれ
まんまと付き合ったがすぐに遊ばれてると気づき
他にたくさん女がいるとわかり
自ら静かに身を引いた。

初めての経験だったので
けっこうショックだった。


とにかく自由に使うお金がほしかったため
バイトに明け暮れた。

ダンスを辞め時間ができたので
バイトを掛け持ちしていき
とにかく働きまくった。

当時は時給1000円でも高い方だった。


それでバイトを3つ4つとして
月に20万前後稼いだりしていた。

いつも夜勤ばかりで疲れ果てている母を
少しでも助けたい思いも強かったため
稼いだ一部を母へ渡したりもしていた。


しかし、働いてばかりでときが過ぎていき
旅行など他になにも
楽しい経験をしていないことに気づく。

大学生活の1年間の
過ぎ去り方の速さには心底驚いた。
もはや恐怖さえ感じた。

大学生活をバイトだけで終わらせるのは
絶対に嫌だと思った。

そして無理矢理
グアムへ貧乏旅行をしたりもした。


夢としていた塾講師のバイトを
大学3年ではじめたが
想像と現実にかなりの
乖離があったことに気づく。


就活直前で夢がなくなった。
やりたいことがない、どうしよう、
唯一の夢を失った。


とても焦り、少しでも自分が興味ありそうな
アパレルなどバイトを追加で始めてみるが
やはりだめだった。時給も低いしすぐ辞めた。


かなり困った。


そして大学3年生の終わりには
一番仲良かった女の子に裏切られた。

女子大でグループ化にもなっていて
9人で仲良くしていたが
裏切り娘は八方美人でみんなと仲良かったため
私がグループから抜ける感じになった。


人生で初めて素敵な友人に恵まれたと思って
ものすごく喜んでいたのだが全員失った(笑)


地元の黒歴史といい
友達のできない人生だなと思った。

女ってきもいな。
すぐ裏切るじゃん。。
信用できない。

とつくづく思った。


大学4年生はみんな授業もあまりなく
通学もあまりないため
友人と会うこともあまりなかったが
そのころ私は卒業後は会社員はできないと思い
ビジネスを学び始めていて
とても忙しくしていた。


知識や経験もなにもなく独学では無理と悟り
あるビジネススクールに入会し
実践型で学びながら
インターネットビジネスをしていた。


しかしそこで行われている営業活動に興味があり
とてもやりたかったので
強く申し出てやらせてもらった。


学業に複数バイト、
営業活動でものすごく多忙を極めた。


しかし、そこでの営業活動が
卒業後の道となると思っていたし
そうする気満々だったので
就活もほぼなにもせず
せめて卒業までに社会人くらいの収入を
得られる状態をつくろうと
とにかく必死だった。


