「もしかして日本のものづくりを変えるんじゃないか」と思った自工会の会見
1月22日、日本自動車工業会(自工会・JAMA)は、ジャーナリストを集めて、佐藤恒治新会長(トヨタ自動車社長)体制での初めての説明会を開催した。メインテーマは「新7つの課題」である。
片山正則“前”会長(いすゞ自動車会長)の下で策定された「7つの課題」を継いで、より大きな視野でものづくりの強靱化を目指す新方針である。この内容が本当に素晴らしく、筆者は「これはもしかすると世界のものづくりをリードする日本の新時代へつながるものになるのではないか」と感じた。
かつてはどうしようもなかった自工会
さて、例によって過去に遡り、自工会の越し方から話を始めなければならない。2023年11月に、筆者はIT media ビジネスオンラインで「豊田章男会長退任の舞台裏 自工会はどうやって生まれ変わったのか」という記事を書いている。豊田会長の退任と、いすゞ会長の片山正則氏の就任のインサイドストーリーを解説したものだ。これは自分自身で振り返って、過去に書いた記事の中でも屈指の出来だったと自負しているので、長い記事ではあるが、未読の方は是非ご一読いただきたい。
と、お願いはした上で、記事からいくつかポイントを引用しておこう。
これまでの不文律として、JAMAの会長職はトヨタ、日産、ホンダの3社で任期2年の回り持ちとなっていた。その意味するところは、「JAMAは売上高が大きく、かつ乗用車の、しかも登録車の方ばかりを向いて仕事をしてきた」ということでもある。なのでこれまでの慣習からすると、(※いすゞからの就任は)異例の人事であるのは確かだ。そこで今回は、片山氏の会長就任までの流れを丁寧に書き記していくつもりだ。それはJAMAの生まれ変わりストーリーそのものだからだ。
さて、ここからはJAMAの悪口である。JAMAは本当にダメな組織だった。と書くと、日頃付き合いのあるJAMAの面々の顔が思い浮かぶのだが、それはそれとして思い浮かべつつも、ここは本当のことを書く。要するに因習型の運営で、モノも決められなければ、新しい世界を開拓していくことなど到底できない組織だったのだ。
そもそも、日本は世界に冠たる自動車王国であり、いわゆる白ナンバーの登録車だけが特別偉いわけではない。黄色ナンバーの軽自動車は、今や国内乗用車の4割近い一大勢力だし、2輪に至っては世界4大メーカーが全て日本企業だ。もちろん物流の世界を担う商用車も極めて重要な自動車王国ニッポンの構成員である。だから3社回り持ちというこれまでの慣習自体が間違っていた。商用車のトップメーカーであるいすゞから会長が出ることが「異例の人事」と受け止められる現状そのものが間違っている。そういうしょうもない組織が大きく変わった話がこれから始まる。
筆者が自動車雑誌の編集部にいた頃は「JAMAなんて伏魔殿だよ」といううわさを聞いていたし、そもそもJAMAは自動車ジャーナリストや雑誌媒体などと付き合う気すらなかった。大手の新聞や放送局を、記者クラブに呼んでさえおけばそれでいいとたぶんそう思っていたはずである。
そういうダメな自工会を改革したのは、片山会長の前任の豊田章男会長である。トヨタから事務方として大量の人材を送り込んで、ある種剛腕を持って自工会を改革した。同時に加盟各社からの会議参加メンバーに決裁権を持つ人物を要求した。具体的には、自工会の正副会長と理事は全て現役社長であることを求めた。
ホンダや日産の事務方の一部からは「トヨタは好き勝手にやり過ぎだ」という声も上がっていたが、ダメな組織を改革するなら、協調的かつ宥和的にはやっていられない。強烈な変わる意思を持たずして変革はできない。
