妖精ですの。──きなこ、熱砂の庭であおーーーんと鳴く
【掌編】炎の民に踏まれた猫
きなこの行幸録
その日、
勝手口の向こうは“業火の刑場”だった。
あおーーん。
猫が叫んだ。その理由は──熱砂。
相手は、妖精(たぶん蛾)。
蝶々?を追った猫・きなこ(オス)。
だがその先に待っていたのは、
熱砂の罠だった。
わらびはすでに帰宅。飼い主は無反応。
そのとき、彼女──
いや、彼が発したのは──
「あおーーーん。」
初めての庭にて発動された外界遭難信号。
これは、猫のきなこによる高貴なる冒険の記録である。
⸻扉の向こうは外界だった
風がやけに気持ちよかったその日、
わらびときなこは、いつものように勝手口へ向かった。
──ガチャリ。
誰かが閉め忘れたドア。
その向こうに広がるのは、
きなこにとって未知の大地。
そして、その空間に──
蝶々のような何かが、ふわりと舞った。
⸻舞姫の誘い
一匹の影が、
虹色の鱗粉をまきながら優雅に飛んだ。
まるで天女の羽衣のようだった。
きなこは目を見開き、言った。
「……貴女、どちらの舞姫ですの?
わたくしをどこへ誘うおつもり?」
一歩。
また一歩。
優雅なつもりで踏み出したその足元──
砂利。
ジャリッ(地獄)
「……熱うございますわ、この砂。
まさか、
焼けた鉄板の上に迷い込んだのではなくて?
まるで処刑場ですの……」
⸻進めぬきなこ
きなこは数歩進んで固まった。
片足を浮かせてプルプル震える。
肉球、じんじん。
地面、灼熱。
蝶々(?)、はるか彼方。
わらび、すでに帰宅済み。
残された猫は、立ち尽くした。
肉球のやり場を失ったまま──。
そして、叫んだ。
「あおーーーん……」
──その鳴き声は、
どこか虚しく、どこか壮大だった。
まるで、
何かの終わりが、熱砂の上から始まった
かのように。
それは、明らかに地獄の呼び声だった。
⸻召喚されし下僕
台所では、冷凍庫の中のクーリッシュ残数を確認していた──
きなこが叫ぶ直前までは。
「……ん? 今、なんか叫んだか? あいつか……」
外に出ると、砂利のど真ん中で、
“座り込み型・高貴なフリをした生命体”が、こちらを見ていた。
あぉーーーん。ワオーン……。
「お迎え、早くお越しになってくださいまし!」
その鳴き方は、どう考えてもわざとだった。
わらびが言う。
「坊よ。拾いに行かぬのか?
……あの砂利、今年も熱いのだな」
そこへ──
クーリッシュをこれ見よがしに振り回す次男が、姿を現した。
──まるで英雄気取りで。
「あ! きなこが外に出てる!」
おりゃぁぁ!
きなこは雑に抱えられ、抗議ひとつせず連れ戻された。
だが、その目にはふてぶてしい光が宿っていた。
そして次男に、まるで遅刻を責める王侯のように告げた。
「坊ちゃん! 遅うございましたわね──
このわたくしを、どれだけお待たせなさるおつもりでして?
……いかなる御用に、お時間を割かれておられましたの?」
……なんか、偉そうにしている。
⸻帰還と余韻
帰宅後──
きなこは、フローリングの上にペタッと
溶け落ちた。
肉球の裏には、もう跡が残っている気がした。
そこへわらびが近づいて、ぽつりと訊いた。
「お前、何してたんだ」
きなこは、すっと目を閉じ、言った。
「……行幸、失敗ですの……
でも、あの黒い影は──
闇夜に舞う妖精のようで、
それはそれは、恐ろしいほどに美しゅうございましたわ」
わらびは鼻で笑った。
「またはじまった……あれは、ただの蛾だ。」
わらびの言葉は届いていなかった。
⸻わたくし、誓いますの
次に妖精に出会ったときには──
絶対に、触れずに見送ってさしあげますわ。
そして。
あの大地には、二度と足を置きません。
あれは土ではなく、炎の民の怒りですの。
……きなこはまだ知らない。
あの舞い飛ぶ影が、“ただの蛾”でしかなかったという真実を──
美しく、信じたままでいる。
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