松原みき『真夜中のドア』──シティーポップが“夜の音楽”だった頃(前編)
80年代、私は学生だった。
東京の空気が、いまより少しだけゆっくり流れていた頃だ。
その頃よく聴いていた曲の中に、いま思えば少し不思議な2曲がある。
ひとつは、松原みきの
「真夜中のドア〜Stay With Me」。
まずは、こちらから。
そしてもうひとつは、Roberta Flackの
「Feel Like Makin' Love」。
けれど、この2曲。
当時の私にとっては「流行の曲」ではなかった。
「真夜中のドア」は1979年。
「Feel Like Makin' Love」は1974年。
私がそれらに出会ったとき、すでに少しだけ時間の経った音楽だった。
それでも、なぜか自然に手に取って、繰り返し聴いていた。
不思議なのは、その2曲を並べても、まったく違和感がなかったことだ。
むしろ、どこか同じ空気の中にあるように感じていた。
夜。
それも、にぎやかな夜ではなく、少しだけ静かな都会の夜。
いまなら「シティーポップ」と呼ばれるような、
都会の夜の温度がそこにはあった。
人の気配はあるのにどこか距離があって、
感情もまた、強く主張されることはない。
そんな“温度”を、この2曲は共有していたように思う。
当時の私は、もちろんそんなふうに言葉にはできなかった。
ただ、「なんとなくしっくりくる」と感じていただけだ。
実はあの頃、私は音楽を聴くだけでなく、少しだけ演奏する側にもいた。
この2曲は、そんな時間の中で自然とレパートリーに入っていった曲でもある。
続けて演奏しても、流れが途切れない。
呼吸を合わせるように、次の曲へ入っていける。
理由はわからないまま、
ただ、その“つながりの良さ”だけははっきりと感じていた。
いま思えば、それは偶然ではなかったのかもしれない。
もうひとつ、よく覚えていることがある。
当時の私は、JAZZにも強い関心を持っていた。
レコードを探しては、少しずつ聴き広げていくような時期だった。
その頃、雑誌で読んだ
松原みきのインタビューが、なぜか印象に残っている。
デビューしたばかりの彼女が、
自分の音楽的な背景としてJAZZについて語っていた記事だった。
細かい言葉までは覚えていない。
けれど、「ああ、この人はちゃんと理解して歌っているんだな」と感じた記憶がある。
それを裏付けるように、後になって彼女の「Misty」を聴く機会があった。
有名なスタンダードで、多くの人が歌っている曲だ。
けれど彼女の「Misty」は、どこか少し違って聴こえた。
無理に感情を乗せているわけではないのに、
音のひとつひとつに、きちんと意味があるように感じる。
ほんの少しの“間”や、音の置き方ひとつで、空気が変わる。
その感覚は、ポップスの歌唱というより、
どこかJAZZに近いものだったのかもしれない。
そう考えてみると、
あの頃、自分が自然に選んでいた2曲にも、ひとつの共通点が見えてくる。
それは、表面上のジャンルではなく、
もっと内側に流れている“何か”だ。
当時の私は、それを言葉にすることができなかった。
けれど、身体のどこかでは確かに感じ取っていたのだと思う。
その“何か”がどこから来ているのか。
そして、なぜこの2曲が時間を越えていまも響くのか。
もう少しだけ、ゆっくり辿ってみたい。
(後編へつづく)
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