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「真実が知りたい」と叫ぶ社会で、真実が消える理由

「真実が知りたいんです」
裁判報道でよく聞くこの言葉を、私はどこか冷ややかに聞いてしまう。
本気で、裁判で真実が明らかになると信じているのだろうか。




■ 裁判は「真実を明らかにする場」ではない

裁判は「真実を明らかにする場」ではない。
少なくとも医療の現場にいる私には、そう思えてならない。
そこは、法理論のルールに従って、どちらの主張がより論理的に通るかを争う場所だ。
つまり、「真実を語った方が負ける」ことすらある。
特に医療裁判ではそれが顕著だ。
その時点で最善と判断して行った処置も、後から時間をかけて精査され、
「あの時、こうすべきだったのでは?」と問われる。
だが、後出しの正解は、現場の決断とはまったく異なる次元のものだ。




■ 誰も本音を語れない「形骸化した事故調」

本来なら、事故が起きたら調査し、原因を探り、再発を防ぐ。
そのために医療事故調査制度がある――建前上は。
だが実際には、
「事故調で話したことが裁判で証拠として使われた」
という事例がある。
刑事で無罪でも、民事で多額の損害賠償を課されることがある。
こんな制度で、誰が本音を語れるだろうか。
これでは、「語ったら損をする」制度になってしまう。
結果、形だけの報告書が出され、真相は伏せられる。




■ 科学の死:学会から消えた「合併症の学び」

かつての学会には、合併症の症例報告があった。
それによって、「次にどうすればよいか」を建設的に議論できた。
だが今は違う。
報告すれば、弁護士が、マスコミが、嗅ぎつける。
訴訟の材料にされかねない。
だから危なくて報告できない。
語ると不利益になる時代に、正直な報告ができるはずがない。
それはつまり、科学の死でもある。




■ 誰が得をするのか?沈黙が殺す未来の患者

こうして、失敗は隠され、学びは失われ、
医療者は「沈黙すること」を自衛手段として身につけていく。
その結果、将来の患者が不利益をこうむる。
誰も得をしないはずなのに、この空気が支配している。
正直者が馬鹿を見る社会では、真実は語られない。
真実が語られない社会では、医療も、科学も、育たない。
いま問うべきは、裁くことではなく、
「語れる社会」をどう取り戻すかだと思う。

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