見出し画像

【マインド】「20歳を2周りしたら40歳」ってわけではないわけで。

10年ぶりくらいに、大学の友人と会った。

彼女は私に連絡するにもかなり勇気が要ったようだ。
かたや私は、日頃から生徒とも連絡を取り合っているせいか、何年ぶりだろうが何だろうが、相手から来た連絡に対する耐性が強い模様。
返事するにもハードルが低いので、画面上でもさくさく会話が続く。
その代わり、自分から誰かと会いたいなんていう気持ちも湧かないのだけど。

久しぶり過ぎて、どんな会話が展開されるか?
人によっては心配するかもしれないけれど、私の場合、過去に深い話までしていた関係性であれば、そういう心配は取り越し苦労であることは経験から分かっていた。

会って早々、「痩せたね〜」と言われる。
そう?痩せた覚えは特にない。

そうか。
彼女は、マラソンをしていたり、産後の授乳過多だったり、落ち着いたからまたランニングを再開したり、っていう私の生活水準のデフォルトを知らない。

大学時代の私は、もう少しやや丸みのある体型をしていたし、今よりかなり怠惰な生活をしていた。
だけど健康的で、ライブもよく行き、音に合わせて飛び跳ね続けられる体力を持ち合わせていた。
それは彼女と共に送っていた日常で、彼女にとってのそれが私の印象。

大人になってからも数回は会っていたけれど、学生時代の友人だと当時の記憶が鮮明過ぎて、そのときがピークエンドになる謎。

教師になって、結婚して、出産して、子育てが始まって…、とライフイベントの振り返りを彼女とし始めたら、私が痩せた話なんて瞬時に消え去った。

彼女には、小学生の子どもが2人。
中学受験をするしない、の話しが自然に出てきて、すっかり先輩ママだった。
当時は同じ時間を過ごした友人だとしても、私のずいぶんと先を生きている。

久しぶりに会う相手との対話だと、そこから生み出される旨味のようなものが、普段から話している人とは違ってくるから不思議だ。

さて、彼女と話していて感じたことを記しておく。

当たり前だけど、お互いライフイベントをそれなりにこなしたことで、話す内容のカテゴリが分散された。
母としての立ち振る舞い方や、夫との関係性、仕事への向き合い方、自分のアイデンティティ、これからのビジョンなど。
当然ではあるけれど、会話をふと俯瞰した際、強烈に違和感が芽生えた。
私たち、こんなんだったっけ。

大学時代に話していたことは、面白い講義や演習の振り返り、名物教授のネタ、サークルの人間関係、バイトの愚痴。

何より彼女とは音楽という共通の趣味があったため、ライブいつ行く会議や、好きなアーティストの話題が主だった。
バイトで稼いだお給料の一部は、彼らに課金。
今考えれば、私たちは「推し活」をしていたのだ。

昔から人は、エンターテイメントには惜しみなくお金を注ぐ。
その相手を「推し」と命名するなんて、何ともキャッチーな言葉で表現するものだから、愛おしい存在への加速度が高まる。
当時からそういう文化があったなら、私たちも沼にハマり過ぎて抜け出せなくなっていただろう。
(ギリギリのところでとどまっていた感はある。借金とかしていないし。)

と、こうやって当時を顧みてみると、ずいぶんと私たちは大人になってしまったのだな、と実感する。

結婚願望はあるか?
どんな人と結婚するのか?
どんな家庭生活を送りたいか?
子どもは欲しいか?何人か?
その後、仕事はどうするか?

こういう経過をすっ飛ばして近況を共有しているものだから、内容を割愛せざるを得ない。
本当はそのひとつひとつにドラマがあって、結論だけを伝えて済む話ではないのに。

「へぇ〜、どうしてそうなったの?」

お互いの関心が質問という形で表現されるけれど、

「まぁ、いろいろあって」

端折ることで、心の機微を伝えようとする。

質問に的確に回答するのに自信がない。
これまでに起きた出来事と、それにまつわる数多の自分の感情から、これだと思うものを選び抜くことができない。
正しく形容したくても、起こったことからだいぶ時間が経っていて、リアルタイムでない分、鮮度がない。
いや、鮮度がない分、それらはかなり醸成されて、そのときそのときでは言い表せなかった部分が、絶妙に形成された気もする。

10年間の厚みが大き過ぎる。
いろいろな話がしたい、当時を思い出したい、細かいことは抜いてお互いの人生の概略を知りたい、そんな感じで、大学時代のときの関係性を思い出し、保持しながら、阿吽の呼吸で対話は展開されていった。
きっとまた、数年のうちに再会するだろうという確信があって。
そのときに、細かな部分の埋め合わせをするのだきっと。小さなピースをはめていくように。



ふと、「あの頃は青かったね」という話になる。

性格は変わらない。
そうそう、彼女はこういう子だった。
「変わらないねぇ」と、彼女も私を評する。

でも、話す内容は変わった。
使う言葉が変わった。
考え方のベクトルが変わった。

明らかに私たちは、会わなくなってからかなりの月日を経た。
その間に経験した数ある酸いや甘いによって、大人になった。

だからこそ、あの「青くささ」は尊い。
アラフォーの私たちには、その青い感覚は戻らない。

大人になるって、どういうことか。

偉い人が書いた本には定義みたいなことがたくさん載っているし、エリクソンだって心理学の観点から素晴らしいことを提示してはくれてるけれど、それを腑に落とし、じぶんごととして言語化するのはかなり難しい。

でも、大人になるってことの概念を体現できるのだと知った。
時空を超え、かつての仲間と対話することで、それのほとんどを感覚で得ることができる。

だから、これはタイムマシンだ。
今とあのときとを、往来しながら。

私が言う。
「あのとき、もっとできることあったと思うんだけどな。もったいない時間の使い方をした気がする。」

彼女が返す。
「渦中にいるときは、分からないものだよね。」

ーー青かったなりに、そのときの一生懸命を私たちは生きていた。
振り返ってから分かることが、人生には多すぎる。
だから面白いのか、人の生きる道は。

「20歳を、倍生きても40歳じゃないよね」
年齢の刻みが表すレイヤーは、数字そのもので測れるほど単純なものではないことを実感した。

これがあと20年後、60歳になったときは。
私たちはどんな大人になるのだろう。

そのまた20年後、80歳になったときは。
私たちはどんな大人になるのだろう。
おそらく、大人としてはほぼ完成系。

そのまた20年後、100歳になったときは。
生が継続しているか、空へ還っているかは未定だけれど、どんな証を、何を遺しているのだろうか。

そんなことを考えながら、電車に揺られて帰路に着く。

では、また!

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集