しかし、2023年、豊田会長はトヨタ自動車の社長退任に際して、併せて自工会会長の辞任を申し出た。豊田会長本人の公式な説明としては「私自身が言い出しっぺで、JAMAの正副会長は各社の社長と決めたので、そのルール(不文律)に従って自社の社長退任のタイミングでJAMA会長職から身を引きたい」とのことだった。本音としては当時社会に吹き荒れていた「豊田章男はアンチEVの首魁」という誤解に基づいた猛烈な逆風に、会長職に留まることで自工会が必要以上に巻き込まれることを嫌った面もあったと筆者は思っている。
片山会長の覚悟
さて、波乱の末に豊田会長からバトンを受けた片山会長の覚悟はすごかった。以下再び過去記事からの引用である。なお記事は当時のものなので現在はメンバーが変わっているし役職も当時のものであることはお断りしておく。掲載記事に一部加筆した。
すでに引っ込んでしまった豊田会長に丸ごと下駄を預けられたのは、いすゞ自動車の片山正則氏、スズキの鈴木俊宏氏、日産の内田誠氏、ホンダの三部敏宏氏、ヤマハ発動機の日高祥博氏。加えて専任のJAMA職員であるJAMA専務理事の永塚誠一氏の6人の副会長である。
それに、スバル、ダイハツ、日野、マツダ、三菱自、三菱ふそう、UDトラック各社の社長、それにJAMA職員の計9人の理事を加え、総勢15名の社長級(一部会長と元省庁事務次官級を含む)に緊急会議を招集した。緊急招集にもかかわらず全員がリアルで会議に駆けつけたというから、事態の深刻さは推して知るべしである。
その時、まだ事態の深刻さも知らずにJAMAからメディアとして招集をかけられた筆者は、「忙しいのに急に呼び出すなよ」くらいの気持ちで、取材先の袖ヶ浦のサーキットでリモート会見を待機していたが、予定時刻になっても、会長不在の役員会議が終わらない。確か30分以上待たされて、その後、ようやく画面の向こうに現れた片山副会長が話を始めたのである。その時の異様な雰囲気は今でも覚えている。
これまで自分たちは、豊田会長と一緒に改革の旗を振り、JAMAの生まれ変わりのために戦ってきたつもりでいた。横並びに立っていたつもりだったが、いざこうして「お前がやるか」と言われてみると、いまの自分たちにはできないことを痛感した。矢面に豊田会長を一人立たせて、安全な後方から応援していただけなのではないか。 ほぼ一年前の話で録音してあるわけでもないから、正確に一言一句そう言ったというわけではないが、険しい表情でそういう懊悩(おうのう)を打ち明けてくれたのが片山副会長だった。
この時、片山前会長が豊田氏に、「豊田会長の任期満了後は、自分たちが引き受ける」とした約束を有言実行し、実質的には、2024年年初の挨拶から会長に就任(任期としては4月から)すると、改めて正副会長で話し合いの末、今後自工会で取り組んで解決すべき課題を決めた。
それは日本の自動車産業が超えるべきハードルを見極め、本来競合する各社が「協調と競争」を実現していく土台となるものだった。自工会を、本当の意味でわが国の自動車産業に資する機関へ変えようとした豊田氏の改革を、片山会長が手を緩めることなく引き継いだのである。それが7つの課題である。ちなみに、取材をしてきた筆者の目からは、改革は強引な指導力が必要なフェーズを過ぎ、片山新会長を軸とした正副会長6人による合議型へと移行し、全員参加型で力を合わせ、日本の産業と個社の未来を切り開いていくように見えた。

これらの課題についてそれぞれ担当副会長を決め、取り組みを進めた。約2年間の取り組みの結果、目星のついた課題もあり、また更に取り組みを必要とされる課題も増えてきた。
自工会が設定した「新7つの課題」を読み解く
そして2年後の今、新会長に佐藤恒治トヨタ社長が就任し、改めて全員で議論を重ねて策定されたのが「新7つの課題」である。
「新7つの課題」は、「7つの課題」からどう変わったのか、その理由は何なのか。そこが分かると、筆者が興奮している理由もご理解頂けると思う。
まずは新旧の課題を見比べてみよう。
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