その営業活動はフルコミッションかつ
活動費がかかる。


人生初ということもあって
はじめから結果がでなく
ただただ活動費が出ていくだけで
営業での収入はない月が続いた。


自信満々ではじめたものの
数か月経っても結果が出ず
契約が取れても50%の確率で
クーリングオフ。。

精神的に追い詰められた。


私はかなり真面目だったため
周りの誰よりも地道に数をこなしていた。

それなのにいっこうに
結果が出ずに
収入は入らず活動費が出ていくばかりで
貯金が尽きそうになった。


さすがにまずいと思い
キャバクラのバイトをこっそり始めた。

屈辱に感じたため周りには誰にも言わなかった。


午前から夜までは
学校や営業活動、他のバイトをし

夜遅い時間から夜中や明け方まで
キャバクラで働く。


けっこう大変だった。


誰よりも真面目に数をこなし頑張っていたため
直属の上司みたいな立場の人が
かなり目をかけてくれて
ずっと熱心に教えてくれたりしていた。


4か月間は連続で結果がでなかった。

月に1~2契約とれても
50%でクーリングオフをくらっていた。
クーリングオフ率50%は前代未聞で
周りにもいないため、自分も周りもびっくり。

自信満々で始めたものの
センスがないのではないか?
とさすがに思い絶望感いっぱいだった。

屈辱でいっぱいで
ちんけなプライドもずたずたのボロボロになった。


ついに精神力が切れて
自殺が頭をよぎった。


1人でこのままぼーっと歩いていたら
無意識に例えば道路に突っ込んだりして
死んでしまうのではないかと
自分で自分に不安になった。


スランプのどん底におち
一旦数日間、
本当になにもしないニート生活をしてみた。


案外、3~4日ニートをしたら
少しずつ気持ちが復活していき
徐々に営業活動の作業を再開していった。


復活したての月で
初めて月に3契約をとることができ
ずっと面倒見てくれていた経営者の方たちが
大喜びをしてくれた。

そこからは波に乗ることができ
ものすごくうなぎ登りの
結果を出していくことになった。

(のちに、ダントツのぶっちぎりナンバーワンになり組織内でとても有名になった☆)


そんな感じだったので
お金もなく大学の友人もいなかったので
もちろん卒業旅行などはする暇も一切なく
なんにもしなかった。


みんな海外旅行などしていたが
いったいそのためのお金は
どうしていたのだろう。。?
親、、?
けっこう疑問だった。

私はそもそも親もお金がないので
信じられなかった(笑)


大学の卒業式も
一緒にいる友達がいないので(笑)
彼氏を連れて行った(笑)

卒業後のパーティーも不参加。

そんな会に参加するくらいなら
営業活動の仕事をしたいというくらいだった。


卒業までに、社会人の手取りくらいは
稼げるようになっておかないとと
思っていたことは
なんとか達成できた。

なんなら周りの就職した人たちの
数倍は稼げようになった。

そして稼いだお金の1/3を毎月母に渡していた。
1/3って家賃かよ。。(笑)


しかしそのために
周りの社会人よりも長く活動していた。
休みという概念がないので
休日は基本なかった。


その営業活動の組織において
年に2回ほどキャンペーンがあり
契約数によるランキングによって
表彰を受けたり高価な景品をもらったりする。

ビッグなキャンペーンでは
1000人以上集まるコンベンションで
表彰を受けたりなどといったイベントがあった。


もちろんそのたびに
みんな全精力を営業に注ぎ
働きまくった。


大学卒業した年の冬に
ビッグなコンベンションがあり
そのためにランキングを決める
キャンペーンが秋にあった。


私はこれまでの人生
高校受験も大学受験も第一希望へは行けず
小学生のときのさまざまな習い事でも
最後は諦めて全て中途半端で終わり
なにも1番になったり極めたりすることはなく
最後まで頑張り抜くことが
できなかった人生だったので

この営業活動では絶対に1位になりたいと
本気で心から思い決意し、覚悟した。

そして1人で誰とも戯れずに
全ての時間を営業活動に捧げ
睡眠時間も削り必死に活動した。


とても孤独を感じた。


眠いのを我慢してこらえて作業して、、
とても辛かった。

絶対に1位を勝ち取りコンベンションで表彰され
その際のスピーチで
母へ感謝の思いを話すという願望を抱き
どうしても実現したくて
ただそれだけのために必死に頑張った。


結果的に2位と2件の差をつけて
1位なることができた。
(上位で2件の差をつけたのは
 かなりのすごいことだった)


母と妹をコンベンションへ招待し
1200人くらい集まった中
舞台でスピーチをし、全ての願望が叶った。


(ちなみにこの時期にも、ひがみ女がいた。
謎に挨拶を無視してきたり(笑)
のちに、ひがんでましたごめんなさいと
謝られた。本当は仲良くしたかったなど
わけのわからないことを言っていた。)


今思えば、このときに
無自覚でスピリチュアルな行動をしていた。


そしてこのコンベンションの次の日に
婚約していた彼氏との結婚披露宴を日本でした(笑)
忙しかった(笑)

結婚式は海外で行った。


地獄のようにはじまった1年が
最高の終わり方をしていた。


その2年後、離婚した(笑)


