北斗の拳についてあれこれとⅢ
注意
今回の話は色んな作品のネタバレ含みます
なんか前回の話で「北斗の拳」は他の漫画や映画からアイデアをパクってきて適当にくっつけて作ったろくでもない漫画(実際製作サイドはそう言ってるんだけど)みたいに書いてしまいましたがそんなことはありませんよ
それは外側の部分だけでとにかくジャンプの期待のホープ(そして未だ見ぬ期待の後輩たち)がのびのびと育つ土壌を必死で模索したと言った方が良いでしょう
その中で参考にした、良い種子を分けてもらいに行った先は雁屋哲・池上遼一タッグくらいと言って良いでしょう、と言いたいのです
あの雁屋先生のストーリーテリングの卓越した技術(それまでの梶原・小池2大巨頭の作品はこってりしすぎてて胸焼けを起こすが同じテーマで雁屋先生が話作ったらそれがない)を存分に学ぶことができたし池上先生の真似のできない画力の凄まじさ「以外の」演出家としての技術も学ぶことができた
これは全ての少年誌と明日の大先生を目指す新人漫画家さんたちにとって貴重な共有財産ですからね(雁屋先生の「美味しんぼ」だってグルメ漫画というジャンルは牛次郎先生の「包丁人味平」と「スーパー食いしん坊」が作ったもんですしね)
さらに言うと「マッドマックス」は二作目で文明が崩壊した世界になるんですが(この話自体はゲーテの「ファウスト」にインスパイアされてることも付け加えておこう)この「アポカリプス系」と今では称される作品の大元は私がnoteで前に紹介したニュートン・ソーンバーグという作家が書いた「ヴァルハラ(日本語未翻訳)」という小説で、これ「マッドマックス2」の製作開始直前に発表されてます
この映画と「ヴァルハラ」てよく似てるんだけどな、どういう関係なんでしょう?
元ネタを辿れば絶対その元ネタにも元ネタがあるもんなんですね
そんなこと言い出したら悪党がモヒカンなのは「マッドマックス2」以前に武論尊原作の「ドーベルマン刑事」でしょっちゅう登場させてるし
ラスボスが主人公の父親だった!の展開なんか「スターウォーズ2」より雁屋哲先生の方が先です
武論尊先生も雁屋哲先生も漫画原作家という特殊な作家業を生業としてたせいか名は売れて巨匠扱いされることはあっても
NHKの大河ドラマの脚本の話は絶対来ないし
それらの脚本家と比べて非常に見下されてるのも事実でしょう
断言しても良いですが、雁屋先生や武論尊先生がNHKの大河ドラマの脚本書いた方が絶対視聴率取れるし芸術作品としてクオリティも向上するでしょう
そんな稀有な芸術作品の一つとして「北斗の拳」をとらえた上で、そのストーリーの中で元ネタになったであろう他の漫画のストーリーを紹介しますね
最初期の南斗聖拳のマスター・シン、あれ
新谷かおる先生の「エリア88」の主人公・風間真ですわ
この漫画、新谷かおる先生が「史村翔」名義の武論尊先生と組んで書いた「ファントム無頼」という航空自衛隊が舞台の漫画がヒットした翌年に新谷かおる個人名義で書いた作品です
新谷先生は大阪府豊中市という伊丹空港に出入りするジェット旅客機の爆音を聞かされまくるジェット機について詳しくならざるを得ない環境で育った宿命で戦闘機の漫画を連発してたんですが、やはりそれでも戦闘機となると航空自衛隊出身の史村翔先生の助力が無ければ描けない部分があったと思います
戦乱が続く荒廃した世界の中で友に裏切られ恋人を奪われ地獄の底から復讐を誓う主人公という設定が
完全に初期のケンシロウと一緒
「北斗の拳」では繊細なシンと割とタフで図太さのあるケンシロウというキャラの入れ替え(結末も)ありますけど一緒と評していいでしょう
これ、90年代に入って「武論尊と史村翔は同一人物」という事実が判明するまでわからなかった(関係ないが「ファントム無頼」連載当時、ヒゲが生えたガッチリした体躯の男という共通点から雁屋哲先生と史村翔先生は同一人物では?という噂もあった)ことですが、事実を知った後となっては「はいはいはいはい」と色々と納得することが出てくるわけですね
また、「エリア88」の最後は主人公・シンが記憶喪失になって戦争の記憶を全て失い「平和を愛する優しい男」に戻ることで恋人と結ばれ渋い終わり方します
なんか「北斗の拳」も最後、色んなキャラが記憶ぶっとんでわけわかんなくなりましたよね?(こういうランディングの巧さは雁屋先生に劣っちゃうんですね、雁屋先生が化け物過ぎるから)
連載終了何年も経ってからこんな真実がわかって度肝抜かれた漫画他にないわ
さて、ここまで長々と「北斗の拳」と周辺の漫画群作家群との関連性を語って来ました
語れてないのは牛次郎先生の「プラレス3四郎」くらいかな?
全てに共通してることだけど暴力的な描写を含む、ラディカルな要素を持った少年漫画であり、それゆえ平和の尊さやえげつないストーリー展開に惑わされないヒューマニズムを訴えるドラマ展開など
子どもたちにそして未来の子孫たちへ訴えたい想いを幸運にも瞬間的に伝えられるチャンスを得てそれを活かして思う存分訴えることができた、これこそが「北斗の拳」の最も重要な部分だと想います
武論尊先生が「北斗の拳」の映画版観て「もっと(せっかくがんばって書いた)ドラマの部分を強調して欲しかった」と苦言を呈し、ライバルの雁屋哲先生の得意ジャンルである「男たちの熱いドラマ」路線にシフトしていった経緯を知っている身としては新しい「北斗の拳」がドラマ性を強調した「大河ロマン」として描かれてほしいと思うし
本人が望むのなら、だけど武論尊先生もあれから何十年も経ってるので、かつてのライバルだった雁屋哲先生や牛次郎先生に勝てなかった分野も劣らず上手に描くことが可能だろう、リライト、再構成もやってほしいもんである
アニメ「北斗の拳」は漫画のテイストを完全再現は不可能と判断し、東映アニメ独自のノウハウで新たなケレン味を足して再構成、これはこれで独自の世界観を表現した、後半になるにつれてテンションが上がっていくのが本当に見事でした
この時の技術は後のアニメ作品にも反映されたと思う
世界にその名を轟かした細田守なんて監督はこういう土壌の上で育った可能性だと思う
なんでこんなこと書いてきたかというと「北斗の拳」のファンの中には「ジャンプの様式美」や「唯一無二の独自性」を誇ったり残酷描写に歓喜したり、時には「暴力賛美」と解釈してそれを実生活に反映したりと間違った方向に解釈してしまったと言わざるを得ないような人も大勢いるんですね
私に言わせればそんなもんはただの
ノイズ
だよ
そういう人たちが「あのね?北斗の拳ていうのはね?こういうものなんだよ、わかる?」なんて語るのを聞いて「北斗の拳」を若い人が嫌いになる、変な観点から解釈する、という自体をとにかく防ぎたいわけですよ
好き嫌いはあると思うのですが若い人たちは自分の目で見て耳で聞いてそして自分の頭で「北斗の拳」を受け止めてほしい、だから古参のややこしい連中がアレコレ言い出したら俺が相手する覚悟で色々書きました
思い出したらまたダラダラと書き足すけど「北斗の拳」について書くのはこれまで

