損しない働き方を、さがして


私には、ひそかな野望がある。
世の中でいちばん「損しない働き方」を、見つけてやろうという野望である。たいそうな野望のように聞こえるが、要するに、いちばん疲れなくて、いちばんお金がもらえて、いちばん気楽な、そんな都合のいいパートを探したいだけの話である。あつかましい野望だ、と自分でも思う。
しかし、人は夢を見る生き物である。私は探究の旅に出た。
最初にたどり着いたのは、「1日2時間・週4」の働き方だった。
おお、たった2時間。これは楽そうだ、と私は胸をふくらませた。ところがである。やってみて気づいた。2時間のために、顔を洗い、着替え、ちょっと化粧して、電車に乗って、また帰ってくる。準備と移動のほうが、働いている時間より長いのである。 しかも2時間ぴったりというのは、いちばん忙しい時間帯にギューッと呼ばれるということで、息つくひまもなくこき使われて、ハイ終わり、お疲れさま、と放り出される。お給料の明細を見て、私はぺしゃんこになった。これは、損だ。
旅は続く。
次にたどり着いたのは、「4時間・週2」の桃源郷である。
これがよかった。実によかった。体は楽だし、休みはたっぷりある。私は「ついに見つけたぞ、理想の働き方を!」と小躍りした。……のだが、3週間ほどたつと、妙な気持ちがわいてきた。「こんなに余裕があるなら、もう1日くらい増やしてもいいんじゃないか?」と言い出したのである。誰がって、私がである。あれだけ「楽がいい、楽がいい」と言っていた人間が、楽に慣れたとたん、自分から働きたがる。人間というのは、まったく度しがたい生き物だ。
ならば、と私は「6時間・週3の事務」へ向かった。座って、パソコンを打つ。これぞ大人の働き方、と意気込んでいたら——今度は、暇すぎた。
仕事が、ない。やることがないのに、時間だけはたっぷりある。時計を見る。まだ10時。また見る。まだ10時5分。座っているだけなのに、なぜかぐったり疲れる。 体を動かす仕事のときは「暇な事務がうらやましい」と思っていたのに、いざ暇になると「忙しいほうがマシだったかも」と思う。私は無い物ねだりの達人である。たぶん、表彰されてもいい。
そういえば、無い物ねだりといえば。
私の近所に、健康のために倉庫で働いている人がいる。重い荷物を運ぶので、好きなだけ食べても太らないのだそうだ。「生活費の足しに始めたのに、いつのまにか目的が"太らないため"になっちゃってさ」と笑っていた。給料をもらいながら、ジムにも通っているようなものである。なるほど、その手があったか、と私は感心した。感心したが、私は重いものを持ちたくない。野望に、ちゃっかり「楽がいい」が含まれているからである。
話を、旅に戻そう。
こうして私は、あちこちの働き方を渡り歩いた。2時間週4、4時間週2、暇な事務、忙しい現場。どれもこれも、一長一短だった。楽なら給料が少なく、稼げれば体がきつく、暇なら退屈で、忙しければ「暇がいい」と言い出す。いったい、損しない働き方とは、どこにあるのか。
私はくたびれて、家でお茶を淹れた。湯気を見ながら、ぼんやり考えた。
——もしかして、ないのではないか。「いちばん損しない働き方」なんて、最初から、どこにも。
考えてみれば、みんなそれぞれ違う体力で、違う家庭で、違う年齢で働いている。ある人の桃源郷は、別の人の地獄かもしれない。だとしたら、正解は一つじゃない。自分が「まあ、これでいいか」と思える働き方が、その人にとっての"損しない働き方"なのだろう。
——と、わりといいことを考えてしまった。お茶を淹れただけなのに、急に賢者みたいなことを言い出した自分が、ちょっと恥ずかしい。
まあ、いい。とにかく、私の長い探究の旅は、お茶一杯で終わった。
結局いちばん損しなかったのは、働きに出ず、家でこうしてお茶を飲んでいる、今この瞬間かもしれない。——という結論には、さすがに、夫が許してくれなさそうである。やれやれ。
*マンガは新宇佐美式で描きました