離婚後の数か月後には
またさらにひどいどん底に落ちた。


自分の組織が崩壊した。


離婚後だったので
このときには完全に1人だった。

自分が生きるための生活費などは
全て自分で稼がないといけない状況だった。


組織崩壊し
収入が減るという現実と
やらなければならないことが山積みで

今までのように
落ち込んだり泣いたり
ニートをしたり
傷心に浸る暇など一切なかった。

本当に一瞬もなかった。


これにはびっくりした。

落ち込んでる暇が "一瞬" もない。

生きるために "今すぐに"
作業をして手を動かさないと
頭を動かさないといけない。


少しくらい落ち込みたかった。


26歳にして
かなり苦しい地獄だった。


頼る人、弱音を吐く人
泣きつく人
誰もいないってこんなに苦しいんだ。。


1人の辛さを痛感した。


せめて、仕事において
仕事関係での人で、話したい人はほしかった。
しかし、その頃に私が信頼したり
尊敬する人はいなかった。


食費をかなり削ろう
などたくさん考え

あまり食べないようにしたりして

けっこう痩せた。


今後の人生への絶望でいっぱいで
今を生きるお金を必死に稼ぐために
やりたいことなど全て我慢して
毎日を仕事で消化して
このまま人生最後まで
消化していって終わるのか、、

と人生諦めた。


希望などなにもなく
生きる屍のように
魂が抜けたように生きていた。


時間が解決するかのように
数か月かけて少しずつ
気持ちが楽になっていった。


そのあとにコロナパンデミックが起こり
世界が変わった。


ロックダウンなどにより環境も変わり
私に希望の光がさした。


そこから
地獄から天国へと逆転していった。


その後はコロナ様による恩恵を
存分に受けることができ
まさに天国化した日常になっていた。


まさにスピリチュアルに目覚めていた頃だった。

(今回の記事では残念なエピソードメインに
するので、スピリチュアルの話は別の記事で
詳しくお伝えします。)


実際のところ数年間ニートをしていた。
最高すぎた。


その最高なニート生活にピリオドが打たれたのは
その頃一緒にいたかなり年上の男の
金持出し蒸発だった。


14歳も上なのに
私名義の私の家に住ませてあげて
私が家賃全額負担で一緒に生活していた。

さすがに半年近く経ち
私の我慢とストレスの限界がきたので
働かせてお金を家に入れるようにさせた。


事実婚の夫婦状態の生活をしていた。


しかし2年一緒にいたが
最後は月の稼いだお金を持って帰ってこずに
そのまま嘘の連絡だけをしてきて蒸発した。


金銭的にも精神的にも地獄の果てだった。


26歳での自分の組織崩壊の経験の
何倍も苦しかった。


突然1人になり、
ずっと2人で楽しく過ごしていたので
まるで半身不随のような感覚。

毎日まともに寝れない
固形物が喉を通らないので
まともに食事ができない
趣味もなにもする気力がない。無気力状態。


なのに、生きるお金をすぐに
稼がないといけないので
すぐに職に就き、毎日フルで働いた。

数年間ほぼニートからの
いきなりフルで働くのはけっこう辛い。。

しかも、会社員の生き方や働き方、
日常の過ごし方が元からすごく嫌だったのに
その生活をすることになったのも
かなりの絶望だった。


平日夜や休みの日は、
蒸発され置いてった荷物の
フリマアプリへの出品や発送作業。

少しでもお金をつくらないといけなかった。

本当はなにもする気力がない無気力状態なのに
無理して動かないとならなくて
かなりしんどかった。


生きてるなかで
地獄のような苦しみの経験をするたびに
地獄度・苦しみの深さ
が増している。。


この先、またなにか
地獄に落ちるようなことがあった際
自分は生き延びれるのだろうかと
とても心配になった。


数か月は引きずり元気がなかった。


結局いつも思うが
最後は時間が解決する。


時間の経過による癒えってすごいと思った。


そして、その地獄を乗り越えたら
その分の深さの天国が待っている。


回を増すごとにその振れ幅が大きくなり
人生の波があり
疲れてしまうな。。。


この地獄の続きの日々と
そこからの奇跡の這い上がりを
別の記事でかいているので
ぜひそちらもご覧いただけたら嬉しいです☆



しかし人生史上の地獄を乗り越えたいま
その分の天国を生きている。
涙が溢れるくらい至福な毎日を。

とくにパートナーなどいないのに
1人でもこんなにも毎日楽しい!!
心から幸せ!!!


そこにはスピリチュアルに生きる
ようになった鍵がある。


その秘訣を1つ1つ記事で
お伝えしていきます☆


ぜひ、読んでみてもらえたら嬉しいです☆

最後までご覧いただきありがとうございます♪



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