月に2500円が、できなかった



私には、長年こっそり抱えている後悔がある。
たいした後悔ではない。人様に打ち明けるほどのことでもない。借金をこしらえたとか、誰かを泣かせたとか、そういう劇的なものでは一切ない。もっと地味で、もっとしみじみした、月に2500円の後悔である。
順を追って話したい。
このあいだ、ネットの記事を、ぼんやり眺めていた。
世のお母さんたちが、お金のやりくりについて本音をこぼし合っているような、そんな記事である。そこで、こんな話に出会った。第1子を産んでから10年、扶養内で働きながら、毎月10万円を貯金に回している——そういうお母さんの話だった。
子どもは3人。世帯年収はおよそ700万円。
それで月に10万、貯めている。
その話には、たくさんの声が寄せられていて、ちょっとしたお祭りのようになっていた。
「すごい」「どうやって」「やりくり上手すぎる」。
称賛の嵐である。私も、ほうほう、と読んでいた。
子ども3人で月10万。年に120万。10年で1200万。
電卓を叩きながら、私はだんだん遠い目になっていった。
我が家は、子どもは一人だった。一人。それなのに、月10万どころか、私は貯金というものが、どうにも苦手だった。いや、苦手という言い方は、ちょっとずるい。
やらなかった、が正しい。
思い出すのも気が重いのだが、結婚して20年ほど経ったある日、私はふと自分の貯金額を確認したことがある。
そして、あまりの少なさに、椅子から転げ落ちそうになった。
これだけの年月、いったい私は何をしていたのか。お金は、たしかにあった。
なのに、どこへ消えたのか分からない。手品のようである。
しかも一円も戻ってこない、たちの悪い手品である。
そのとき、私の頭に浮かんだのが、例の「月2500円」だった。
考えてもみてほしい。月に5000円。
たった5000円を、もし毎月貯金していたら。
20年で120万円である。120万。さっきのお母さんの、一年分だ。
私はそれを、20年かけてようやく、という計算になる。とほほ、と思った。
いや、5000円が無理でも、と私は往生際悪く食い下がった。
2500円ならどうだ。月に2500円。それでも20年で60万円。60万あったら、と私はしばし夢想した。あれもこれも。けっこういろいろできる。
そして、ここがいちばん情けないところなのだが——月に2500円は、たぶん、できたのである。
できない金額ではなかった。
ランチを一回がまんすれば。
お茶を一本がまんすれば。
なんなら、なくても暮らせたはずのものが、私の毎月にはいくらでもあった。
それを2500円分よければ、20年後の私は60万円を手にしていた。なのに私は、それをしなかった。20年間、ただの一度も。
我ながら、ぺしゃんこな話である。
話は少し変わるが、私はこういう「ちりも積もれば」系の話に、昔から弱い。弱いというのは、感心するという意味ではなく、できない、という意味である。毎日コップ一杯の水を、とか、一日10回のスクワットを、とか。ああいうのを聞くたびに「なるほど」と深くうなずき、そして三日でやめる。私の人生は、三日でやめたものの墓場のようなものだ。月2500円も、その墓場の、わりと大きめの墓石である。
——と、ここまで書いて、私はあのお母さんの話の、続きを思い出した。
実は、あの「月10万貯金できてすごい」という話の流れには、もう一つの声がまじっていた。「こちとら毎月赤字だわ」。だれかが、ぽつりとそう書いていた。私は、その一行に、なぜだか妙にほっとしたのである。
そうだよなあ、と思った。みんながみんな、月10万を貯められるわけじゃない。月2500円すら、よけられなかった私みたいなのも、ちゃんといる。そして、たぶん、思っているよりたくさんいる。
貯金ができなかった20年を、私はずっと、自分の意志の弱さのせいだと思っていた。たしかに、弱い。それは認める。けれど、その20年のあいだ、お金が消えていった先には、ちゃんと中身があったのだ。子どもの靴。だれかの誕生日。なんでもない日の、ちょっとおいしいもの。手品で消えたわけじゃなかった。私はただ、貯金通帳ではなく、別のところに、せっせと積み立てていたらしい。
——とまあ、いい話風にまとめようとしている自分に、いま気づいて、ちょっと笑った。
結局のところ、後悔は後悔のままである。月2500円は、やっぱりやっておけばよかった。60万あれば、と今でも思う。思うけれど、まあ、過ぎたことだ。
それより私は、今月の2500円のことを考えるべきなのだろう。今日が、いちばん若い日らしいので。
——と、殊勝なことを書いておきながら、私はさっき、いらない本を一冊、ポチっと買ってしまった。だいたい2500円であった。やれやれ、である。
*マンガは新宇佐美式で描きました
